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激しく鼓動する胸を押さえながら、白雪は与えられた部屋へと駆け込み、扉を閉めた。
何かが違うと思っていた――扉に背中を預け、肩で息をする。
「わたしの体が、こんなに丈夫なはずがない」
舶来の重厚感ある家具や調度品が並び、上等な絨毯が敷かれた部屋は、いっそう白雪を不安にさせた。
半日働いただけで疲れ切っていた体が、今は、何ともない。それどころか、溢れ出る力を持て余しているようにさえ感じられる。
「何が起こっているの?」
胸の辺りが、じんわり熱くなる。
血が馴染むとは――知りたいけれど知るのが怖いような気がした。
屋敷で気を失い、薫の胸の中で目を覚ますまでの間に、何があったのだろう。
一度死にかけ、蘇ったとだけ、説明を受けた。
救ってくださったのは、旦那様――白雪は、しっとりした手を握り合わせる。
「あれから、お医者様にも診てもらっていないのに……」
ふいに白雪の中で、父の書棚に並んでいた、ある一冊の書物を手に取った時の感触が蘇る。
ずっしりとした重みと、埃の匂い。
どうしても頁が捲れず、震えが止まらなかった。
「お母様……」
急に恐ろしくなって着物の袂に手を入れるが、形見の守り袋はない。意識を取り戻した時、すでに失くしていたのを思い出した。
そこで、部屋の扉がノックされる。
「白雪様、いらっしゃいますか?」
「は、はい」
白雪は、慌てて立ち上がり、着物を整えてから扉を開けた。
「使用人の縹と申します」
そこには、着物に白い前掛けをした、白髪で小柄な老年の女性が立っていた。
「お体の具合が良ければ、旦那様が、お話があると仰っておりますが」
「はい。大丈夫です」
「では、応接間でお待ちですので」
白雪は部屋を出ると、縹の後について廊下を進んでいく。
「あの、こちらのお屋敷の使用人はどのくらいいらっしゃるのですか?」
まだ、使用人たちへの挨拶も済んでいないことが気になった白雪は、縹の背中へとそっと訊ねた。
「旦那様の秘書をしている藤を含めて、私どもは七人でございます」
「この広いお屋敷をたった七人で?」
掃除だけでも一日がかりに違いないはずだと、白雪は驚く。
せめて、洗濯くらいは手伝わせてもらえないだろうか。そう言おうとして、口を開きかけた時。
「こちらが応接間でございます」
縹が扉の前で立ち止まる。
急かすような縹の視線を受け、白雪はすぐさま扉をノックした。
「白雪でございます」
「中に入れ」
白雪は、広々とした応接間に一瞬怯む。飾られた絵画や彫像は、ひと目で値の張るものだと分かった。
不動の財力は噂に聞いていた以上だ。しかし、成り上がりと揶揄されるほど悪趣味ではない。
ジャカード織りの布が張られた気品のあるソファが、それを物語っているようだ。
ソファに座って足を組む薫が、じろりと白雪を見る。
「藤からは止められているが、俺はあまり気が長いほうじゃない。お前に色々と聞きたいことがある」
「……はい」
ひどく冷ややかな視線。だけど、あの時と何かが違う――
薫の鋭い目つきに震え上がりそうになりながらも、白雪は、はじめて目を合わせた時のことを思い出そうとしていた。
あのように、黒黒とした瞳だっただろうか。
ふいに、燃えるような赤の印象が浮かび上がる。
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