二、花と棺

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「そこに座れ」  白雪は言われるがまま、薫の正面に座った。 「白雪」 「えっ……」  はじめて薫から名前を呼ばれたことに驚く。 「藤から、お前を名前で呼ぶようにと言われている。何か問題があるか」 「い、いいえ」  思いがけないやりとりに、ふっと白雪の体から力が抜けた。 「まずは……明蝶家の結界だが、穴だらけなのは承知の上か?」 「い、いいえ。知りません。わたしに、そのようなものを見ることはできませんので」 「明蝶家の当主はそれ相応の術者と聞くが」  明蝶家のようないくつかの名家では、人々を苦しめる妖魔を封じ悪霊を祓う術が密かに受け継がれてきた。術は一子相伝の技で、当主が素養のある後継者にその術を渡すのだ。  しかし、今や世間を賑わす大事件は、ほとんどが人の業によるものだった。術者が妖魔を討伐するような事態は、そうそうない。 「昔はともかく、今の父には、術を使う力はもはや残っていません。ただ命の灯火を燃やし続けるだけで精一杯。それでも、何事もなく屋敷は守られていました。恐ろしいのはきっと人のほう……」 「人が恐ろしいと?」  薫の問いに、白雪はしっかりと頷く。 「はい。九百年前、冥世の扉を封じた術者たちは、人世に取り残されたあやかしたちを調伏し、または拷問いたしました。うまく身を隠し逃げおおせたあやかしもいるでしょうが、多くは術者によって滅ぼされたはずです。わたしは人が恐ろしい」 「昔のことに詳しいな」 「父の書物から得た知識です」 「そうか……とはいえ、相手は妖魔だろう。滅せられて当然では?」  当然なのだろうか――白雪は、伏し目がちになる。  ふと、心の中に、森の風、優しい陽の光、芽吹く草花を感じた。  小鳥のさえずりや、うさぎの愛くるしい姿までも。 「わたしには、存在するものすべてに、理由があるような気がします」 「そうか……」  すると薫は、考え込むように眉間を押さえる。 「旦那様、どうなさいまいた?」 「いや……何でもない。白雪、お前は術を渡されてはいないのか?」 「はい。明蝶家では、術は男子のみが受け継ぐものとされています」 「難儀だな……しかし好都合だ」  薫の瞳が光った気がして、白雪は身構えた。 「もうひとつ聞こう。白雪、お前が倒れた日、何者かに毒を飲まされた覚えはあるか?」 「毒を……? ま、まさか。そんな覚えは……」  そこで白雪ははっとする。  林檎を口に含んだ時の、ぴりりと舌に走った感触が蘇ったからだ。 「林檎を……林檎をかじったら苦しくなって……」 「そうか。その林檎は誰が?」 「お義母様から……でも、そんなはずは……すでにお見合いも決まっていたのに、あり得ません」  どんなに憎らしいと思われていたとしても、毒を盛るような人ではないはずだ。  白雪は震えながら、首を左右に振った。 「もう心配はいらない。今は、不動の血によって守られているからな。これからは少々の毒を口にしたところで、苦しむことはないだろう」  薫の瞳が鈍く光った気がして、白雪は息を呑む。 「それは、どういう……?」 「不動家にも、代々受け継がれる術のようなものがあると考えてもらえばいい。それを、お前にも分け与えただけだ」 「あの時……」  薫の胸に抱かれて目を覚ました時の、口の中に滲む血の味。  さらには、唇にうっすらと残る温もり――それから、薫の紅い瞳が、鮮明に蘇った。  白雪は、あの時、自分に何がなされたのかを想像する。  意図せず、指先が唇を撫でていた。 「そうだ。口付けて、俺の血を与えた」  薫に深く見つめられ、白雪は固まる。  しばらく考えてから、その意味を正しく理解した。
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