四、銀座の街

1/6
前へ
/80ページ
次へ

四、銀座の街

 幅広の紅いリボンを髪に結び、流水に花籠が描かれた山吹色の着物と、その上に羽織を纏った白雪は、流れる景色を熱心に眺めていた。  軽快に走る車の中で、白雪は風になびく髪を押さえる。ひとつも見逃したくなくて、瞬きも忘れそうだ。  煉瓦造りの近代建築が立ち並ぶ通りは、お洒落をした紳士淑女が行き交い賑わいを見せている。  電車や人力車、時計塔にビヤホール、久しぶりに目にする街の景色は、白雪にとってどれも刺激的だった。  しかし、隣に座る薫には見慣れた景色なのか、ひどく退屈そうである。 「本当に欲しいものはないのか?」 「は、はい。お着物や帯はたくさん買っていただいたばかりですし」  朝食の席で、薫から「今日は銀座に行こう」と急に言われ、慌てて支度をさせられた白雪だ。  今、ここにいる理由さえはっきりしない。 「あのご婦人のように、ひらひらした着物は必要ないのか?」  薫が車の外を指差した。  そこには、断髪にクロッシェを被り、ローウエストのワンピースを着て、軽やかに歩くモダンガールの姿。 「わ、わたしには似合いませんから」 「着たことがあると?」 「いいえ」 「着たこともないのに、似合わないと決めつけているのか。浅葱(あさぎ)、車を停めてくれ」  不動家の使用人で運転手の浅葱は、すぐさま車を停める。  聳える白亜のビルディングの根本、デパートメントストアの正面玄関前だった。 「さあ、降りるぞ」  先に降り立った薫が、白雪へと手を差し伸べた。  白雪は遠慮がちにその手を握り返し、車から降りる。  眩しい――思わず、顔に手をかざした。冬の陽の光が、これほど輝いて見えるのはなぜだろう。  目を細める白雪へと、薄い影が落ちる。奇妙なことに、薫がレースのパラソルを差し掛けてくれていたのだ。  こんな季節にパラソルなんて――その疑問は呑み込んだ。 「あ……ありがとうございます」 「すっかり良くなったな」  薫が白雪の顔を覗き込む。 「は、はい……お薬を塗る必要もなく、あっという間に」  気恥ずかしくなった白雪は、視線をそらしながら答えた。  口の端の傷は、それこそ一晩眠っただけで消えてしまった。  床に倒れた時、激しく打ち付けたはずなのに、体の痛みも全く無い。  不思議に思った白雪は、薫へと訊ねた。 「旦那様の術のおかげなのでしょうか?」 「…………」  すると、薫はしばらく考え込むようにしている。  余計なことをまた口にしたのだろうかと、白雪は気が気でなかった。 「まだ気にしていたのか。そんなものはさっさと忘れてしまえ」  薫にじっと見つめられ、動けなくなる。  やがて周囲の喧騒が消え、景色が色を失くした。  はらりと、パラソルが道へと落ちる。  薫の香りに包まれて、白雪は体が溶けていくような感覚を覚えた。  まるで時が止まってしまったかのような静寂。 「旦那様……」 「俺に身を任せろ」  薫の腕が、白雪を包み込む。
/80ページ

最初のコメントを投稿しよう!

390人が本棚に入れています
本棚に追加