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四、銀座の街
幅広の紅いリボンを髪に結び、流水に花籠が描かれた山吹色の着物と、その上に羽織を纏った白雪は、流れる景色を熱心に眺めていた。
軽快に走る車の中で、白雪は風になびく髪を押さえる。ひとつも見逃したくなくて、瞬きも忘れそうだ。
煉瓦造りの近代建築が立ち並ぶ通りは、お洒落をした紳士淑女が行き交い賑わいを見せている。
電車や人力車、時計塔にビヤホール、久しぶりに目にする街の景色は、白雪にとってどれも刺激的だった。
しかし、隣に座る薫には見慣れた景色なのか、ひどく退屈そうである。
「本当に欲しいものはないのか?」
「は、はい。お着物や帯はたくさん買っていただいたばかりですし」
朝食の席で、薫から「今日は銀座に行こう」と急に言われ、慌てて支度をさせられた白雪だ。
今、ここにいる理由さえはっきりしない。
「あのご婦人のように、ひらひらした着物は必要ないのか?」
薫が車の外を指差した。
そこには、断髪にクロッシェを被り、ローウエストのワンピースを着て、軽やかに歩くモダンガールの姿。
「わ、わたしには似合いませんから」
「着たことがあると?」
「いいえ」
「着たこともないのに、似合わないと決めつけているのか。浅葱、車を停めてくれ」
不動家の使用人で運転手の浅葱は、すぐさま車を停める。
聳える白亜のビルディングの根本、デパートメントストアの正面玄関前だった。
「さあ、降りるぞ」
先に降り立った薫が、白雪へと手を差し伸べた。
白雪は遠慮がちにその手を握り返し、車から降りる。
眩しい――思わず、顔に手をかざした。冬の陽の光が、これほど輝いて見えるのはなぜだろう。
目を細める白雪へと、薄い影が落ちる。奇妙なことに、薫がレースのパラソルを差し掛けてくれていたのだ。
こんな季節にパラソルなんて――その疑問は呑み込んだ。
「あ……ありがとうございます」
「すっかり良くなったな」
薫が白雪の顔を覗き込む。
「は、はい……お薬を塗る必要もなく、あっという間に」
気恥ずかしくなった白雪は、視線をそらしながら答えた。
口の端の傷は、それこそ一晩眠っただけで消えてしまった。
床に倒れた時、激しく打ち付けたはずなのに、体の痛みも全く無い。
不思議に思った白雪は、薫へと訊ねた。
「旦那様の術のおかげなのでしょうか?」
「…………」
すると、薫はしばらく考え込むようにしている。
余計なことをまた口にしたのだろうかと、白雪は気が気でなかった。
「まだ気にしていたのか。そんなものはさっさと忘れてしまえ」
薫にじっと見つめられ、動けなくなる。
やがて周囲の喧騒が消え、景色が色を失くした。
はらりと、パラソルが道へと落ちる。
薫の香りに包まれて、白雪は体が溶けていくような感覚を覚えた。
まるで時が止まってしまったかのような静寂。
「旦那様……」
「俺に身を任せろ」
薫の腕が、白雪を包み込む。
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