32話 少しずつ前に進める

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32話 少しずつ前に進める

 僕が思い出し笑いをしてしまうと、彼は口を尖らしていじけていた。スイカを食べつつ、そっぽを向いてしまう。  その様子が可愛くて、更にいじりたくなった。でも今はやめておこうと思って、質問に答えることにした。 「まだだよ。それに一緒に住むなら、二人で見に行かないと」 「律さんって、積極的」 「はあ? 見に行かないの」 「行くよ! 絶対に! 今直ぐ行こう!」  今直ぐって、なんでそんなに前のめりなの? なんか、可愛いな……必死で懇願してきて、なんでも言うこと聞いてあげたくなる。  でも今は……外暑いし……行きたくない。それに今からって、冗談なのも分かるけど。もう既に二時だし無理でしょ。 「今直ぐにって、当てがあるの?」 「高校の同級生に、不動産に勤めている奴がいるから」 「どんだけ、知り合いが多いの?」 「警察関係者や、消防や他にもたくさんいるよ」  なんか今更だけど、凄い人と付き合っているように感じる。とにかく、決めるなら早い方がいいよね。  凛斗と離れるのが、真の目的だし。そんなこと、言う必要もないから言わないけど……。  優しいこの人のことだから、気にしてしまうと思うし。変な心配かけたくないから、凛斗に関しての不信感は言わないでおこう。 「急に今からとか、大丈夫なの」 「待って、今電話する」  僕が聞くよりも早く、電話で聞いていた。相変わらず、行動のスピードが速い。基本的に、腰が重たい僕とは正反対だ。  勢いで一緒に住むとか、言ってしまった。一緒に住むって言ったことに関して、後悔はないけど……。  もう少し考えて、行動すべきだよな……そう思っていると、電話が終わったようで満面の笑みで話しかけてきた。 「今から、来ていいって」 「えー、今から……外は暑いし」 「今行くのも、明日行くのも暑いのは同じ」  タメ口でいいとは言ったけど、心なしか態度まで変わってない? まあいいか、嬉しそうにしているし……。  出かける前に着替えよう……彼の友達に、だらしないって思われたくない。彼の評価に繋がるかもだし。 「着替えてくるから、待ってて」 「分かった。俺片付けてるから」  寝室に行くとリビングと、温度が全く違った。入っただけで、汗が吹き出してくる。  正直外に出たくないけど、嬉しそうにしている彼を見ると嫌とは言えない。急いで着替えて、リビングに行くと準備ができたようだった。 「準備できたよ」 「おう……行こう」 「どうしたの? 顔赤い」 「な、んでもない……行こう」  変な様子の彼が気になったけど、手を引かれて部屋から出た。外は暑いけどなんとか、不動産に着いた。 「いらっしゃい、金城こっちだ」 「おう、突然すまんな」 「いいってことよ。噂の彼氏さん?」 「そうだ。一緒に住もうと思って」  中に入ると冷房が効いていて、気持ち良かった。色々ツッコミどころがあるけど、噂のってどこでなってるの?  かなり親しげだけど、話はいいから部屋を紹介してよ。そう思って腕組みしていると、彼に声をかけられた。 「とにかく、条件聞いてくれるって」 「分かった」  椅子に座って色々と、条件を聞かれた。彼のことを考えると、会社から近いとこがいいだろう。  僕はオンライン会議とかするから、壁が厚いとこがいい。色んなことを加味した結果、一か所だけ候補が出た。 「ひとまず、見に行きましょうか」 「そうだな。行こう、律さん」 「うん、そうだね」  彼のお友達さんに案内されて、内覧へと向かった。キッチンが広くて、部屋も広いが一つだけ懸念点がある。  それは会社から少し遠くて、電車を使わないといけない距離になってしまった。それ以外は、とてもいいんだけど。 「やっぱ、ここは」 「ここでいいかな」 「会社から、遠いよ。僕はいいけど、透真くんは毎日大変でしょ」 「俺はいいよ。律さんが快適なら、俺は少しぐらい遠くても大丈夫」  この人はもう、どうしてそんな恥ずかしいセリフを言えるの。しかも目を見て、両手を握ってくれている。  そんなの断りきれるわけないじゃん。綺麗な瞳で見られて、僕たちは見つめ合っていた。 「あのー、お二人さん。今内覧中なの、お忘れですか」 「あっ……」 「忘れてた」 「この二人……ある意味、お似合いなのかもな」  自分のたちの世界に入っていると、声をかけられて現実に引き戻された。でもお似合いって言われて、嬉しくなってしまった。  彼を見ると耳まで真っ赤になって、恥ずかしがっていた。そんな僕たちを見て、お友達さんはため息をついていた。  審査はあるらしいけど、多分大丈夫だろう。僕たちは手を繋いで、話をしながら土手を歩いていた。 「決まってよかったね」 「だな〜」 「でも本当に、よかったの? 遠いのに」 「言っただろ。俺は律さんが、快適ならいいんだよ」 「もうっ……馬鹿」  馬鹿だけど、世界一カッコいい。恥ずかしいから、絶対に口には出さないけどね。それはそれとして、僕は大事なことを言うことにした。 「一回しか言わないから、しっかりと聞いてね」 「え?」 「僕の部屋の暗証番号は」  僕が暗証番号を言うと、驚いていた。そして直ぐに、笑顔になって抱きついてきた。  暑いんだから、ひっついてこないでよ……。とは思いつつも、このなんでもない時間が続けばいいのになと思った。 「もう一回!」 「一回だけだよ。後これ、合鍵……欲しがってたから」 「教えてよ〜」  甘い匂いが漂ってきて、それだけで嬉しくなってしまう。ちょっと前までは、こんな会話できるなんて思いもしなかった。  まだ付き合って日も浅いけど、この人と一緒にいれて幸せを感じている。そんなこと素直に言えないけど。 「仕方ないな……とりあえず、帰ろう」 「今日泊まっていい?」 「まあ、いいよ」  合鍵と暗証番号を教えたのは……いつも僕に合わせてきて、たまに外で待ってるから。風邪でも引かれたら、困るからね。  それに一番の理由が、一緒にいたいからなんだけど……。そんな僕の気持ちを知ってか、知らずかもの凄く喜んでいる。 「律さん、末長くよろしく」 「ん……よろしく」  キラキラな笑顔で言ってきて、眩しすぎて直視できない。夕日が沈んでいて、それが後光のように輝いている。  本当に僕には眩しすぎて、後退りしてしまいそうになる。それでも優しく微笑んで、手を引っ張ってくれる。  たったそれだけで、少しずつ前に進めるような気がする。こんなに好きになるなんて、人って分からないものだね。  少し前までは、誰かを好きになるなんて思いもしなかった。透真くんだから、こんなに好きになったのかな? なんて思ってしまった。
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