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36話 もっと早く出会いたかった
すると彼に肩を抱き寄せられて、静かに手を繋いだ。エアコンの風が心地よくなってきて、彼の体温が感じれた。
フワッと香ってくる甘い匂いに、若干クラクラしてしまう。それでもこの香りは、僕を癒してくれる。
「自分でも可笑しな提案だってことは分かってた」
「よく分かんないけどさ、透真くんと付き合うってことは……上手く言えないけど、透真くんの優しさも含めて好きになるってことだと思うよ」
「律さん……ありがと」
静かに泣いているみたいで、僕は見ないようにしていた。優しく抱きしめられて、思わず頭を撫でた。
すると嬉しそうに笑っていて、僕までも嬉しくなってしまう。なんだ好きで、付き合っていたわけではなかったんだ。
湊くんを守るために、付き合うって彼らしくて素敵だな。誰にだって、一つや二つ嫌なことや苦しいことはある。
鹿野のことはもうどうでもいいけど、トラウマを克服出来ずに苦しんでしまう。この人は優しいから、湊くんにそういう思いをしてほしくなかったんだろうな。
「ったかな」
「律さん、何か言った?」
「う、うん……なんでもない」
――――この人と、もっと早く出会いたかった。
思わず口に出しそうになった。そんなことを聞けば、優しいこの人は気にしてしまいそうだから。
この想いはそっと、胸に収めておこうと思った。微笑んでいると、もう一度優しく抱きしめられた。
「律さん、俺……律さんと出会えて、よかった」
「つっ……うん」
本当この人は、そういう小っ恥ずかしいことをよく平気で言えるよね。でもそれぐらいストレートな方が、僕にはいいのかもしれない。
優しく腰と支えられて、頬を触られていた。ゆっくりと近づいてくる端正な顔立ちが、いつにも増して輝いて見えた。
静かに目を閉じると、触れるだけのキスをした。目を開けると、愛おしいものを見る目で見つめられていた。
「律さん……」
「と……うまくん」
もう一度優しく触れるだけのキスをして、僕たちは暫く抱き合っていた。そこで僕のお腹が、ぐうと鳴ってしまった。
彼がクスクスと笑っていて、急激に恥ずかしくなってきた。もう恥ずかしいな……さっきまでの、雰囲気はどこに行ったのか……。
まあでも、やっぱ泣いているよりも笑っている方がいいよ。そう思っていると、頭を撫でられて微笑まれた。
「お昼軽くだったから、夜は豪勢に行きますか!」
「いいね! お肉!」
「そう言うと思って、さっき解凍した上等な和牛があるよ!」
「いいね! 焼いちゃおう!」
和気藹々としながら、僕らはお肉を焼いて口いっぱいに頬張った。僕らはこんな感じで、いるのが性に合っているのかもしれない。
次の日。電車に乗って、会場に到着した。既に凛斗が到着していて、準備を進めていてくれた。
「二人とも、今日は喧嘩しないでね?」
「はい、肝に命じておきました!」
「了解致しました!」
二人が変なノリだったから、案の定周りからクスクスと笑い声が聞こえてきた。昨日と同じく、彼に黄色のキャップを被せられた。
このキャップにどんな意味があるのか、分からないけど……特に気にしないことにしよう。
今日も案の定、混み込みだったから褐色先生に手伝ってもらった。手伝ってくれるのは、有難いけど自分のサークルは大丈夫なのだろうか。
「褐色先生は、ご自身のサークルは大丈夫なんですか」
「私は……邪魔だから、追い出されましてな」
「えっと……」
「そんな目で見ないでくれ〜なんてね」
褐色先生の真意は分からないけど、この人はとてもいい人なんだよね。そんな感じでなんとか、午前中でほぼ全部が無くなりました。
「疲れた〜」
「二日間とも、これは死ぬ」
「毎年こんなに、しんどいのか……」
「今年は特別……」
僕たち四人は、完全に疲れ果てていた。そんな時に、凛斗に買い物に行くように促された。
「いいの? 行ってきて」
「ああ、ここは俺らに任せろ」
「俺も手伝う」
「金城はここにいろ。万が一、迷子になっても助けられないぞ」
ここは初心者には、迷路みたいだからね。確かに凛斗の言うことも一理あるが、この二人を置いて行って大丈夫なのだろうか。
釘を刺したから、流石に昨日のような喧嘩はしないと思うけど……。心配になってしまうと思っていると、褐色先生に言われた。
「ここは私が、見張っているので〜桃色先生は、気楽に行って来てくださいな」
「悪いですよ」
「私たちの仲で、遠慮なさるな」
「では、お言葉に甘えます」
若干の不安はあったけど、お言葉に甘えることにした。買いたいものや、見たい物がたくさんあるから。
――――盛大に楽しむことにしよう。
薄い本を持って、サークルを回って交換した。他にも推しのグッズや、企業ブースなどたくさん回った。
途中でコスプレイヤーさんを見かけて、ホクホクしていた。推しのコスをしているレイヤーさんを見ると、応援したくなる。
写真のマナーとか、色々と大変だから僕は撮らない。僕は専ら見る専で、楽しむのが好きである。
「なんか、忘れているような気がする」
なんだっけ……薄い本は買ったし、企業ブースも回った。グッズは昨日、凛斗にあらかた買ってもらったし。
他に何かあったかな……荷物も増えてきたし、一旦ブースに戻ろう。キャリー持って来たから、たくさん入るだろう。
本ってなんで、こんなに重いんだろうね。そして何故か、普段運動してないのにこういう時のオタクは重いもの持てるんだろう。
「桃色先生! お待ちしておりましたぞ〜」
「あっ……」
二人は険悪なムードを浮かべながら、本を売っていた。その近くで、元気な笑顔な褐色先生。
それを見て僕は、忘れていたことに気がついた。そうか……完全に現実逃避して、この人たちのこと忘れていたのか。
そのことを悟られないように、僕は近づいた。何もないような素振りで、進捗状況を確認する。
「どんな感じ?」
「後、十部ぐらいだ」
「なるほど……残らなそうだね」
思ってた以上に、今日も売り上げがいい感じだ。別に利益を出すつもりもないけど……。
ほぼ全額、薄い本とグッズに使ってるし。まあでも、へとへとになっている彼に何か奢ろっかな。
そう思って、机に突っ伏している彼の元に行った。見るからに、疲れているのが分かった。
「透真くん、今日この後。何処か食べに行こっか」
「カツがいい」
「近くに、美味しい串カツ屋さんがあるよ」
僕がそう言うと、親指を立てていた。良かったと思っていると、ニヤニヤ顔の褐色先生が近づいてきた。
凛斗は何故か、こっちを見てイライラしているようだった。嫌な予感がしたけど、もうどうにもできない。
「イチャイチャを、見せつけてくれますなあ」
「イチャ! ……そんなつもりは」
「桃色先生は、ウブですなあ」
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