一、甘い毒

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 白雪がやっと食事にありつけたのは、すでに昼下がりのことだった。  しかも、たったひとつのにぎり飯だけ。  屋敷森の切り株に腰掛けると、疲れ切った体は、もう二度と立ち上がれそうにないほど重たく感じられた。  白雪はにぎり飯を頬張る。 「美味しい……」  口の中に広がる米の甘みが、ぼろぼろの体に染み入っていくようだ。  華奢な体はさらにやせ細ったように見える。  顔色も決して良いとは言えない。  一人になりたかったとはいえ、木々が陽を遮る森の中は、寒さが身に堪えた。 「あら、お前たちもお腹がすいているの?」  それでも、どこからともなくやってきた、うさぎや小鳥に微笑みかける優しさは忘れてはいない。  いつものように小鳥は白雪の肩に止まり、うさぎは耳をぴくぴくとさせている。 「ごめんね。今日は、お前たちが食べられるようなものを持っていないの」  うさぎが寄ってきて、足元から白雪を見上げてきた。  ぴょんと少しばかり遠のいたかと思えば、再び戻ってくる動作を繰り返す。  何かを知らせようとしているかのようだった。 「どうしたの?」  白雪はそっと腰を上げた。  そのまま、飛び跳ねるうさぎのあとについて、森へ分け入っていく。  うさぎは木の根本まで来ると、耳を倒して背中にぴとりとつけた。  周囲には、イガに覆われた栗がたくさん落ちている。  どうやら、白雪に栗を拾えと言っているようだ。 「わたしに栗を? ふふっ」  まさか、お腹の空き具合まで心配してくれているのだろうか。  白雪はありがたく思いながら、割れたイガから栗をいくつか取り出す。 「確か、栗は体を温める効能があるのよね。寒がりのわたしにはちょうどいいかも」  父の書斎にこっそり入っては、書棚に並ぶ書物を読み漁っていた白雪だ。もしかしたら、父よりも物知りかもしれない。  体が弱かったこともあり、活発な子供時代を送れなかった白雪にとって、書物や森の動物たちは友人の代わりでもあった。 「ゆで栗にする? 栗ごはんにする? それとも……」  ざわ、と木々が鳴り、白雪ははっとして顔をあげる。  ぞくぞくと悪寒が走る。鋭く刺すような視線を感じる。  すぐさま辺りを見回したが、人影らしきものはなかった。  それでも背筋はまだ冷たい。 「もう行くわね。ありがとう」  気味が悪くなった白雪は、うさぎに礼を言うと、そそくさと森を抜け出した。  すると、屋敷のほうから声が聞こえてくる。 「社長さんにもよろしくお伝えくださいね」  甘えるような声でしなを作る、夜子の姿が見えた。  どうやら、蛍川家への使いからすでに戻ったようである。  夜子の視線の先には男が一人。 「はい。では、また近いうちに」  チェスターコートを着て中折れ帽を被り、茶色い長い髪を一つに縛った、若い紳士だった。手にはステッキが握られている。  白雪は、はじめて見る顔である。  蛍川家の人間だろうか。夜子に気づかれないよう、そっと様子を窺っていたが。  ふいっ、と紳士の目が白雪を捉えた。  驚いた白雪は、ごくりと息を呑む。  紫の瞳――切れ長の目は、一瞬不思議な色をしているように見えたが、気のせいかもしれない。  紳士は何事もなかったように夜子へと頭を下げると、迎えの車に乗り込むのだった。
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