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57話 それだけ
次の瞬間、凛斗が誰かに殴られ倒れてしまった。甘い香りが漂ってきたから、直ぐに彼だと分かった。
「痛いな」
「お前、いい加減にしろよ」
「はあ……暴力振るうとか、何考えてたんだ」
「人の恋人に、勝手にキスしようとした奴が言うな」
色々とありすぎて、頭が事態に追いつかない。近くには鹿野がいて、僕を見て心配そうにしていた。
凛斗は立ち上がって、ズボンに付いた砂埃を払った。その間も平然としていて、凄く不気味に映った。
彼が凛斗にイライラしているようだったが、僕の方に来て優しく抱きしめてきた。甘い香りが、フワッと香ってきた。
「やっぱ、見に来て正解だった」
「えっと……僕は」
「大丈夫」
頭を撫でてもらって、彼の匂いが包み込んでくれる。急激に怖くなってきて、彼の胸で泣いてしまった。
しばらくの間、背中を摩ってくれた。泣き止んだのを見て、隣に彼が座って肩を抱き寄せてきた。
「で? 何か言うことは」
「律がお前を好きな理由が、分からない」
凛斗が僕の知っている人と、違って見えて怖かった。二人は睨み合っていて、鹿野は只々黙っていた。
僕は正直逃げたかったし、この場にいたくなかった。それでも彼が側にいてくれるから、大丈夫だとも思えた。
「凛斗の気持ちを……僕は知らなかった」
「だろうな。バレないようにしてたから」
冷たい目で僕を見ていて、凄く怖くなってしまった。僕に対して、恋してたってことだよね。
それなのに、僕の嫌がることしてたの? 意味が分からないよ……好きって言っていたけど、本当は嫌いなのかもしれない。
「なんで! 僕が何かしたの」
「そこまで、鈍感なのが羨ましいよ」
僕は思わず立ち上がって、大きな声で聞いた。他の二人が見守る中、凛斗は冷たい目で淡々と言っていた。
幼稚園の時から、ずっと遊んでいたじゃん。家族ぐるみで、キャンプに行ったりアニメの話で盛り上がったりもした。
それなのに、僕のこと見下していたのかな。鈍感って僕が知らないうちに、傷つけてしまったのかな。
それならそうと、言ってくれれば改善したのに。そんなことも言えないほど、僕のこと信用してなかったのかな。
「クシュン……」
僕がくしゃみをすると、後ろから彼に抱きしめられた。彼の体温を感じて、僕は冷静さを取り戻した。
「律さんが藤島と話したいって言うから、黙って行かせたが。これ以上、苦しめるならもう二度と会わせない」
「それは律が決めることだろ。お前が決めることじゃない」
凛斗の言っていることは、間違っていないと思う。だけど彼が僕のことを、心配して言ってくれているのも分かる。
彼の方を見てみると、優しい笑みを浮かべていた。それだけで頑張ろう、と言う気持ちになった。
「僕が悪いところは、直すから教えてよ」
「何回も言ったよな。彼氏なんか、作るなって。それなのに、藤島で懲り懲りしたはずなのに」
こっちを見て、更に冷酷な瞳を向けてくる。確かに何度も忠告されたけど、最初は気にしていなかった。
鹿野に出会う前は、誰かと付き合うつもりはなかった。彼氏云々言い始めたのは、凛斗のバース性がβだと分かってからだ。
「なんで……」
「俺がβだったから」
「それだけ……」
「俺がαだったら、律に告白するつもりだった。だけど無慈悲にも、βだった」
意味が分からない……例え凛斗がΩであっても、αであっても何も変わらないでしょ。
βだから恋愛感情が、湧かないわけじゃない。僕の中で凛斗は幼なじみで、それ以上に苦楽を共にした兄弟みたいな存在だから。
βだから友達やってたわけじゃない。怖かったり理不尽な目にあったり、よくないこともあった。
それでも、大切な幼なじみだから悩んでいた。距離を置きたいと思っても、何処か信じたかった。
急激に悲しくなって泣きたくなった。それでも必死に押さえ込んで、僕は凛斗に向き直った。
「僕は凛斗が、どのバース性でも大事な親友だって思ってるよ」
「……お前には、分かんないだろうな。Ωとβじゃ、Ωを助けることはできない」
「好きって、そういうんじゃないだろ」
凛斗の言葉に彼が、僕を見て微笑みながら言った。凛斗の好きと僕らの好きは、明らかに違うのかもしれない。
ずっと黙っていた鹿野が、何やら考えていた。そして腕組みをしながら、凛斗に向かって聞いていた。
「あのさ、とにかくお前は何をしたかったんだよ」
「律に誰とも、付き合ってほしくなかった」
それから、ポツリポツリと話してくれた。βの両親に物心ついた時から、βはβと付き合って平凡に暮らす。
それが一番だと教えられてきたらしい。それでもαになれる可能性もあったから、期待はしていた。
僕がΩだったから、どうしてもαになりたかった。でも無情にもβになってしまって、そこで僕を幸せになれないなら。
「律が誰とも、付き合わないようにするしかなかった」
本来なら、怒るべきなのかもしれない。それでもどこか、表情に悲しいものがあった。
彼も鹿野も、怒るに怒れないといった感じだった。それなら、相談の一つでもしてほしかった。
僕じゃ頼りなくて、何も言えなかった。そういうことなんだよね……それでも、こんなやり方間違っている。
「βだから、幸せに出来ないなんてない。Ωとβの夫婦はたくさんいるだろ」
「そんなのは、俺には関係ない」
彼が真っ直ぐな、瞳でそう言ってくれた。それでも凛斗は下を向いて、何も言わずに黙ってしまった。
どんな思いで、僕と同じ時間を生きてきたんだろう。それなのに、僕は近くにいたのに何にも気がつかなかった。
彼が後ろから抱きしめたままで、頭を撫でてくれた。泣きたかった気持ちが、直ぐに晴れていく感じがした。
「律さんの気持ちよりも、自分の気持ちの方が優先なのかよ」
「お前に何が分かるんだよ! αに生まれたやつに、俺の気持ちが……βの気持ちが分かって溜まるかよっ!」
「分かるかよ。例え俺がαじゃなかったとしても、律さんがΩじゃなかったとしても」
後ろを向くと真面目な顔をしていて、正直カッコよくて心臓が煩くなった。甘い香りが漂ってきていて、嬉しくなってしまう。
「俺は律さんを絶対に、幸せにする。お前なんかに、渡さない」
「とう……まくん」
「律さん……」
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