一、甘い毒

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 いよいよ、白雪の見合いの日取りが決まった。  夜子は上機嫌であったが、白雪の心は塞ぎがちだ。 「何ひとつ、自由に選べないなんて」  誰を恨むわけでもないが、家のためだけに生きねばならない身の上を悲嘆せずにはいられない。  納戸の布団の中で、白雪は咳込みながら寝返りを打った。  ここのところ体調が優れなかったが、今朝は特に体が辛く、まだ起き上がれずにいる。  せめて、呉服屋から新しい振り袖が届く正午までに身支度を整えなければ、また夜子の怒りを買うことになるだろう。 「白雪様、お体の具合はいかがですか?」 「キヨさん?」 「少し、開けますね」  戸が開き、キヨが顔を覗かせた。 「お食事をお持ちしましたよ」 「どうぞ、入って」  白飯と味噌汁と目刺しが載ったお盆が、白雪の目に入る。さっきまでは、何も喉を通らないと思っていたはずなのに、不思議とお腹が鳴った。 「キヨさん、いつもお世話になります」  白雪が寝込むたび、こうしてキヨはいつも食事を届けてくれていた。 「お気になさらずに。それと、これは奥様から」  ふわりと甘酸っぱい香りが広がる。  キヨが着物の袖の中から取り出したのは、赤い林檎だった。 「お義母様が?」 「ああ見えて、お優しいところもあるんですね」 「ええ……ありがたいことです」  白雪は半身を起こし、林檎を両手で包むようにして、感じ入っていた。  普段の白雪ならば、夜子がそんな気の利いたことをするわけないと気付いただろうが、さすがに心も体も弱っていたのだろう。ふと、夜子に、恋しい実母の面影が重なる。  嬉しい――涙がじわりとにじんだ。 「美味しそうな林檎……」 「白雪様がお嫁に行かれたら、寂しくなりますね」  キヨがしんみりと言った。 「まだ、決まったわけじゃないから」 「しかし、お相手の不動様、人づてでは恐ろしいお方だと聞いております。かなり手荒な真似をして、会社を大きくした方だとか……」 「そうですか……だけどお会いしてみなければ、分からないわ」 「そうですよね。お噂はお噂ですもの。きっと白雪様を気に入って大事にしてくださいますよね」 「気に入っていただけるかしら」 「ええ。もちろん。すっかりお美しくなられて。花嫁衣装もお似合いになるはずです」  白雪は困ったように笑う。しかしキヨは、はじらっていると誤解したようだ。 「これまでのことは忘れて、お幸せになってくださいね。私も、祝言の日が楽しみになってまいりました」  キヨは声を弾ませた。  キヨの気持ちは嬉しいが、素直には喜べそうになかった。涙が流れそうになるのを、ただ堪える。 「この林檎、いただくわ」  着物の袖で、白雪は林檎の皮をこすった。 「皮を剥いてきましょうか?」 「いいえ。このまま、いただきます」  口元へ林檎を運び、皮ごとかじりつく。  すると、舌にぴりりとした刺激が走った。  爽やかな果汁を期待していた白雪は、違和感を覚える。 「どうされました?」 「いいえ、何も」  気にはなったが、そのまま食べ進めた。  ところが、しゃりしゃりと果肉を咀嚼していると、段々と息苦しくなってくる。 「キ、キヨさん……わたし……」  喉が焼けるように熱い。目の前が白んでいくのを止められない。 「白雪様?」  ぼとりと、林檎が床に落ちた。 「はあ……はあ……」  白雪は、喉元を押さえて倒れ込む。 「白雪様! 白雪様!」  キヨの声を聞いたのを最後に、白雪の意識は途切れるのだった。
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