17話 恋人

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17話 恋人

 僕がそう聞くと、少しキョトンとしていた。いきなりすぎたかな……そう思っていると、優しく抱きしめてくれた。 「実家暮らしですよ」 「……泊まったの、大丈夫だった?」 「何がです?」  不思議そうに言ってきて、この人少しは考えてよ。僕のとこに泊まるって言ったのかな……。  なんて言ったのかな……お見合いの時に、ご両親に会ったけど……まともに挨拶してなかったのに。  今思うとすごく失礼な奴だったよね。あの時は付き合う気なんてなかったけど、今はその……付き合っているのに。  そんなことを悶々と考えていると、ニコニコ笑顔の彼にメガネをかけられた。 「何がって……外泊したのに……その」 「もちろん、恋人のところに泊まるって言いましたよ」 「こいび……そう」 「はいっ! 恋人です」  とびっきりのスマイルで言っていて、本当に綺麗で洗練されていた。朝日よりも眩しくて、直視できない。  心臓が持ちそうにないから、僕は彼の腕から脱出してベッドから出て立ち上がった。後ろから、捨てられた子犬のような眼差しを向けてきていた。 「そ、その……朝ごはん、食べるでしょ……スーツも取りに行かないと」 「そうですね……俺も手伝います」  いつの間にか立ち上がっていた彼に、後ろから抱きしめられた。耳元で囁かれて、途端に体の熱が急上昇していった。 「か……勝手にしたら」 「分かりました。勝手にしますね」  ニコニコ笑顔の彼に手を引かれて、リビングに行った。するとドアがガチャと開いて、凛斗が入ってきた。  手を繋いでいる僕らを見て、一瞬目を丸くして驚いていた。そうだよね……誰とも付き合わないって言ったのに。  でも彼となら、大丈夫って今度こそ信じてみようと思った。だから僕が口を開こうとしたら、鬼の形相の凛斗に怒られた。 「りん」 「どういうつもりだよ。言ったよな……律に近づくなって」 「えっ……どういう」  凛斗が見ていたのは、僕じゃなくて金城くんだった。訳が分からずに、呆然と立ち尽くしてしまった。  その間も二人は、ずっと睨み合ったままで何も言わない。それでも彼は、ずっと僕の手を握ったままだった。 「藤島先輩。俺と律さんは、結婚を前提にお付き合いすることにしました」 「なっ……えっと」 「律、それは本当か」 「あっ……えっと、うん」  僕が静かに頷くと、凛斗は何も言わずに苦虫を噛み潰したよう表情をしていた。そして持っていた袋を、キッチンに置いて出て行ってしまった。 「凛斗……」 「律さん、朝ごはん食べましょう」 「あっ……うん」  凛斗のことが気がかりだったけど、何となく今は追いかけないことにした。それから僕たちは、凛斗が持ってきてくれたおかずを食べていた。  ソファに隣に座って僕たちは、身を寄せ合っていた。夏真っ盛りで暑いのに、その熱を手放すことができない。  チラチラと彼の表情を盗み見たけど、何かを考えているのか上の空だった。凛斗と僕の知らないとこで、話したのかな……。  律に近づくなって、どういう意味なんだろう。最近……凛斗の考えていることが、本当に分からなくなってきた。 「律さん……俺は何があっても、律さんを裏切ったりしないです」 「……えっと、急に何を」 「湊から聞きました……昴との間にあったこと」 「あっ……そうなんだ」  勝手に人のこと、ベラベラ言わないでよ……湊くんは僕のこと心配して、善意で言ってくれたんだ。  ……そんなこと考えてはいけない。頭では分かっていても、少し悲しくなってしまう。すると食べるのを止めて、抱きしめてきた。  僕も彼の背中に腕を回して、抱きしめて……胸に顔を埋めて、無性に泣きたくなってしまった。 「律さん、そんな簡単に人を信じることはできないと思います。絶対に何があっても、俺は律さんを傷つけないです」 「かなし……ろくん」 「そんな辛そうな顔しないで下さい……俺が一生をかけて、全力で守ります」 「うん……」  両頬を触られて優しく包み込まれて、溢れてくる涙を拭ってくれた。本気の眼差しを向けていて、目を逸らすことができない。  その時の表情が、愛おしいものを見つめるような感じだった。その表情を見て彼のことを、本気で信じることを決意した。  それからというもの、何度も僕の家に来ては一緒に過ごした。しかし一つ気になることがあった。 「金城くん、金城くんってば!」 「あっ……えっと、なんでしょうか」 「……どうしたの? 具合でも悪い?」 「だ、いじょうぶ……です」 「そう……」  こんな感じで一緒にいても、何処か上の空でボーとしていることが増えた。付き合う前は、当たり前のようにしていたキスをしなくなった。  別にその……したいわけでも、したくないわけでもないけど……心配になってくるぐらいに、何も言わなくなってしまった。  それでも僕を見つめる瞳は、相変わらず優しくて温かい。好きという想いが、なくなったわけではないと思う……。  その点については、心配いらないと思う。今回は本気で信じてみようと思ったから……。 「はあ……」  今は平日の昼間で、金城くんは仕事に行っている。彼のご両親が僕たちの関係を知っているということは、当然僕の両親も知っていた。  両親にはやっと、いい人と巡り会えたって……電話口で泣かれてしまった。相当心配をかけていたんだなって……。  それはそれとして、仕事をしているんだけど……彼のことが気になって、集中できずにいた。  週に一回しか遊びに来ないし、連絡も僕からしないとしない。もしかしたら、仕事の邪魔になると思っているのかも。 「普通の恋人の距離感が、分からない」  漫画やアニメとかなら、喧嘩はしても直ぐに仲直りする。それはこの人とこの人って、決まってるから。  でも現実は違うんだよね……そんな簡単には、物事は進まない。彼だって悩んでいるのかもしれない。  誰かと付き合いたいって思うの、初めてだって言ってたし。だけど僕たち、二人のことなんだから相談ぐらいしてよ……。 「付き合う前の方が、距離が近かったような気がする」  もしかしたら、あの時……しそうになった時に、僕が拒否してしまったから? だって、あれは下着云々も含め……他の準備も必要だったから。 「分かってると、思うんだけど……はあ」  その日の夜。リビングで彼からもらった紅茶を飲んでいた。レモンティーか……あんなに、毛嫌いしていたレモンも今では気にならなくなった。
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