2

1/1
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

2

「あっ……」  なるほど、と思った。それと同時に、彼女はほっとした。いや、ほっとしたかっただけなのかもしれない。だが、いずれにしてもこの日がエイプリルフールであることは、彼女の心をいくぶんか落ちつける材料にはなった。 「そうだよね。そんなわけないよね」  ズキズキ痛んだ胸をほっとなでおろす。おもいのほか鼓動が早くなっている。でも、大丈夫。これは嘘。今日はエイプリルフールなのだ。彼女はしきりに自分に言い聞かせた。  短い着信音が鳴った。彼女の持つスマートフォンに新たなメッセージが表示される。相手はケイだった。 「そういえば、おれ、ぴったり相性のいい子見つけちゃったんだよね。おまえはバカだから、ずっと気づいてなかっただろうけどな。おまえみたいな女とつきあってても未来なんてないし、だから、おれは自由に遠くに行くからな。じゃあな! あ、そうそう。おまえ、くれぐれもおれの部屋にくるんじゃねーぞ。まじ、そういうのもう迷惑だから」  草を生やし散らかした文章に彼女の呼吸は苦しくなった。嘘だとしても、これはさすがにやりすぎだ。すぐに電話をかける。コール音が鳴る。しかし、出ない。鳴らしても鳴らしてもケイは電話に応答しない。 「まさか、本当に?」  捨てられたかもしれない。そんな思いが頭をよぎる。でも、いや、まさか、だって今日はエイプリルフール。その事実だけを心の糧に彼女はベットから飛び降りる。  彼の部屋に行ってみよう。  そう彼女が決意するのに、時間はかからなかった。  今なら平気だ。バレずに行ける。大丈夫。彼女は走った。彼が一人暮らしをしているアパートに、サンダル履きで急いで向かう。  大丈夫。彼はこの時間アパートにいるはずだ。今日が休みということは事前に聞いていた。それどころか、その日、ケイはチヨのところにひさしぶりにきてくれる予定になっていたのだ。  チヨはケイが二人の未来のために、仕事のほかにアルバイトをかけ持ちして毎日へとへとになるまで頑張ってくれているのを知っている。 「チヨのためなら、いくらでも頑張れるし、なんでもできるから」  そう言ってくれていたケイをつい最近まで見ているのだ。  だから、彼からのメッセージがただの嘘だと思いたかった。ちょっとしたエイプリルフールのドッキリを仕かけられただけだ。それならば、彼が自分のところにくるまえに、チヨの方から彼の部屋に乗りこんで、たくさん泣いて、たくさん怒って、彼が謝ればそれで話が終わる。 「おまえ、しつこいし、メンヘラっぽいし」  ケイから届いた先ほどのメッセージの一部を思い出す。たしかに、チヨの愛は重い。彼女のまわりには誰もいない。親もいなければ親戚もいない。お金もなければ、将来の希望だってない。正真正銘、ケイだけが彼女の心のささえだった。そんな彼がいなくなってしまうことは、彼女にとっては死を意味するのだ。 「お願い。ケイくん。これが全部嘘だって言って」  彼女は走った。余裕はない。たった数百メートル走っただけで、息は切れ心臓は悲鳴をあげる。目からは涙が、口からはよだれが流れる。化粧をしていなくてよかった。普段は化粧をしていない自分の顔を見られるのが嫌なのに、そのときばかりはノーメイクであることがありがたかった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!