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3
トイレとお風呂のある短い廊下を抜けると右側が寝室、左側がキッチンと繋がったリビングになっている。
リビングの方へ入るとゴミは纏められていたが、テーブルの上は残り物で雑然としていた。
なるべく喧嘩はしたくない。
今までも喧嘩らしい喧嘩はしたことなかったし。
これから一緒に暮らすのだから尚更。
心の中の黒い雲を押し込めて普通に話すように気を付けた。
『何時まで飲んでたの?』
『2時くらいかなぁ。』
『みんなどうやって帰ったの?』
『望月と進藤は彼氏が迎えにきて先に帰ったんだよ。
木下と佐々木は泊まって朝帰った。』
『そうなんだ。』
『シャワー浴びたら俺が片付けるから。』
そしていい事を思いついたような顔で言った。
『あ、あいつらベッドで寝てたからシーツとか洗いにコインランドリー行こうぜ。』
そう言われてリビングを飛び出し、寝室のドアを開けた。
セミダブルのベッドのシーツはめくれ、枕はひとつ、床に落ちていた。
それを見届けてリビングに戻る。
戻る途中、キッチンの流し台の横にガラスのコップが置いてあるのが見えた。
近づいて手に取ると飲み残しが入ったままでベージュのリップが付いていた。
この部屋にシングル2つは入らないからと新品で買ったセミダブルのベッド。
慎吾が寝ているだけならよかった。
そして新しい家での最初の日に乾杯しようね、と一緒に買った憧れのブランドのコップ。
コップを見ていたら涙が込み上げてきた。
『なんでよ…』
『ん?』
ソファに座った慎吾に背を向けていたので良く聞こえなかったみたいだ。
『だから、なんで使わせたの…ベッド。』
『え?あ、ああ。
気が付いたらもう寝てたんだよ。』
『どうして?
私とこれから一緒に寝るベッドに。
私もまだ寝ていないのに。』
『…しょーがないじゃん。
眠りこんでるのにどかせないだろ。』
面倒臭そうにため息をつくのが聞こえる。
『…どうして使わせたの…コップ。』
『…ああ…あれも気が付いたら使われてたんだよ。』
私の中の押し込めた黒い雲が爆発した。
『なんでよ!
このコップは新しい家で最初に乾杯しようねって買ったんじゃない!
どうして使わせるの!
私が一緒に住むまで友達は入れて欲しくなかったよ!
私の家でもあるのに!』
泣き叫びながら慎吾の方へ振り向いた。
初めてみる私の醜態に気圧されて顔が引き攣っていた。
『っ…悪かったけど、洗えばいいじゃん。
長く付き合ってきて、今さら‘同棲記念日’なんてガラじゃないだろ。』
『…もう気持ち悪くてベッドもコップも使えないよ。』
一度爆発した気持ちは抑えられなかった。
涙が止めどなく溢れる。
『だからごめんて。
大袈裟だよ…。』
慎吾は手足を投げ出しソファにもたれかかった。
慎吾の言葉を聞きながら、なんでここまで許せないのかわかってきた。
『優しくてみんなに好かれる慎吾が好きだよ。
ぶっきらぼうに見えても面倒見の良いところが好きだったよ。
…でもさ、そのせいで慎吾の中で私の優先順位って低いよね。
友達の方を優先してても‘慎吾の大事な友達だから’と思ってきたよ。
それでも大切にされてるって信じてようとしてきたけど。』
慎吾は『はっ?』と言ってまたため息をついた。
『記念日とかを気にして欲しかったんじゃないよ。
記念日を楽しみにしてた私の気持ちを大切にして欲しかったんだよ。』
今までになく大泣きしながら話し続ける私の扱いに困っているようだった。
『…もうわかったから。』
『私が住んでしばらく経つまで友達呼ばないでって言っておけばよかったね。
来ちゃったとしても、最低限のことは慎吾が守ってくれてるだろうと思ってた。』
立ち上がって私に近づいてきた。
ラチがあかない話はもう止めようと言いたげな顔だ。
私はずっと持っていたコップを慎吾の目の前に掲げた。
『このコップみたいに…慎吾にとっての私はただの日用品として扱われる未来が見えちゃった。』
泣かずに話そうとしてもコントロールできない涙が溢れてくる。
『一緒に長く暮らしたらそうなっていくのかもしれないけど。
最初からは嫌。
遊びに来ないでと思ってるわけじゃない。
でもここは私の家でもあるのに、ずっと慎吾のお友達たちに付き纏われるのも嫌。』
慎吾は立ち尽くしたまま怒りと困惑が入り混じった表情をしている。
『一緒に暮らすのやめようか。
…ていうか別れようね。』
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