それは、何気ない一言から始まった

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それは、何気ない一言から始まった

 大学祭最終日の午後。  演目も最終に近付いた時、講堂の舞台では伝統のある落語研究会の発表会が催されていた。 「さすが樋口先輩。客席の盛り上がり方が違うよな」 「古典落語の中でも、あの人の得意演目だし」 「今時、古臭いって毛嫌いする人もいるけど、古典は古典なりの解釈とかで随分印象が変わるしな」 「ああ。勉強になるよなぁ」 「俺達も、あんな風に大勢の人を笑わせてみたいよな」  その年の新入会員である三人は、舞台の袖から堂々とした語り口の先輩の噺を聞きながら、小声で囁き合っていた。すると後方から声がかかる。 「おい、魚住、亀山、鳥嶋、ちょっと来い」 「はい、先輩」 「何でしょうか?」  最年長の先輩三人に手招きされた鳥嶋達は、怪訝な顔を見合わせながら奥まった場所に移動した。すると会長の川本が、重々しく確認を入れてくる。 「ここにいるのはお前達だけだな?」 「はい。他の先輩達は出番が控えて上手の方に行っていますし、出番がない人達は構内を見て回っているか、客席で先輩達の発表を観ているはずですし」 「分かった。それならお前達、じゃんけんをしろ」 「はい?」 「じゃんけん?」 「どうしてこんな所で?」 「いいから、さっさとやれ。あ、三人で勝ち順を決めろよ?」 「はぁ……」  意味が分からないまま三人はじゃんけんを繰り返し、勝ち順を決めた。それを川本に報告する。 「終わりました。亀山、魚住、俺の順で勝ちましたけど、一体何なんですか?」  鳥嶋が報告すると、川本達は口々に険しい表情で問い質してくる。 「お前達……、俺達の今日の噺、頭に入れてるよな?」 「事前に部室で散々、稽古の様子を見せたしな」 「覚えていないとは言わさないぞ?」  常にはない迫力に押されつつ、鳥嶋は言葉を返した。 「え、ええ、そりゃあまぁ、確かに……」 「覚えてはいますが……」 「それがどうかしましたか?」  そこで川本達が、予想外にも程がある事を言い出す。 「お前達、俺達の代わりに出ろ。三人一緒に昼に食べた物に当たったのか、急に超絶に腹具合が悪化した」 「はい?」 「催し物の人気投票で、次年度の部費配分に影響が出る。その上、舞台発表の時間を割り振られているのにそれを打ち切ったら、次年度の大学祭での割り振りにも影響が出る」 「え?」 「諸々の事情を考慮し、ここで一か八か身体の空いているお前達に事後を託す決断をした」 「ちょっと待てぇえぇぇぇっ!」 「それじゃあ、亀山、魚住、鳥嶋の順で任せた!」 「トリだけに、最後はトリあえず鳥嶋で!」 「鳥、トリよろしくな!」  言うだけ言って、川本達は脱兎の勢いで出入り口に向かって駆け出す。それを呆然と見送った鳥嶋達は、一瞬遅れて声を荒らげた。 「……あ、ちょっと先輩!! 冗談じゃありませんよっ!!」 「何『上手い事言った』的なドヤ顔で、トンズラしてるんですか!?」 「あんたら揃いも揃って、昼に何を食ったんだよ!? ふざけんなぁぁぁっ!!」  そこに会場内の拍手が静まる音と共に、先程まで発表していた樋口がやって来て後輩達を窘めた。 「おい、お前達。袖で何を騒いでるんだ。次の噺が始まってるんだから静かにしろ。……あれ? 川本先輩と小暮先輩と海江田先輩はどうした? こっち側で待機しているんじゃなかったのか?  そろそろ上手側に回って貰わないといけないんだが……」 「…………」 「……どうした?」  揃って蒼白な顔を向けて来た後輩達を見て、さすがに樋口は異常を察した。そして詳細を聞かされた彼は、あまりの事態にその場で膝を折って崩れ落ちたのだった。  ※※※ 「………………」  飲み会の席で、鳥嶋が己の黒歴史を語り終えると、その座敷に沈黙が漂った。  話を振ってしまった以上、そのまま放置もできず、風間は気合を振り絞って鳥嶋に声をかける。 「ええと……、それで、どうなったんでしょうか……」 「言われた通り、トリを務めたさ。他の先輩達にも相談したが、先輩達も半ば自棄になってな。『全く準備ができてない状態で、無様な噺をしたくない。お前達、度胸試しのつもりでやってみろ』って、押し付けられた」 「ある意味、こだわりとプライドの強い方々ばかりだったんですね……」 「だがな、風間。幾ら話の内容を覚えていたって、そのまま話して受けるとは限らない。所作とか表情とか間合いとか、観客と一体化する技術と空気が必要なんだよ。俺の前二人で講堂内の空気が徐々に冷めてたのに、その空気の中で始めた俺の噺がとどめだったな……。針を落とした音が聞こえる位、静まり返っていたぞ」 「…………」  俺、どうして「いつも饒舌な鳥嶋先輩が、喋れない時なんてあったんでしょうか? まさかそんな事、ありませんよね?」なんて、その場のノリで聞いちゃったんだよ!?   もう居たたまれないぞ、この空気!!  徐々に項垂れてくる鳥嶋にかける言葉がなく、再び座敷内が静まり返る。風間も頭を抱えたくなったが、その沈黙は今度は鳥嶋自身によって破られた。 「もうそれから一ヶ月くらい、俺が何言っても笑ってくれないんじゃないかとか、あいつの話はつまんねえと陰口を叩かれているんじゃないかとか被害妄想に駆られてな。まともに喋れなくなった。挙句に引き籠りにもなりかけたが、毎朝亀山と魚住が迎えに来てキャンパスに引きずって行ってくれて、なんとか普通の生活に戻れたんだ」 「ええと……、さっき話に出た、先輩の一つ前と二つ前で噺をした方ですか」 「ああ。『俺達であそこまで盛り下がらなかったら、お前の心労だって少しはましだったのに』と言って、一緒に泣いてくれてな。あれ以降、俺達三人はずっと親友同士だ」 「そうでしたか……」  なんかすごいトラウマっぽい……。  それに、普段は俺様っぽい空気を醸し出している鳥嶋先輩の心が折れかけたって、想像するのも怖すぎる……。だからこそ、運命共同体的な三人なんだろうな。  そんな事を風間がしみじみと考えていると、いつもの口調での力強い鳥嶋の叫びが響く。 「あの時の、あの静まり返った講堂の気まずい空気を思えば、取引先の薄い反応や門前払いがなんぼのもんだ!! 喉が潰れるまで喋って喋り倒してでも、取引成立を成し遂げてみせるぞ!!」 「……ご立派です。鳥嶋先輩」 「というわけで、明日からお前に落語をレクチャーする」 「はい? いきなりなんですか?」  急に話題を変えられ、風間の目が点になった。そんな彼に、鳥嶋が真顔で告げる。 「俺にあんなことを聞いて来たって事は、お前、話術で躓いているんだろう。だから拙い落語を毎日職場で披露して、周囲の冷たい視線に慣れろ。その空気の中で喋るのを訓練していけば、反応が薄い相手に対しても平然とプレゼンできる鋼のメンタルを持てる。俺が保証する」 「いやいやいや、落語とプレゼンは関係ないですから!」 「最初は部内で、なんとかまともに喋れるようになったらビル一階のエントランスで、出退勤する不特定多数の人間相手だな」 「それ、どんな罰ゲームですか!?」 「噺の選択は任せろ。徐々にレベルを上げてやる」 「本当に勘弁してください!!」  その頃には座敷内は喧騒を取り戻しており、周囲からの「諦めろ」「頑張れ」などと声をかけられた風間の落語修業は、既定路線となっていた。
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