50話 温もり

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50話 温もり

 湊くんに電話すると、直ぐに出てくれた。遠くからあの馬鹿の声も聞こえてきて、やっぱ迷惑かなと思ってしまった。 「律さん? どうしました?」 「あっ……間違えて」 「……これから、飲みに行きませんか? 蒼介も来て」 「あっ……邪魔になるから」 「そんなことないですよ! いつものとこで」  そこで僕の意見を聞かずに、一方的に電話を切られてしまった。僕にも湊くんみたいな直球さがあれば良かったのにな。  とにかく気分転換と、相談に向かうか……こんな気持ちで、片付けなんて出来ないし。  僕はため息をつきながら、着替えて出かけた。外に出ると少し暗くなっていて、いつの間にか時間が経過していたことに気がついた。  トボトボと土手を歩きながら、いつもここで出会うんだよなと思っていた。すると、彼と会ってしまった。 「律さん……その」 「とう……えっと」  お互いに目を合わせることができなくて、僕らの中に変な沈黙が流れてしまう。彼がど んな風に考えているのか分からない。  それ以上に、自分自身がどうすればいいのか分からない。頑張ろうとは思うけど、頑張る方法が分からない。 「その……突然、飛び出してごめん」 「僕も伝えてなくて、ごめん。でもあの、退職届はもう出さないものだから」 「……俺が怒ったから」 「えっ? 違うよ」  彼の言った意味が、理解できなかった。でもそれは違うよ。付き合えないから、離れようと思ったから書いただけ。  でも今は違う。何があっても、この温もりを手離したくない。 「……俺に構わず、人生を歩んでよ」 「何それ」  そんな傷ついた顔して、何言ってんの。そんなこと微塵も思ってないじゃん。流石の僕のでも、それぐらい見れば分かる。  全然納得もしていないし、話すらまともにしてないじゃん。喧嘩したくないっても分かる。  相手が傷つくことをしたくないから、自分が我慢する。多分僕たちは、表面上は違うけど根っこの部分は同じだから。  ――――相手が傷つくくらいなら、自分が我慢すればいい。  彼がどんな人生を歩んできたのか、僕には分からない。当たり前だけど、全てにおいて違うのだから。 「律さ」 「透真くんって、いつもそうだよね。何処か、一歩引いた考え方してる」 「ごめ」 「そうやって、直ぐに謝ればいいと思ってるんでしょ。僕たちがギクシャクしているのは、お互いに本音を言わないからでしょ」  少しキツイ言い方だけど、それが事実だと思う。僕もだけど、彼も本心を言わない。  長く付き合わない相手なら、それでもいいと思う。でも僕たちは付き合っていて、近いうちに同棲をするんだから。  それなのに、退職届が見つかったってだけで……喧嘩してというか、喧嘩にすらならない。  草津の時もそうだったけど、彼はいつもはぐらかしている。本当に自分でも、考えが纏まらないだけかもしれない。  それでもいいから、話してほしいのに……僕もだけど、お互いに線引きを間違えているんだよね。 「俺さ、本当に誰かと喧嘩するの嫌なんだよ」 「凛斗とはしてるじゃん」 「あれは……律さんに……なんでもない」 「僕が何? 言いたいことは言ってよ……僕も人のこと言えないけど」  凛斗のことはこの際、いいとして……そのことも気になるけど、それ以上に僕に対して凄く気を遣っているよね。  親しき仲にも礼儀ありって言うけど、気を遣いすぎてて心配になってしまう。僕だって、無意味な争いはしたくない。  どちらかといえば、争いごとは避けたい性分だし。彼だって争いごとはしたくないだろう。 「クシュン……」 「寒くなってきたから、今度は返さないで」  僕がくしゃみをすると、少し辛そうな顔で上着を着せてきた。彼の言葉の意味が分からなくて、記憶を掘り起こす。  出会って間もない頃の、上着をかけてくれたけど返したことを思い出す。忘れていたのに、そんな前のこと気にしてたのか。  返すわけないじゃん……あの頃とは違って、この人の暖かさを知ってしまったんだから。  そう思って笑って、上着を見つめていた。すると急に抱きしめられて、彼の体温が直で伝わってくる。  上着からも甘い匂いが漂ってきて、全身が包まれているようで嬉しくなってしまった。  背中に腕を回すと、更に強く抱きしめられた。 「返さないよ……あの時とは、違う」 「ありがとう」  何に対するお礼なのか、分からないけど……僕の方がお礼を言うべきなのに。僕は暖かいけど、彼の背中は冷えてきていた。  このままでは、また風邪を引くかもしれない。そう思ったから、僕は彼の顔を見上げてそのまま伝えた。 「風邪ひくよ。居酒屋に行こう」 「いや、帰ろう。もっと、話したい」  目が合うと何故か、頬や耳まで真っ赤になっていた。目を逸らされて、帰ろうと提案された。  それに関しては、僕も同意だけど……ここで議論していても、何も始まらないよね。だけど、湊くんには連絡しないと。 「湊くんに、連絡しないと」 「湊から、律さんが居酒屋に向かっているから迎えに行ってって。連絡があったから」 「湊くんって、出来る子だね」  僕の推しは今日も、素晴らしく輝いている。あの気遣い上手は、どうしてあんなに甘えん坊なのだろうか。  知れば知るほど、湊くんが分からなくなってきた。抱きしめられている腕を離されて、手を引かれて歩き出した。  家に着くと片付けの最中で、ぐちゃぐちゃになっていた。彼に変な目で見られたから、静かに目を逸らした。 「座れるのが、ソファだけだから」 「そうだな。麦茶でも持ってくるよ」  僕が頷くと、彼が僕の頭を撫でてくれた。反射的に見てみると優しく微笑んでいて、直ぐに冷蔵庫に取りに行った。  僕はソファに座って、肩にかけている上着を触っていた。彼は麦茶を入れたコップを、僕に渡して隣に座った。  僕たちは無言で、麦茶を飲んでいた。ここで逃げちゃダメだって、頭では分かっているけど……。  あと一歩がどうしても、踏み出せずに尻込みしてしまう。そこで彼に手を握られて、彼の手が震えていることに気がついた。 「昔から、俺は湊の前ではお兄ちゃんを演じていた」 「同い年なのに、どうして」 「両親に言われたんだよ。お兄ちゃんになってねって……俺自身頼られるのは嬉しかった」
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