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白雪がやっと食事にありつけたのは、すでに昼下がりのことだった。
しかも、たったひとつのにぎり飯だけ。
屋敷森の切り株に腰掛けると、疲れ切った体は、もう二度と立ち上がれそうにないほど重たく感じられた。
白雪はにぎり飯を頬張る。
「美味しい……」
口の中に広がる米の甘みが、ぼろぼろの体に染み入っていくようだ。
華奢な体はさらにやせ細ったように見える。
顔色も決して良いとは言えない。
一人になりたかったとはいえ、木々が陽を遮る森の中は、寒さが身に堪えた。
「あら、お前たちもお腹がすいているの?」
それでも、どこからともなくやってきた、うさぎや小鳥に微笑みかける優しさは忘れてはいない。
いつものように小鳥は白雪の肩に止まり、うさぎは耳をぴくぴくとさせている。
「ごめんね。今日は、お前たちが食べられるようなものを持っていないの」
うさぎが寄ってきて、足元から白雪を見上げてきた。
ぴょんと少しばかり遠のいたかと思えば、再び戻ってくる動作を繰り返す。
何かを知らせようとしているかのようだった。
「どうしたの?」
白雪はそっと腰を上げた。
そのまま、飛び跳ねるうさぎのあとについて、森へ分け入っていく。
うさぎは木の根本まで来ると、耳を倒して背中にぴとりとつけた。
周囲には、イガに覆われた栗がたくさん落ちている。
どうやら、白雪に栗を拾えと言っているようだ。
「わたしに栗を? ふふっ」
まさか、お腹の空き具合まで心配してくれているのだろうか。
白雪はありがたく思いながら、割れたイガから栗をいくつか取り出す。
「確か、栗は体を温める効能があるのよね。寒がりのわたしにはちょうどいいかも」
父の書斎にこっそり入っては、書棚に並ぶ書物を読み漁っていた白雪だ。もしかしたら、父よりも物知りかもしれない。
体が弱かったこともあり、活発な子供時代を送れなかった白雪にとって、書物や森の動物たちは友人の代わりでもあった。
「ゆで栗にする? 栗ごはんにする? それとも……」
ざわ、と木々が鳴り、白雪ははっとして顔をあげる。
ぞくぞくと悪寒が走る。鋭く刺すような視線を感じる。
すぐさま辺りを見回したが、人影らしきものはなかった。
それでも背筋はまだ冷たい。
「もう行くわね。ありがとう」
気味が悪くなった白雪は、うさぎに礼を言うと、そそくさと森を抜け出した。
すると、屋敷のほうから声が聞こえてくる。
「社長さんにもよろしくお伝えくださいね」
甘えるような声でしなを作る、夜子の姿が見えた。
どうやら、蛍川家への使いからすでに戻ったようである。
夜子の視線の先には男が一人。
「はい。では、また近いうちに」
チェスターコートを着て中折れ帽を被り、茶色い長い髪を一つに縛った、若い紳士だった。手にはステッキが握られている。
白雪は、はじめて見る顔である。
蛍川家の人間だろうか。夜子に気づかれないよう、そっと様子を窺っていたが。
ふいっ、と紳士の目が白雪を捉えた。
驚いた白雪は、ごくりと息を呑む。
紫の瞳――切れ長の目は、一瞬不思議な色をしているように見えたが、気のせいかもしれない。
紳士は何事もなかったように夜子へと頭を下げると、迎えの車に乗り込むのだった。
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