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「でも。夏美さんに嘘をついたのは、僕の弱さのせいです。僕は、嘘つきです」
まっすぐな目で語る信二は、もう一度、カエルの根付を撫でた。
帯を回した腰が、自分が感じていたよりもずいぶんと太くて、男らしいことに夏美は気が付く。
木陰に漂う松の香りは、信二が付けている香水らしい。いやらしすぎず、控えめな香りだ。
普段はスクエアタイプの眼鏡フレームに隠されていたのがもったいないほど、鼻梁も整っている。
それに。
「嘘つきだって自覚している人間ほど、正直者だと思うのよね」
言いながら小首をかしげた夏美の横顔に、汗が伝う。乳酸飲料の香りが似合いそうな、小麦色をした首筋が鮮やかだった。
2人は互いの表情を確かめるように、視線を交わす。同じような日本人らしい焦げ茶色の目の中に、2人にしか分からない瞬きが見える。
「……夏美さん。あの」
「うん」
「……退職届ってどう書くんですか?」
「私も一緒に調べる」
「じゃあ。せっかくですし、そこのカフェにでも入りませんか」
「あはは、いいね」
笑い声をあげた夏美が信二の顔を覗き込んだ。
「なんだか、嘘みたい。こんな日になるなんて」
信二は夏美の眼を見つめ返す。本心から、彼は答えた。
「ええ、本当に。嘘みたいです」
嘘ではないことは、2人にはよくよく、分かっていた。
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