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31話 少し寂しい
僕は静かに離れて、黙々と作業を開始する。彼はそんな僕を見て、優しく笑って作業を開始してくれた。
「律さん、頼まれた分。できました」
「早いな……因みに、美術の評価は」
「確か……四でした」
それなら、ちょっとやらせてみてもいいのかも。そう思ったら吉日ということで、トーンというシートを貼ってもらおう。
簡単なやり方を教えて、使った後のトーンの端っこで練習してもらう。力を入れすぎると、切れてしまうし。
入れなさすぎると、今度は変な風に切れてしまう。最初は上手くいかなくて、何枚も無駄にしたっけ。
「こんな感じですか」
「どれどれ……上手いな」
「ありがとうございます」
この人、凄いんだけど……まじで重宝しそう。十八禁のところも、バレないように頼むことにしよう。
「えっと、じゃあ失敗してもいいから。この原稿用紙のところに、番号書くからシートの番号と見て切ってもらえる?」
「分かりました」
「最初は、ゆっくりに丁寧にね」
「はい、丁寧に」
有能なアシスタントを、獲得して僕は嬉しくなってしまう。凛斗も上手かったけど、こんなに飲み込みは早くなかった。
結構優秀な人材ではあったけどね。それでも好きな人と、こうやって一つの共同作業ができるのは嬉しい。
まあ描いているものが、十八禁じゃなければもっといいんだろうけど……。それは置いておいて、集中しよう。
しばらく本気で、集中して描いていた。しかし僕のお腹が、かなり大きめの音を出したことで我に返った。
時計を見てみると、お昼の十二時半を指していた。僕は恥ずかしさのあまり、目を合わせる事ができないでいた。
「あっ……」
「クスッ……お腹空きましたね。簡単なもの作りましょうか」
「お願い。チャーハンとわかめスープがいい」
「分かりました。待っててください」
僕が少し甘えて見ると、クスリと笑ってキッチンの方に向かった。乾かす時間もあるし、今日はこの辺にしておこう。
さてと、彼のやったトーンは……完璧だ。完璧すぎて、逆に腹が立ってしまった。嬉しいし、最高のアシスタントだと思う。
「ベタ塗りもトーンも、完璧とか……これで、初心者かよ」
「俺のやったやつ、どうですか?」
「まあ、初めてにしては上出来だね」
「そうですか。お役に立てたなら良かったです」
つい憎まれ口を叩いてしまったけど、アシスタントとして正式に採用しよう。これから同人誌作る時は、問答無用でこき使うことに決めた。
お昼が出来たようで、ダイニングテーブルに座って向き合って食べることになった。それにしても、何でもできるよね。
同人誌も描けて、料理もできる。掃除や洗濯なんかも、まめにしてくれている。家主よりも、この家に詳しそう。
「あの、律さん……引っ越すんですか」
「え? なんで?」
「パンフレットが、目に入ったので」
「あー、うん。そのつもり」
「そうなんですね……」
どうしたんだろう……落ち込んでる。キッチンのところに、置きっぱなしになってたから見たのかな。
直ぐにめんどくさくなって、放っておいたんだよね。言われるまで、完全に忘れていた。
さっきまで鼻歌歌っていたのに、急に大人しくなってしまった。鍵を断ってから、たまに元気がないように感じていた。
「あのさ、鍵欲しいの」
「えっ?」
「上手く言えないけど、元気がないように見えたから」
我ながら、ド直球の質問をしてしまった。そう聞くと、少し考えた後に静かに頷いていた。
真意は分からないけど、確かに渡しておいた方が何かと便利だよね。今日みたいな時、鍵開けに行くのしんどいし。
「聞いていいですか……なんで、その……断ったんですか」
「えっ? なんでって、後少しで引っ越すのに必要あるのかな? って思ったから」
「それだけですか」
「うん、他にあるの?」
僕が素直に答えると、透真くんは嬉しそうにしていた。その様子が可愛くて、もう少し踏み込んでみてもいいのかなと思った。
「あのさ、思ったんだけど。一緒に住まない?」
「へ……あの、今なんて」
「一緒に住まないかな? って、嫌ならいいけど」
「俺で良かったら! 住みたいです! 住ませてくださいっ!」
ものすごい勢いで、前のめりで言ってきた。若干、引いてしまったけど……嬉しそうにで何よりだよ。
「詳しくは、食べてからにしよう」
「はい! そうです……ゴホッ」
「慌てて食べるから。ほら、お茶」
「ありがとうございます」
慌てて食べたせいで、むせてしまっていた。その光景が可愛くて、僕は微笑んでしまう。
すると顔を真っ赤にしていて、むせてしまったのが恥ずかしかったのかと思った。食べ終わって二人で、キッチンで皿洗いをしていた。
「あのさ、ずっと思ってたんだけど……ごじゃなくて、いいよ」
「ご? って、なんですか」
「ご、じゃなくて……敬語じゃなくて、タメ口でいいよ。話しにくいでしょ」
僕がそう言うと、少し驚いていた。まだ早かったかな……少し無理してるんじゃないかって思ってしまったから。
それに湊くんや他の仲のいい人には、タメ口なのに……僕には敬語なのが、少し寂しいと感じてしまった。
「いいんです……ではなく、いいの?」
「うん……いいよ……強制はしないけ」
「タメ口でいくよ! 律さんと、もっと仲良くなりたいから!」
この人は、なんでそんな恥ずかしいセリフをそんな笑顔で言えるの。キラキラな澱みのない、真っ直ぐな瞳で……。
今絶対、顔が真っ赤になってるよね。恥ずかしくなってしまって、ついそっぽを向いてしまった。
「少しずつでいいよ……」
「えー、なんで?」
「なんででもっ!」
僕が彼の目を見て、訴えると目を逸らされた。変なの……最近、僕が彼の目を見ると真っ赤になるんだよね。
こんなに真っ直ぐに、前のめりでこられると調子が狂ってしまう。何故か彼も耳まで真っ赤になっていて、二人して無言で皿洗いをした。
スイカがいい感じで冷えたから、彼が綺麗に切ってくれた。本当にこの人って、何してても様になるな。
ダイニングテーブルに持って行って、僕らは向かい合って食べていた。そこで彼が少しモジモジしながら、聞いてきた。
「ところで、いい物件見つけました?」
「敬語やめて」
「あっ……気を取り直して、ゴホンッ……いい物件見つけたあ」
「あっ、噛んだ……ブフッ」
思いっきり噛んで、顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。その様子が可愛くて、ますます愛おしくなった。
「今度こそ、気を取り直して……いい物件見つけた?」
「ブフッ……あっ、ごめんって」
「別に……」
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