嗤う稲

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 首相官邸で田岸総理(たぎしそうり)は農林水産大臣の村野(むらの)に詰め寄った。  「無責任じゃないか!」  だがしかし、村野の表情に変化はない。  田岸は思った。  (こいつ、勘違いしやがって! 最大派閥の大森先生のプッシュがなければ、大臣に選んでないんだぞ!)  田岸は忌々しげに、唇の薄い、眼鏡の男をにらんだ。  だがやはり、村野の表情は崩れなかった。  禿頭で背の高い村野は田岸にとって、大森派という大きな壁に見えて仕方ない。それを後ろ盾に村野は常に彼の前でも面従腹背の態度を崩さないいる。  それがますます田岸の神経を逆なでるのだった。  「何が問題なんですか? 総理――きょうび遺伝子組み換え食品など当り前ですよ、ゲノム編集で新種の農作物を生み出すなど、何処の国でもやっているじゃないですか」  「しかし、全部の稲に人の致死量の三倍もの放射線を浴びせて栽培するなんて無茶もいいところだ!」  「総理、放射線育種は珍しいものではありません、そうやって突然変異をうながし土壌に存在するカドニウムなど有害な物質を吸収しない稲を栽培できるんです。いいことではありませんか? もう、国民をイタイイタイ病の脅威にさらさなくていいんですよ」  「しかし、カルシュウムやマンガンなどの健康に必要なミネラルまで採取できなくなるじゃないか、とくにマンガンが不足すれば女性は出産できなくなってしまう。これは人口の減少を加速させかねない」  「サプリメントがあればデメリットはリスクヘッジされていくはずです」  「ややこしいな、危険が回避されると言いたまえ……。それじゃ栄養補助食品を買わなければ国民は子孫どころか自分の健康維持も出来なくなってしまうぞ! マスコミが君と薬剤会社の癒着を問題にして嗅ぎまわっているという噂を秘書から耳にしたが、あれは本当だったんだな!」  「官房長官も承知していることです。癒着失くして、なにが政治です! 総理だって票田に補助金をばらまいて派閥を維持してるんじゃありませんか、世の中のカラクリですよ」  「しかし、マスコミが騒ぐと支持率に響く、来月は地方選挙もあるんだぞ」  「大丈夫です、しっぽを握られるようなヘマはしておりません。それに先ほどから国民の健康被害を心配しておられるようですが、気に病む必要はありませんよ……。これは自然な流れなんです。豊かな暮らしや食の安全など過去のものです。ライフスタイルをチェンジさせないと駄目ですよ。これからは自分の身を護るために、ひたすら国民は稼ぎ、子孫の繁栄を望むなら薬品会社を頼って生きていくんです。つまり貧困層は結婚や家庭をあきらめ、寂しく孤独死を選んでいただくしかない。そんな時代になったんです」  「そ、それじゃ奴隷じゃないか!」  「冗談じゃありません。奴隷に職業の選択なんかありませんが、国民には人生の選択肢が残されているではありませんか」  「そ、それは詭弁だ。結局、国民は生活を脅かされながら生きるしかないんだからな」  「まさか、総理にロジックなど使い筈がありません――ちゃんとアカウンタビリティをはたしているつもりです」  「横文字で表現するな、さっきから耳障りでいかん、だいたい官僚が煙に巻くときの常套手段じゃないか!」  「総理、ネクストジェネレーションに努力をうながし、コンペティションさせるのは当然のサステナブルでしょう? それが正当なるエピデンスというものです。遺すなら優秀な遺伝子を持った人間に限ります。劣った人間まで面倒を見切れませんよ、グローバルなイノベーションにシフトチェンジすべきです」  「へんてこなグローバリズムを振り回すな! 国が滅んでしまうぞ! せめて安全が確認できるまで先延ばしに出来ないのか! 延ばすだけ、延ばせばいいじゃないか! いや、延ばすべきなんだ!」  すると村野は落ちこぼれの生徒を見る教師のような悲しげな表情になって、首を横に振った。  「総理、もっとマクロに世界を考えましょう。全世界の人口は、八十一億人以上なんですよ。もうすぐ百億になってしまいます。そうならない様に人口を三分の一にしないと駄目なんです。日本はそのモデルケースとして世界に貢献するんじゃないですか」  「な、なんで日本だけで、そんな生体実験をしないと駄目なんだ!」  「はっきり言いましょう、我々はカラードだからです」  「有色人種と日本語で言えって……」  それを無視して、村野の話は続く。  「悲しいかな、今だって日本の国土には米軍基地があちこちにあるんですからね、もし横須賀基地から攻撃されたら東京などひとたまりもありませんよ、知っておられるでしょう、アメリカとの密約で日本の国土のどこでも基地は建設できるし、航空法も守らなくていいんです。いきなり攻められたら打つ手がない」  「くっ……」  思わず田岸総理は声を詰まらせた。  彼は思った。(そうなのだ、所詮は差別主義のKKKなんかがある国だ。下手に逆らえば何をするかわからない。こっちは丸裸同然で、連中の気分次第ですぐ滅ぼされてしまう。そもそもアメリカ政府と交渉したくても、経済が縮小した日本では連中と対等に交渉するカードがない)  そんな田岸に、こう村野は告げた。  「計画を延ばすのは禁物です。迅速に行動しないと、それこそ日本は滅んでしまうんです」  その言葉を聞きながら、田岸は悔しがった。  「くそう、円安が続き、今や日本は全世界の国々からモルモットになるように強要されるほど国力を落としてしまっているのか! これは新たな戦争の始まりだ! 互いの国民の数を減らすために国々は欠陥がある農作物を輸出するようになるだろう。食料自給率が大きい国ほど強くなる。そうなったらどうなる?」  村野から返事はない。  田岸の頭に互いの尾を口に入れて、吞み込もうとする二匹の蛇の姿が浮かんできた。  彼の想像の中で、蛇でできた輪は徐々に小さくなっていく。                               了                        
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