二、花と棺

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 ◇◆◇  まだ夜が明けきらないうちに起き出して、白雪は不動邸の台所に立っていた。 「素晴らしいわ」  着物の上に白い割烹着を着た白雪は、ため息をつく。  板張りの台所は採光もじゅうぶんで明るい。  羽釜に鉄鍋、包丁やおろし金。整理整頓された勝手道具は、どれも手入れが行き届き清潔である。水屋箪笥の引き戸を開ければ、きらびやかな器たち。  明蝶家のお勝手とは違い、瓦斯オーブンまで備えられた近代的な台所だ。  白雪はさっそく立流しで米を研ぐ。竹で編んだ米研ぎざるの中をくるくるとかき混ぜながら、ふとキヨとのやりとりを思い出した。  しっかり糠が取れるよう力を込めて洗いなさいと、キヨから米研ぎを叱られた時のことだ。 「懐かしい……あの頃はまだ、炊事もまともにできなかったから」  しかし白雪は、父の書物を読んでいて、ごしごしと洗うことによって米の栄養素である胚芽が取れてしまうと知っていた。  おさんどんをはじめたばかりだった白雪は、優しく洗うほうがいいのですよと、生意気なことを口にする。  それでもキヨは、「白雪様は物知りですね」と優しく微笑んでくれた。 「もうキヨさんにも会えないのかしら」  明蝶家での日々は、辛いだけではなかった。  幼い頃は、お勝手には入らないよう言われていた白雪が、飯を炊き味噌汁を作れるようになったのは、ある意味、夜子のおかげなのかもしれない。  明蝶家では、料理は料理人がするものと教えられていた。  裕福だった頃は、住み込みの腕利き料理人が、朝から晩まで、豪勢な料理を振る舞ってくれていたのである。  白雪は手伝いなど何ひとつせずに、お稽古ごとばかり。  ただし、お茶やお琴を習っても、上達しはじめるとすぐに取り上げられてしまった。  あくまでも、広く浅く教養を得ることを求められていたのである。  女に学がつきすぎると良くないという考えが、父にはあったようだ。 「何ひとつ、自由に選べなかった……料理だって、学べばこんなに楽しいのに」  飯を炊いている間に、ごりごりとすり鉢で味噌を擦る。  すり鉢へ少しずつ水を加え味噌を伸ばし、丁寧に濾してから鍋に注ぐ。そこへかつおぶしを入れて煮立たせ、浮いてきた泡を取り、もう一度濾してから別の鍋へと移した。  そこへ、具材となる葱と豆腐を入れれば、口当たりのなめらかな味噌汁の出来上がりだ。 「あとは……」  オムレツを作るための卵を取り出したところで、白衣に帽子を被った梔子がやってきた。梔子は、髪を短く刈り上げた大きな体の男である。 「お、おはようございます」  白雪が頭を下げると、ぺこりと梔子もお辞儀した。 「あの、今日は私にオムレツを作らせていただけませんか?」  梔子は無言で頷くと、黙々と卵を割りはじめる。  良いのか、悪いのか、はっきりしない。白雪は困って固まる。  昨日、挨拶をした時も、同じように口を聞いてはもらえなかった。もしかすると、勝手に台所に入ったのがいけなかったのかもしれない。  出しゃばったのは、失敗だった――白雪は緊張した面持ちで、梔子の手元をただ眺めていた。  梔子は、慣れた手つきで卵を割り、白身と黄身に分ける。黄身に塩こしょうをしてかき混ぜ、白身は泡だて器でこんもりと泡が立つまでかき混ぜた。  おそらくあの泡立った白身が、スフレの元なのだろう。白雪は興味深く、見つめ続ける。  梔子は、黄身と白身をさっくり混ぜ合わせると、バターを溶かしたフライ鍋へ流し入れた。熱したフライ鍋の上で、玉子がふわりと膨らむ。 玉子が上下ともに固まってきたところで、皿へ移しながら、手早く玉子を半分に折った。 「まあ……」  手際の良さに感心している白雪へと、梔子がフライ鍋を差し出してきた。 「今度はわたしが?」  すると、梔子は無言で頷いた。 「は、はい」  白雪は慌ててフライ鍋を受け取ると、見様見真似でふわふわのオムレツを焼いたのだった。
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