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54話 海
同棲を始めて早いもので、約一ヶ月になった。寒くて益々、外に出たくなくなってきた。
僕は早いものでこたつを出して、寝そべってヌクヌクしていた。そこで彼が仕事から帰ってきたようで、言葉をかける。
「おか〜り」
「そんなとこで、寝てると風邪ひくよ」
「入んない方が、風邪ひく」
「また、そうやって」
そう言いつつも、彼は僕の隣に入ってきた。僕は彼の膝に頭を乗っけて、ゴロゴロしていた。
彼が頭を撫でてくれて、気持ちよくなっていた。すると彼が、いきなり驚くことを言ってきた。
「俺車買ったから、明日にでもドライブに行こう」
「あ〜車ね……え? なんて」
「車買ったから、ドライブに」
「それは分かったけど、いつ買ったの」
僕は驚きのあまり、顔を上げるとニコリと微笑む彼が目に入った。急激に恥ずかしくなって、もう一回寝て目を逸らしてしまう。
車買ったって、いつの間に買ったのだろうか。そういえば、少し前から度々実家に帰っていたよね。
もしかしてその時かな? なんて思っていると、再び頭を撫でられていた。耳を触られて、変な声が出てしまう。
「買ったのは、二ヶ月ぐらい前かな」
「そんなに前から、どうして教えてくれなかったの?」
「律さん乗せられるぐらいに、上手くなってからって」
それは分かるけど、早く運転する姿を見たいな。でも今って言われても、この温もりを手放したくない。
「どこ行くの」
「そうだな……どこ行きたい?」
「海がいい。十二月に出す新刊は、海に行く話にしたい」
僕がそう言うと、彼は優しく微笑んでいた。それから彼と共に、キッチンに立って料理を作っていた。
今日のおかずは、酢豚で彼がお肉を揚げていた。その様子を味噌汁を作りながら、見て疑問に思って声をかけた。
「どこかで、料理学んだの?」
「新入社員歓迎会の時に、行った小料理屋でバイトしてたから」
その言葉を聞いて、通りで上手いはずだと納得した。僕の方が大人だって言うけど、僕はバイトはたまにしかしていなかった。
就職したとはいえ、お客さんに直接会話するわけじゃない。バイトだって、接客業ってわけじゃない。
比べても仕方ないけど、彼の方が人生経験積んでそうな気がする。僕の方が大人っていうけど、彼の方が大人だと思う。
「火止めるよ」
「あっ、うん」
「こっちもできたから、食べようか」
彼の作った酢豚は、物凄く美味しかった。正直僕が作るよりも、彼が作った方がいいのは明白だった。
でもな……彼にばかり家事を任せるのは、今後のことを考えてよくないとは分かっている。
掃除も得意なわけじゃないし、洗濯は押すだけだし……片付けるのは、彼がやってくれている。
「どうした? 眉間に皺寄せて、美味しくない?」
「美味しいよ。思ったんだけど、家事の分担必要かな? って」
「俺じゃ、物足りない?」
この人、意味分かって言ってるのだろうか。目を潤ませて、心なしか耳と尻尾が垂れているように見えた。
――――可愛い。
子犬みたいに見えて、つい頭を撫でると手を重ねてきた。目が合って僕たちは、微笑み合った。
「透真くんにばかり、負担かけたくないから」
「俺は負担なんて、思ってないよ」
「今は良くても、これから……何十年って、一緒にいるんだから」
「はあ……もう最高の、彼氏だよ」
顔を真っ赤にして、抱きついてきた。頬を優しく触られて、端正な顔が近づいてきて静かに目を閉じた。
優しく触れるだけのキスをして、もう一度優しく抱きしめてくれた。僕も背中に腕を回して、抱きしめた。
「僕だって、一人暮らし歴は透真くんよりも長いから」
「お互いに無理のないように、家事を分担しよう」
僕たちはご飯を食べながら、家事について色々と相談した。まずはやってみて、嫌な部分があったらまた話そうということになった。
次の日になって、僕たちは海へと向かっていた。その道中も、色々と楽しくおしゃべりしていた。
「漫画やアニメって、見たことないの?」
「子供向けとか見てたりとか?」
「少しずつ見ていこう」
「俺も知っていきたい」
素直に言ってくれる彼が、本当に優しくて嬉しくなってしまう。あくまでも、僕に気を遣ってだろうけど。
それでも僕に、歩み寄ってくれる。そのことが嬉しくて、僕はお気に入りのアニメのキャラソンを口ずさんだ。
「いい曲だな」
「海までまだ距離あるから、聞いてみる?」
彼は優しく微笑んで頷いたから、流してみると彼が一緒に口ずさんでいた。オタクとして、好きなものを肯定されると嬉しい。
でも驚くくらいに、歌が下手くそだった。軽くメロディを歌っただけで、分かるぐらいだった。
どうしよう……今までスルーしてたけど、考えてみたら鼻歌も下手だった。すごく嬉しそうにしている彼に、本当のことを言うのは出来ない。
それからも色々と談笑していたけど、僕は気が気じゃなかった。言わない方がいいことも、きっとあるのだとこの年になって改めて理解した。
「海に着いたぞ」
「でも、寒いよね」
「ここまで来て、それを言うか」
若干呆れ気味だったけど、寒いものは寒い。もう冬になりかけていて、空気が冷たそうだ。
助手席のドアが開いて、冷たい風が入り込んでくる。直ぐに彼がマフラーを巻いてくれて、手を差し伸べてきた。
寒いはずなのに、手から伝わってくる温もりが心地いい。彼に手を引かれて、冬の海を歩いていた。
「なんか、青春みたい」
「こういうのって、したことないのか」
「あまり、経験ないかな」
凛斗以外とは、何故か友達になれなかった。最初は好意的な人も、直ぐに離れていってしまった。
鹿野のことがあってからは特に、僕も見えない壁を作っていた。でも今は違う……いつでも、包み込んでくれる。
――――透真くんがいるから。
彼の手を離して僕は、腕を組んで顔を見上げた。すると嬉しそうに、微笑んでくれていた。
手よりもこの方が、何十倍も暖かく感じる。僕らは海の石段に座って、身を寄せ合っていた。
この時期は入れないけど、こうして海を見ている。不思議と気持ちが、和らいでいくように感じる。
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