39話 透真side(9) 単純

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39話 透真side(9) 単純

 俺は律さんの役に立ちたかった。そこで律さんが同人誌っていう漫画を、描いていることを知った。  手伝えないかと思ったが、漫画の知識がない。そのためいつでも手伝えるように、ネットで色々と調べていた。 「ベタ? トーン?」  何となくしか知らなかったが、奥が深いんだな……。これなら練習できそうだな。  母さんから筆ペンを貰って、適当に紙に塗ってみる。えっと、最初は回りを塗ってから……中を塗ってと。 「こんなんでいいのか……」  しっかりと学んでおかないと、律さんに使い物にならないなんて思われたくない。頼れる彼氏でいたいから、律さんに喜んで貰いたい。  律さんの笑顔が見たいから、何があっても曇らせたくない。トーンっていうのは、黒かったりハートだったりするやつか。  えっと何々……強く切りすぎると紙を切ってしまうし。弱いと変な風に切れたりするのか。 「もし切ってしまったら、大変だ」  律さんが素人の俺にさせるかは、分からないが。もし手伝う時に、律さんが丹精込めた作品を傷つけるわけにはいかない。  トーンは持っていないが、それでも練習はできる。あまり力を入れすぎずに、ほどほどの力で切る。  俺はそれから一週間ぐらい、毎日のように練習した。とある日のこと、スイカを口実に律さんのお家に行った。  玄関先で倒れていて、俺は慌ててお姫様抱っこをしてリビングのソファに座らした。冷たい水を飲ませると、顔色が良くなっていた。 「お水どうぞ」 「うん、ありがと……」  良かったと思っていると、テーブルの上に写真集? が置いてあった。裸の男の写真があって、若干モヤっとしてしまう。  でもこれって、同人誌で使う資料だよな。そうに決まってる! これぐらいで動揺すると、小ちゃいって思われそうだ。  ここは彼氏の余裕を見せて、気にしない振りをしよう。律さんの肩を抱き寄せて、俺は手伝えないかと聞いてみる。 「同人誌って、やつですよね。手伝いましょうか」 「いや、いいよ! 恥ずかしいから」 「そんなことないですよ。俺、絵とか描けないから尊敬します」  律さんは恥ずかしがっていたが、本当に上手くて心から尊敬してしまう。ベタやトーンで、一週間練習している俺とは違ってプロみたいだった。  律さんが俺を頼って、微笑んでくれた。その表情がいつにも増して、キラキラしていて綺麗だった。 「じゃあ、その簡単なやつ頼むよ」 「はい! お任せください! 先に、スイカ冷蔵庫で冷やしてきますね」  キッチンに行って鼻歌混じりでスイカを切って、ラップをして冷蔵庫に入れる。律さんに頼られたことが嬉しい。 「律さん、俺は何をやればいいですか」 「じゃあ……ベタ塗りをお願い」  よしっ来た! ベタ塗りをしていると、そこで俺はとあることに気がついた。この相手役の人、俺に似ているなと。  主人公のこの青年は律さんにそっくりで、可愛らしい少年だった。よく分かんないが、律さんと俺の恋愛を描いているようだった。 「あー、まあその……やっぱ、モデルは必要かな……なんて」  そっか、俺たちの恋愛ものか。嬉しいな、だってこの作品の俺たち幸せそうだから。律さんにとって、俺ってこんなに輝いて見えているんだな。 「律さんから見た俺は、輝いているんですね。嬉しい」 「……イケメンって、ズルい」  律さんが顔を真っ赤にしながら、何か言っているようだった。聞き取れなかったが、特に気にしないことにする。  今は律さんの役に立つことが、最重要だから。俺にできることなら、全てやりたいし頼って欲しい。 「透真くんは、漫画描いた経験あるの?」 「ないですよ。今日が初です」 「そ、そっか」  俺が素直に答えると、律さんは何やら落ち込んでいるようだった。俺何かやってしまったかな。  ベタ塗り失敗してるとかか? でもそれじゃないような感じがして、律さんが悲しそうな顔をしていると俺も胸が苦しくなってしまう。  俺は律さんの手の上に、そっと自分の手を重ねた。律さんの顔を見てニコリと微笑んだ。 「律さん、何か心配事があるなら言ってください」 「うん……何かあるって、ことでもないんだけど」  まだ少し心の距離があるのかな。そのことに少し胸がちくりと傷んでしまう。でもそれは仕方のないこと。  まだ出会って間もないし、俺だってまだ伝えていないこともある。でも今はそれでいいと思う。  そんな簡単にはできなくても、これから何年もかけて分かっていけばいいのだから。 「律さん、何かあったら頼ってくださいね。俺は何があっても、律さんの味方なので」 「……本当に、ズルい」 「泣きたい時は、泣いていいですよ。但し、俺の前限定です」 「何それ……分かった」  律さんは俺の言葉を聞くなり、泣いてしまった。俺は優しく抱きしめて、頭を撫でると少し落ち着いたように見えた。  甘酸っぱいチョコの香りが、漂ってきて嬉しくなってしまう。律さんは直ぐにいつも通りになっていた。  泣いている顔よりもその方が、凄く魅力的だ。律さんに促されて、俺はトーンも切ることになった。  ――――練習していて、本当に良かった。  律さんの役に立つことができて、俺は満足していた。そこで律さんのお腹が、かなり大きめの音を出して恥ずかしがっていた。  時計を見てみると、お昼の十二時半を指していた。お昼時だもんな。集中していると、お腹も空くよな。 「あっ……」 「クスッ……お腹空きましたね。簡単なもの作りましょうか」 「お願い。チャーハンとわかめスープがいい」 「分かりました。待っててください」  俺は立ち上がってキッチンへと向かう。律さんのために、最高のチャーハンとわかめスープを作ろう。  こんな時に湊が料理下手で、俺がやっていたことが生きてくるなんてな。ある意味で、湊に感謝? するべきか。  そこで律さんが俺がやったベタを見ていて、急に不安になってしまう。そこで俺は気にしてない振りをして、聞いてみることにした。 「俺のやったやつ、どうですか?」 「まあ、初めてにしては上出来だね」 「そうですか。お役に立てたなら良かったです」  少しでも律さんの役に立てたのが、嬉しくて舞い上がってしまう。キッチンのところに、マンションのパンフレットが置いてあった。  急激に悲しくなってしまったけど、気取られないように聞くことにしよう。とりあえず、料理を作ることを優先しよう。  ダイニングテーブルに作ったものを置いて、意を決して聞いてみることにした。しかし律さんは、普通に答えていた。 「あの、律さん……引っ越すんですか」 「え? なんで?」 「パンフレットが、目に入ったので」 「あー、うん。そのつもり」 「そうなんですね……」  そんな大事なこと、言ってくれないのか。全部俺にお伺いを立てる必要はない。彼氏だからって、そんなの必要ない。  頭では分かっていても、どうしても気にしてしまう。ダメだな……律さんのことになると、途端に余裕がなくなってしまう。 「あのさ、鍵欲しいの」 「えっ?」 「上手く言えないけど、元気がないように見えたから」  軽い自己嫌悪に陥っていると、律さんが気にかけてくれた。そのことが嬉しくて、それだけで心が晴れていった。  自分ってこんなに単純だったんだなって、今になって知るなんてな。律さんと出会ってから、色んな自分を知っていっているような気がする。
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