三、闇からの使者

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「これで、お拭きください」  白雪は、二人を応接間に通し、手ぬぐいを渡した。 「ありがとうございます」  頭を下げる番頭の横で、丁稚はきょろきょろとしながら言った。 「いやあ、立派なお屋敷ですねえ」 「こら三郎! 失礼いたしました」  落ち着きのない丁稚の三郎に、番頭は呆れているようだ。 「こいつは先日からうちで働くことになったばかりで、まだ不慣れなんです。今日はどうしても他に手がなくて、連れてまいりました。どうかご勘弁を」 「いいえ。お気になさらず。お茶を淹れてきますね」 「どうぞおかまいなく」  そこで応接間の扉がノックされた。 「失礼いたします」  橙が澄ました声で言う。手にしているトレイには、上品な花柄の茶器が載っていた。  白雪は橙のそばまで行き、そっと耳打ちする。 「すみません。勝手にお客様を招き入れてしまいました」 「私どもは、何でも白雪様のお好きにさせるようにと、旦那様から仰せつかっております。何かお困りごとがありましたら、お呼びください」  橙は抑揚のない声で告げた。むしろ、あまり関わりたくないかのようである。 「ありがとうございます。あとはわたしが」  そこで白雪は、橙からトレイを受け取り、自らテーブルにティーカップを並べていった。 「これで体を温めてください」  白雪は、番頭たちにお茶をすすめる。 「ありがたくいただきます」  紅茶で一息ついたあと、さっそく番頭は運んできた行李を開けた。 「白雪様、明蝶家にいらした頃とは、すっかりお変わりになりましたね。最初、別人かと思いましたよ」  番頭がきらびやかな帯を手にして言った。 「わたしが、別人に?」 「はい。ずいぶんと明るい表情をされているように感じられます」 「そ、そうですか」  白雪は思わず頬に手を添える。 「大事にしていただいているのですね」  番頭の穏やかな口調に、白雪ははっとした。 「大事に……」  ここでの平穏な暮らしは、薫が与えてくれたものだ。  がんじがらめにされる覚悟をしていたものの、思いの外、自由であることに白雪は気づく。 「羨ましいな。俺には、一生手に入らない暮らしだ……」  すると、出し抜けに三郎が言った。さっきまでとは、どこか様子が違う。目はうつろで、表情は暗く沈んでいた。  番頭が黙々と行李から取り出した着物を並べていく隣で、三郎の頭上にぬるぬると蠢く黒い蛇のようなものがあらわれる。  白雪は見間違いかと目をこするが、それは確かにそこにあった。  白雪の目を見て、三郎がにやりとする。  すぐさま、橙を呼ぼうとして振り返るが遅かった。  すでに、がない。 「三郎、ぼさっとしないで、そっちの風呂敷をさっさと広げるんだ」  三郎の変化に気づかない番頭は、忌々しげに言った。 「風呂敷……」  そうつぶやくと、三郎はのそりと立ち上がる。  眼の前の風呂敷包みを両手で抱えあげると、あろうことが天井に向かって放り投げた。 「さ、三郎!」  金襴、緞子の織物に、花が咲き、鶴が舞う。  着物や帯がちらばる様は、豪華絢爛だった。  奇妙なのは、着物や帯が浮遊したまま、いつまで経っても落下せずにいることだ。 「な……お前……」  番頭が、怯えたような目で三郎を見る。
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