新たな門出には、最高の笑顔で

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 頼りたいときに頼れる人というのは得てして少ない。私たちはそのことをよく分かっていた。お互いの直近の元恋人は意外と似ていて、どちらも我慢ばかりする関係だった。亮は自分のことはいいや、と相手のために動き、私はなんでも謝って合わせてきた。違ったのは、亮がそれをあまり苦にはしていないことだった。それだけ長い間、自分を殺して付き合いを続けていたのだろう。私は苦だった。だから別れたのだ。私から。そうして、亮とこうなった。  必然だったのかもしれない。私たちがこうなったのは。けれど、やはり両親はどちらも良い顔はしなかった。互いの両親との話し合いはかなりの長い月日を要した。  ”従兄弟同士なんて世間体が…”  ”そんな子に育てた覚えはない”  そんな言葉が飛び交ったけれど、根気よく話し合う道を私は選んだ。亮はもう勝手に住み始めちゃおっかと言ったが、私は父はまだしも母にはどうしても認めてほしかった。私にとっての母は、ずっと尊敬の対象であり、良き理解者でもあった。今回のことも正直理解してくれてはいたのだけれど、父が認めてくれないと母とも会う機会が減ってしまう。それを恐れてのことだった。できれば父にも認めては欲しかったのだが。  そんな風に過ごす日々は、私たちを珍しく消耗させた。生来繊細な私の性格では、その物事についていけるだけの精神力がなく、亮に頼る生活になっていたのだった。  不思議なことに、亮は病むことのない人だった。悩むことも葛藤ももちろんあるのだろうけれど、落ち込んでふさぎ込むことがなかったのだ。それどころか、いつも私を励ましてくれていた。亮とでなかったら私はやっていけなかったかもしれない。そう思えるほどに、亮の性格は私を救ってくれた。彼を選んでよかったと、何度思ったか分からなかった。  そうして一年近くをかけて私たちは(ようや)く、両親からの許しを貰えたのだった。亮の方の両親は、お互いが決めたことなんだから、と途中からは思いのほか口をはさむことはなかったので、ほとんど私の両親との話し合いに一年が使われたのだった。  とはいえ、これは同棲を認めるという話し合いであって、結婚の許しを得たわけではなかった。一年かけてやっと。やっとここまできたとき、私たちには同志のような絆が出来上がっていた。そうなって、私たちはもう結婚してもいいんじゃないかという思いを持ち始めていた。とはいえ、まだ一緒に住んでみてもいない関係では時期尚早だと私が言って、まずは同棲から始めようという運びになったのだった。
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