ch.7 Prima

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ch.7 Prima

 傾国とは、一体何をもって、どの時点で傾国となるのだろうか。  一般に傾国という言葉から思いつくのは、国を傾けるほどの美貌を持った悪女であり、意図的であろうがなかろうが、人を狂わせ国を傾けた瞬間に傾国となる。  恣意的でなくても、無意識でも。本人が気づかなくても。  国が傾けばそれは傾国なのだ。悪女だ。    ならば私はどうだ。  私のことを傾国と称したのは、蔑んだのは私を拾った聖女であったが、その聖女だって結局のところ私と同族だ。  いや、今はあの女のことはいい。とにかく私はなんなのだ、という話だ。  私は何で、何に成る。  悪女に進んでなった覚えは到底ないが、国を傾けた覚えはあるし人を狂わせた記憶も有り余るほどある。ならば、私もあの聖女と同様に、あるいは私の母と同じように傾国と蔑視されるべきなのかもしれない。  たとえ、それを望んで行ったわけではなくとも。  私自身がそれを忌むものとしていても。  ♦︎  母と孤児院を離れてから数日後、私は12歳になった。  11歳になった直後に父に孤児院へと追いやられたから、あいつとあそこにいたのは一年足らずということになる。  まさにモラトリアム。休息期間とも呼べる時間だったと今更ながら思う。あいつの隣がどれほど居心地が良かったのか。今更思い出したところで私の望みは変わらないし、やることも変わらない。  母と共に世間から隔絶されたような教会で信者の世話という名の蹂躙を受けるだけ。私の初潮は14で来たから、それ以降の方が後処理が面倒だったというくらい。  変わらない日々を淡々と過ごした。終わらない地獄を終わらないものとして受け入れ処理し続けた。だからと言って私自身が何も感じなかったわけではない。腑は常に煮えくり返っていた。許さないと、あの女や男たちに対する嫌悪と憎悪と不快感を大事に抱えて長らえていた。  付きまとうねっとりとした視線が気持ち悪かった。身体中を這い回る温度が気持ち悪かった。向けられて吐き出されてぶつけられる感情の全てが気持ち悪かった。  何もかもが気持ち悪くて吐きそうだった。  何度も死にたくなった。死にたくなったけれど、私の中の嫌悪感が、憎悪が、不快感が、それを許さなかった。  この感情は私だけのものだ。これを抱えながら私は、あいつらを決して許すことなく呪い続けてやると、それだけを思っていた。  私の母と呼ぶべきあの女はどうやら教会に属していたようで、騎士とは言わずとも祓いと禊を行える詠唱師であったようだ。  しかし自らの欲の果てを形にして、男を侍らせ己を教祖とした一種のカルト宗教を作り上げていた。この宗教の教訓や指標、戒律なんて知らない。それこそあの女自体がそうなのだろう。  それに私を巻き込んだのは、規模が大きくなって単純に手が足りなくなっただけ、ではないらしい。あれはあれで母たる愛情表現だったようだ。いや、自分でも何を言っているのかわからないし、あの女のことだ。実のところはそれもあってはいないのかもしれない。自分の生き写しのような娘であれば、自身と同じ悦楽を与えてやろうというのが母親の役目なのではないか、とのことだった。 「だって、こんなに楽しいのよ?今までは独り占めもいいかなって思っていたけれど、貴女なら。私の娘の貴女なら、私が与えてあげなければ、ね。私は貴女の母なのだから」  どういう風の吹き回しか。ただの気まぐれか。おそらく後者だと思うが、あの女は私に母親の役目として与えるという行為をするために、この地獄に引き込んだらしい。  とんだ迷惑だ。どころか、それを超えて異常だ。私以上の異常だ。狂っている。  今更母親の役目を思い出されても、こちらとしてはあの女に期待などはなからしていないし、できることならば父同様放って欲しかった。  そう思っていたが、これを引き起こしたのも私自身が引き金だった。 「貴女が孤児院に行ってしまう少し前にね。館を歩いている貴女を見たの。自分の娘の姿を見るなんて久しぶりで、なんだか感動してしまったわ。そして思ったの。綺麗になったのねって。きっと貴女はもっと美しく成長する。そう思ったら、私の手元に置いておきたくなったの。可愛い娘はたくさん愛でてあげなければね」  あの女が、母が狂っていたのは初めからだと思っていたが、さらなる狂いっぷりはやはり私自身のせいだった。私の特性は親にも適応されるようで、それならば逆に今まで両親に顧みられなかったことが奇跡だとも言える。  父はそれをわかって私を遠くへ追いやったのだろうか。  結局、母には捕まってしまったが。これも自身のせいだと思えば、諦めも納得も何もなかった。  自業自得と思いたくはないが、元凶は私だった。  私だけが悪くて、私のせいで、私だけが最悪なことになっているだけだった。  やはり、あの友人と離れて良かった。あいつまで狂ってしまったらもう、私は。  それこそ死んで償うだろう。  ♦︎  私が16になった頃、あの女は死んだ。   腹上死、というよりかは過激化した信徒による凌辱の果てに嬲り殺されたのだ。実の娘として持つべき感傷も、この地獄に引き摺り込まれた元凶の死による安堵も何もない。  ここで気づいた。私がこの母親に対して持っていた感情は、憎悪でも嫌悪でもなく哀れみであった。己の欲に逆らえずに狂い踊った挙句がこのザマだ。実にあっけなく、哀れな女の当然の末路であった。  当たり前だ。連日連夜、何年間もこんなことを続けていて、この女も、もちろん私も身体が無事であるはずがない。事実、私は毎夜行われる強姦に身体が耐えきれずに後天的に虚弱体質になってしまった。体力筋力が著しく落ち衰弱し続け、もはや男たちの相手どころではなくなっていた。伏せることが増え、その男らの相手がまともに務まらなくなった私の代わりを追加で請け負っていたのが、あの女であったのだがやはりあちらも限界が来たらしい。  逆にここまでよく持ったものだ。  あの女が動かなくなったと聞いて見に行けば、破れさられた衣服と巻き散らかされた体液、それと白い肌に鬱血痕が無数に残されたあの女の身体があった。  それを衣服を乱した無数の若い男たちが取り囲んでいる光景はもはや異常を通り越して、恐怖だった。  何があって、何をされて、何をやっても、もう手遅れだということはすぐにわかった。  そしてそれは己たちで嬲り殺した女の死体を取り囲んだ男らも同様に察したらしかった。先ほどまで蹂躙していた母であった遺体を見ていた目をぐるりと私に向け、じっとりと欲の目を向けた男たちも、もはやどうにもならないところまで来てしまっていた。  次は私なのだ。  そう直感的に感じ取り、麻痺していた防衛本能が音を立てて警告を鳴らした。  このままでは、私はこの女と同じ末路を辿りこの許し難い男どもに嬲り殺されるのだろう。  そこまでに考えが至ると、まるで目が覚めたかのように今まで受け入れていた異常をありありと自覚した。  このままではいけない。こんなことになってたまるものか。私はこいつらを許さない。家にいた最初から憎悪と嫌悪の対象はこの男たちであったのだから。  こんな奴らに私を好きにさせてなるものか。今まで散々欲をぶちまけられてきたのだ。ならば、この私の憎悪と嫌悪と不快感も然るべき対象へと返してもいいだろう。    母が死んですぐさま、男たちの欲の対象は全て私に向けられると察した私は、二の舞にならないよう即座に行動を起こした。  行動を起こしたと言っても、私がやったことはたった一つだけ。  助けて。  と、そう私を犯す一人の男にあるとき言ったのだ。  母が死んでから、このカルト宗教じみた教会の教祖は私にすげ代わっていた。つまり、全ての信者が私を必要とするということだ。  悍ましいことこの上ない。しかし、これを利用しない手はない。  助けて、私を連れてここを出ようとしている奴がいる。私はそいつに脅されている。あなたに助けて欲しい。  たった一人に一度そう言っただけ。それだけだった。  あの友人には言えなかったことを、こんなやつ相手には言えてしまう自分に不快感が増す。  しかしそれだけでこの外界から隔絶された教会は瓦解した。  私が告げた男は疑心に陥り躍起になって、私がいう架空の相手を探して吊し上げようとした。そしてその突然の異様な行動はすぐさま他の信徒にも伝播する。誰かが私を連れて抜け駆けしようとしている。それに乗じて自分こそが抜け駆けして私を独占してやろうと。  今まで母の博愛の情欲によって成り立っていた薄氷の上の様なバランスは、私の一言によって疑心が疑心を呼び、それが闘争となって表面に露出した。  それから先は数日と持たなかった。  先に手を出したのは一体誰だったのか。私が声をかけた男だったか、そうではなかったか。全くもってどうでもいいことだが。  一旦暴力が表出するともう止まらなかった。男たちは己が欲のために、今まで持っていても気づきもしなかった疑心を育てられそれを同じ信徒にぶつけ始めた。私はその騒ぎが収まるまで、高みの見物をしていればよかった。  低い声から発せられる怒号と罵声が飛び交い、人間の骨が砕ける音、教会の備品が壊れる音が絶えることなく響く。一人、また一人と倒れては動かなくなっていく男ども。その顔は苦痛に歪み身体は血に塗れていた。変形した腕にも構わずに相手を滅多刺しにする者、足をやられ動けなくなったところを袋叩きにされる者。  それを完全な安全圏から眺めるのはいい気味、とはとても言えなかった。  ひたすらにただただ無様で醜く、不快だった。私の中の憎悪と嫌悪は募る一方で、早くこの茶番が終わりやしないかと退屈して眺めていた。  夜もふけた頃だろうか。  ようやくうるさくて煩わしかった音が静まった。見てみると、男が一人立っていた。そいつはどうやらあの殺し合いの中で、残念にも最後まで生き残っていたらしかった。  100人以上の男たちの死体の中でも這々の体で立ち続け、片腕はひしゃげ、足を引きずり、顔面はもう腫れ上がって元の顔がわからない。そんな満足にも話せない状態のままに、見物をしていた私を見つけて何かを喚き立ててくる。  もう何を言っているかわからないし、分かりたくもなかった。見物を決め込んでいた2階の吹き抜けから顔を引っ込ませゆっくりと下へと降りていく。コツコツと自身の靴音が静けさの中、異様に響き渡っていた。  一階に降り切ると、不快な臭気が鼻をついた。自然顔を顰める。元から不快であったものを再確認してしまい、さらに不快感が増していく。  降りてきた私を視認し、近づこうとする男。そんなやつにかける言葉はもう、とっくに決まっていた。  もう他人を傷つけることに躊躇なんてしない。してたまるものか。 「そうね、見事。残念としか言えないわ」  迷わずこちらにくる男の足元に転がるものを見つけた。 「ねえ、私からの褒美が欲しいのでしょう。ならとっておきをあげるから」  それを取って、と男の足元のものを指す。  屈むのもやっとの男が私のいう通りに拾い上げたのは何人もの血でてらてらと濡れたナイフだった。 「刺して」  男がナイフと私を見比べて困惑しているのが手に取るようにわかる。本当にイライラする。腹が立って仕方ない。こっちは早く終わらせたいのに。 「お前の首を、それで、刺して」  一瞬の困惑のうちに首を振る男。分かりやすく言ってやったのに見苦しいな本当に。 「ダメなの?どうして?私の言葉をあげるのに。ちゃんと果てるまで見ててあげるのに。私のために、死んでくれないの?」  私お前に死ねといっているのに、とそこまで言って、ゆったりと母を思い出しながら笑みを与えてやる。  すると男は途端に目が虚になり、ひしゃげていない方の腕でナイフを自身の首へと持っていく。ずぐりと、ゆっくり確実に差し込まれていくナイフに男は堪らず喘鳴をあげる。しかし、自身の手は止まらずナイフを首の奥へと差し込み続ける。ついには倒れ込みじたばたともがき苦しみ、数分かかってようやく雑音も何もかも、この教会から消えたのだった。   「無様」  最後まで見苦しくて吐きそうな死に様を見せつけられて、ため息しか出てこない。不快に不快を上書きされてどうにかなりそうだ。しかもここから出るためには倒れ込んでいる男どもの死骸を踏みつけていくしかない。  また一つため息をついて、私は12歳から16歳の4年間、出られることができなかった扉を目指して骸を踏みつけた。  ♦︎  外へ出ると先ほどまでの腐った臭気を一掃する風が頬を撫でた。上を見ると雲間に星が見えたが、月はなかった。  清々しさや安堵感よりも、ようやくかといった疲労感が身体を満たして冷水を頭から浴びて眠ってしまいたくなる。あの教会での温度や臭いや感触を全て洗い流したい。  さてもここからどこに行こうかと思案していると、街があるはずの方角から馬がかけてくる音が聞こえた。しかも一頭や二頭ではない。一つの蹄の音は私の前で止まり、馬上にいたのは教会直属の騎士の制服を見に纏った壮年の男性だった。 「お嬢さん、ここの教会の方でしょうか?」 「はい。ここにいました」  特に嘘をつく利点も思いつかなかったので正直に話す。  男性は後ろの部下たちに教会の中へと入る様に指示しつつ、私への尋問を続けた。 「ここで何を?」 「母に連れてこられて……」  説明を続けようとしたとき、教会内を調べていた騎士たちが騒ぎ出した。 「団長!」 「どうした。まだ調査は始めてもいないだろう」 「違うのです。中で、人が……」  お嬢さん少し失礼、と男性が教会内に確認に向かう。  大方この騒ぎの原因に予想はついているけれど、私に取ってはもう何の感慨もない。考えていたのは早くここから離れる方法だった。頼めば馬に乗せて行ってはくれないだろうか。歩きで街までは遠すぎる。  確認が済んだのか、更なる指示を部下にし、しかして男性は戻ってきた。 「貴女には聞きたいことがたくさんある。一体、何から聞けば……」  そう言い淀む男性に、仕方なしと私から声をかけた。 「私のせいよ。私が全てやった。けれど私は何もしていないわ」 「それは、どういう……」 「私は、悪くない」  ♦︎  あの教会内の惨状があの団長と呼ばれていた騎士の手に余るものだったのか、私の尋問は教会の本部のある聖都で行われる様だった。図らずもあの場から騎士団の護衛付きで離れることができ、私は聖都の教会本部で預かりの身となっていた。  そうはいっても待遇はあの教会内でのものに比べれば天と地ほどの差があった。私を犯すものはいなく、一応拘留ということで誰の目にも止まらない場所に部屋をもらうことができた。あてがわれた部屋も清潔で拘留だろうが、ずっと監視監禁されていた様な身としては人の目が入らないのは好都合だし、待遇も個人的には申し分なく悠々とすごさせてもらった。  後で聞いた話だが、あの場に騎士団が来ていたのは1番近い街からの通報があったかららしかった。たまにあそこからくる男性たちが不審だと。   その到着に私の脱出が噛み合ったのは本当にただの偶然で、私としては幸運だった。だって先に騎士団が来ていたら、私がやることは無くなってしまっていただろうから。  自分の受けた感情は自身で蹴りをつけたかった。  私の尋問はあの騎士立ち合いの元、女性の聖職者が行うことになった。しかし、尋問されている側の私がいうのも何だが、何回かに分けて行われた尋問は全て無駄に終わった様に思う。だって私が肝心な部分をはぐらかしているのだから。  私が孤児院から母親に連れてこられて監禁され凌辱されていたことは話した。今更言い淀むものでも恥じるものでもない。しかしその後の100人以上に上る信徒の散々な死骸については、わからない、知らないの一点張りを貫いた。  勝手に争い出して隠れていたらいつのまにか終わっていたから外に出られた、とまあ事実である。その元凶が私の言動であることを除けば。  それをいったところで何になる。私自身持て余していた魔性をどう説明すればいい。  私はあの教会でただただ嬲られていたわけではなかった。ある種の実験も行っていたのだ。  私の魔性はどこまで通用するものなのかと。まずは情事の際に誘導を。その次に食事の献立や軽い命令を聞くかどうか。そこまでであれば、私の母親が教祖という立場からの指示ということで言うことを聞くこともあるだろう。特別指示されたものは意に反するものでもなし。  しかし、あの教会において絶対的に行わなければならないのは私と母を犯し尽くすことであって、本来ならば私が伏せったからと言ってその役目がなくなるはずはないのだ。  あの男たちは本来私たちがどうなろうと犯すことをやめない。私の母が死ぬまで犯された様に。私たちを犯さないと言うこと自体が、あの男たちの意に反することなのだ。  けれど私はその役目を何度も逃れることができた。毎夜私を嬲りに来る男たちに、今晩はできないと微笑みかけ、それを納得させた。意に反することを飲み込ませたのだ。  そもそも、私の言葉一つで数日かからずの早さで狂い壊れる様な集団なんて、カルト的であってもあり得ないだろう。  それくらいの魔性を自身は持ち合わせていると言うことを、私はあの教会でようやく自覚した。  例え意に反することであっても、死に至るほどのことであっても、私に見惚れた時点で狂い壊れ私の言葉には逆らえなくなる。  それに気づいた時に利用して逃げ出さなかったのは、本能的に母親に逆らえなかったからだった。母も私と同様の魔性に近しいものを持っていたことは何となくわかっていた。母と娘の関係に加算して私も母に当てられていたのだろうか。  しかし、私が役目を放棄した日は母の負担が増えそれが間接的に母を死に至らしめたともいえる。娘を閉じ込め続けた母と母を死へと歩ませた娘。お互いがお互いに首を絞めあってて、これはこれで落とし所としていいのではないだろうか。  つまりは、その私の魔性を尋問で話したとしても私でさえも意味がわからないのだから、他人に理解なんてされるわけもないだろうと、そう思ったのだ。  しかし、そんな私を唯一理解できた者がいた。  それが今代の聖女であるヴェレーアだった。    ♦︎ 「おはよう、オルドレット。会えて嬉しいわ」  教会本部でも一際高い神が座す真白な巨塔の上層で、同じく真白の部屋で真白の天蓋ベッドに鎖で繋がれ花嫁の如くヴェールのみを纏った裸体の女がいた。  こいつが今代の聖女らしい。が、どうして自分がここにいるのかわからない。  私の尋問が無駄に終わり、あの惨状はカルト集団の暴走として処理され私は解放されるはずであった。なのに何故か今、聖女の部屋に一人で通されている。 「私はヴェレーア。ふふ、私の名は他の人には内緒よ?貴女にだから教えるの。貴女のことはシュタインから聞いているわ」  本当に意味がわからない。最初から何を言っているんだこいつは。  この世界で最も尊ぶべき神の最も近くにいる存在である聖女を前にしても、神に祈ったこともなく、はなから信仰心なんて全くない私にしてみれば怪しげな女にしか見えない。それどころか、何となく既視感を感じる。  そしてこいつなんか苦手だ。 「ガレッタはロザリオに取られてしまったけれど、ようやく貴女を見つけることができた」  意味のわからないことを宣い続ける聖女の言葉に聞いたことのある単語を見つけ、つい聞き手に回ってしまう。 「おめでとう。貴女が次の聖女。私の後継よ」 「は?」  ちゃんと聞くんじゃなかった。ちゃんと聞いても意味がわからない。 「これで私も代替わりできるわ」 「待って、何を。聖女って、私が?あり得ない」  信仰心も全くない自分が、と言い連ねようとするとヴェレーアは首を横に振って私の言葉を遮った。 「誰彼構わず魅入られたことは?」 「え?」 「貴女のせいで狂い壊れた人間は何人いる?」 「待って」 「貴女の言葉に従わなかった者は?」 「なんで、それを……」  知っているのか。  にこりと艶のある笑みを浮かべる聖女。それを見て気づく。そうか、わかった。こいつあの女に、母に、似ている。 「聖女になるには条件があるの。実は今代の我が主は少し特殊でね。それが聖女にも関わってくるの」  見てもらった方が早いわ、とじゃらじゃらと鎖を鳴らして私が入ってきた方とは違う奥のカーテンに隠された扉を開ける聖女。 「ここから最上階に行けるわ。貴女はもう無関係じゃない。私が見出してしまったから。ごめんなさいね」  ちゃんと戻ってきてね、とそのまま本心から申し訳なさそうにしている聖女に、通常の人生ならば一生行くはずのない神が座す巨塔の最上階へと送り出された。  ♦︎  何の心構えもなく神に対面させられるのは、流石に想像してなかったために僅かに緊張が滲む。引き返したってヴェレーアがいるだけで、先に進むしかない。何をしたってヴェレーアの言う通りにするしかない。本能的にわかる。  あれは紛い物の母とは違う。本物だ。私の魔性は効かないだろう。それと同時に自身と似た様な感覚も覚えていた。  最上階は当たり前だが太陽がこの世で最も近く、円形の丸い部屋も真白で日光が反射して扉を開けた瞬間目が眩んだ。しかしその眩しさに目が慣れた頃、中央にいる人物から目が離せなくなる。  人だった。  否、人ではあった。  人の形をした何かだと生理的な拒絶感が言っている。  美しい男性だった。淡く光を受けるアイボリーの髪は立っていても床に垂れるほど長く、佇んでこちらを見るグレーの眼はどこか虚ながらも見つめていると目が離せなくなりそうな恐怖を感じた。   「「「誰」」」  男性から発せられた声に思わず耳を塞ぐ。  金属が擦れる様な音、男性の声、それ以外の何かの声。とにかく、何重にもなった音があの男性から声となって発せられていた。聞くだけで、頭がぐらぐらして足元がふらつき立っていられなくなる。 「「「次の子?ごめんね。我慢して。きっとあの子の様にすぐに慣れる」」」  慣れると言われたって、聞こえてくる音は一音一音違う重なりの音でついには頭痛までしてくる始末だ。頭の中を音でぐちゃぐちゃにかき混ぜられる感覚と、この男性を前にした時の生理的な拒絶感が混ぜこぜになって思わず膝をついて嘔吐する。 「「「もう、持たないね。さあ、行くといい」」」  その言葉を数分かけて理解し、私はその場から駆け出した。  ♦︎  駆け出したと言っても、方向感覚がめちゃくちゃにされ眩暈で視界が点滅する中走り出したものだから、ヴェレーアの部屋に戻るまで何度壁にぶつかったことか。  戻って気がついた頃にはヴェレーアのベッドで横になっていた。 「おかえり。我が主には会えた?」 「あれは、何」  純粋な疑問だった。あれは何だ。あの人間に対する拒絶感を植え付けるあれが本当に神と呼ばれていたものなのか。 「神様よ。間違いなくね」  ベッドに倒れ込み、未だ動けない私の長い髪を梳きながら聖女は微笑む。 「紛い物ではあるけれど」  紛い物。つまりは偽物。でも神ではあると言う。 「昔はいたのよ?本物の神様。でもある時、その神様が困っている人々を助けるために神様を辞めてしまわれて、それから本物の神様はいないの。今の神様は紛い物。紛い物でも信仰があれば、器があれば神になる。望まれたものに人工的に作り上げることができる。あれは、そう言うもの。あれを神と呼べば、それは神様なの」  つまりは観測する側の問題だと言うことだった。いくら偽物であろうとも、それを神だと信ずるのであればそれは神に相違ないと。  なんだそれ。見る側の問題で、見たものの内面が表面化したものなんて。 「まるで、怪異でしょう」  そう、聖女は私の頭の中を見透かした様に続けた。 「人間の恐怖や不信といった感情の表出先が怪異なのはわかるわよね。しかも、それを観測する者がいなければ、それに恐怖と言った様な感情を乗せて見なければ怪異は怪異たり得ない。怪異を見るものが、語り継ぐものがいなければ怪異は出現できない。信仰だって神様だってそう。実際、怪異の出現と信仰って同じ様なものなのよ」  ならば。あれが怪異というならば。あの中身は。 「あれの中身には怪異も混ざってる。怪異の集める恐怖や畏怖だって信仰と表裏一体なの。教会は強い怪異を狩った時には、それをあの神に繋ぎ合わせて信仰という核を強化していっている。だからあれの中身はもう数え切れないほどのものが混ざり合っている。自我なんて、あるのかしら。それでも神と呼べる範囲の姿を保っているのは皆の信仰心の賜物ね。これを知っているのはごく少数の人間だけだけれど」  それでは全く逆ではないか。神がいるから信仰が生まれるのではなく、信仰があるから神がある。  ならばもう神なんていないも同然で。 「そのために聖女がいるのよ」  やはり私の頭の中は見えているのだろうか。ヴェレーアは私でさえ見惚れそうな笑みを浮かべてこちらを見る。 「悪魔は人心を惑わして気を触れさせる人災を引き起こし、魔女は西で戦線を敷いて現在も戦闘中の戦災。吸血鬼は突然に人を間引いていく天災。最上位の怪異と渡り合うには、もう信仰の対象が神だけでは足りないのよ。ならば他で補うしかない。そのためには万人を魅了するだけの求心力が別に必要になる」    国を傾けるほどのね、とようやく体を起こせる様になった私を正面から見やる。 「聖女には傾国とも呼べるほどの魔性がなければならない。それが神の、信仰の助けになる。だから、私の次は貴女なの」  わかってくれた?と、言われても何もわかるはずがない。  今度の私の末路がこの女と同じここに繋ぎ止められるものであることは明白だった。  どうしてこうも、最悪なんだ。 「……嫌よ」 「これは嫌だとか、そう言った問題ではないの。わがままを言わないで。ね?」  黙り込む私を後目にヴェレーアはぱちんと手を叩く。 「今夜、夜会があるの。貴女のお披露目をするのよ。ぜひ出てちょうだいね」 「だから、嫌だって」 「ダメよ」  ダメなのはこっちだ、なんだか調子が狂う。嫌でも母とヴェレーアが重なってしまう。本能的に拒絶できない。 「教会の守護範囲はこの国だけではないの。隣国の王様たちや枢機卿もくるから、ちゃんとお淑やかにね?」 「……」  また、逃げられない。  
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