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「白雪はここでございます」
白雪は土間から板の間へ上がると、夜子の足元へひれ伏した。そうしなければ、夜子の機嫌を損ねると知っているからだ。
白雪にも誇りはある。
このような姿を見れば、きっと亡くなった母も悲しむだろう。
しかし、白雪が意地を張れば、他の女中に被害が及ぶため、そうするしかなかった。
「鏡を磨いておくよう、言っておいただろう?」
夜子は、白雪の髪を掴み、容赦なく引っ張り上げた。
「……っ!」
白雪はぐっと歯を食いしばり、痛みを耐える。
しとやかだった夜子は、変わってしまった。いや、こちらが本性だったのだろうか。対面は保てているものの、屋敷の中では傍若無人で、言葉遣いも振る舞いも乱暴だった。
「返事は? この間、鏡を磨くよう言っておいただろう?」
夜子が鬼のような形相で、白雪を睨みつける。
「い、言われた通りに磨いておきました……」
白雪は声を震わせながら答えるのだ。
「これが磨いたって? 粉々に割れているじゃないか!」
白雪の眼前に、割れた手鏡が突き出された。
「……わ、わたしは何も」
弱々しく答える白雪の顔を、夜子が腹立たしそうに抓る。
「まるで、私が言いがかりをつけているみたいじゃないか。そうじゃないだろう? お前が嘘をつくからこういうことになるんだよ。誰が悪いんだい?」
屋敷を守るため、辛抱強く耐えてきた白雪であるが、日々の仕打ちは時に我慢の限界を超えそうになる。
「…………」
白雪が黙り込むと、夜子は土間から草履を拾い、そばにいた女中めがけて投げつけた。
「ひゃあっ!」
顔に草履が当たった女中が蹲る。
そうしておいて、夜子は平然と問うのだ。
「誰が悪いんだい?」
「わ、わたしが悪うございました……」
慌てて額ずく白雪を見て、夜子は満足そうな顔をする。
「鏡もまともに磨けないグズのくせに、のうのうと暮らせているお前が羨ましいよ。これから、旦那様に代わって蛍川様のところへ行ってくるからね。うちの土地を少しばかり譲ってほしいそうだよ」
蛍川侯爵家は遠縁にあたるため、おそらく、明蝶家の財政難を見かねて、手を差し伸べてくれたのだろう。
「ああ、忙しい。忙しい」
これ見よがしに言いながら、悠々と夜子はその場を立ち去る。
女中たちは夜子に怯え、ただ青白い顔をして遠巻きに見ているだけだった。
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