三、闇からの使者

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「いや、そちらには関係のないことだ。狙われたのは……とにかく、今日は帰ってもらってかまわない。うちの者に車で送らせる。運悪く追い剥ぎにでも襲われたと思って、今日のことは忘れたほうがいい」  一瞬、薫の目が紅く光った気がした。  三郎と番頭はしばらくぼんやりすると、はっとしたように顔を見合わる。  薫は「あとは頼む」と藤に指示をして、席を立った。 「そろそろ御暇(おいとま)するか」  番頭が頭を掻く。 「腹が減ったなあ」  藤に縄を解かれた三郎は、呑気に言った。  何事もなかったかのように帰り支度をはじめる二人に、白雪は違和感を覚える。  そこですぐさま、部屋を出た薫を追った。廊下を小走りで進み、咄嗟に声をあげる。 「旦那様!」  振り返った薫は、少し驚いたような顔をしていた。思いがけず大きな声が出たようだ。 「何だ?」  胸の前で手を握りしめ、白雪は息を整える。焦れることなく、薫は白雪の言葉を待っていた。 「妖魔はわたしを狙ったのですね」  白雪の表情は、悲しげに曇る。 「そうだろうな。蛇の形をした妖魔は、おそらく蛇神(じゃしん)」  薫の言葉に、白雪はすうと息を吸った。  書物に描かれた、屏風にだらりと垂れ下がる蛇の絵を思い浮かべる。 「嫉妬や邪心の化身と言われる、あやかし……」  白雪は、そう口にしていた。 「知っているのか」 「はい」 「どうした、口が……」  薫の指が、白雪の口の端に触れる。 「さ、先程、床に倒れた時に切ったようです」 「妖魔のせいか」 「わたしが、ぼんやりしていたせいです」  すると薫が、ふっと目を細めた。 「白雪は、自分を傷つけた妖魔までもかばうのか」 「も、申し訳……あ、その……」 「もういい。その傷、見せてみろ」  薫の顔がぐっと寄ってきたことに、白雪は驚いて身構える。 「まだ、怖いか?」 「い、いいえ」  白雪の声はわずかに掠れた。 「嘘をつけ。怖いなら目を閉じていろ」  言われた通り、ぎゅっと目を瞑る。  しかし、口元に熱い息がかかり、居ても立ってもいられなくなった。  まさか、また術を使われるのだろうか――白雪は堪らず口を引き結ぶ。 「社長……おっと、お邪魔しました」  白雪が目を開けると、藤がきまり悪そうな顔をして、そこにいた。 「勘違いするな。傷を見てやっていただけだ」  薫は渋い顔をする。 「錦秋屋さんが、着物をどうするかと仰ってまして。誰かが社長の名を語って注文したようですが」 「代金を支払って、うちで全て引き取れ」 「じゃあ、お着物は……」  藤がちらりと白雪の表情を窺う。 「白雪のものだ。験が悪いというのなら、燃やせばいい」 「燃やすなんて……! 大切に着させていただきます」  白雪は、この時ばかりは、反射的に声をあげていた。すると薫は、満足そうな顔をする。 「好きにしろ。それから藤、白雪に塗り薬を」 「かしこまりました」  にやにやしながら自分を眺める藤に、白雪は身の置き場がなくなるのだった。
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