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「どういう事だろうな……」
それは独り言のような呟きだった。だが、柊吾はそれに答えるように小さく首を振った。
松浦がこちらに嘘を教えたとは思えないから、これは森一織が松浦に嘘をついていたという事だ。何故職場を偽っていたのか?
「……職場を教えたくない理由……付き合っていたっていうのもあやしいかもな」
「え?」
「もしかしたら松浦が一方的に交際していたと思い込んでいて、女の方は迷惑がっていた……職場も嘘を教えている位だからな……姿を消したのはいい加減松浦から逃げたかったからなのかも知れないな……」
「もしそうだとして、それで居場所を見つけて……それで、立花さんは森さんの居場所を教えるの?!」
立花は柊吾の非難するような視線に苦笑を浮かべた。だが、柊吾の望む言葉は得る事が出来なかった。
「言っただろ、それが仕事だ」
ノックの音が聞こえ、二人は口を閉ざし扉を注視した。店長の笹野は若い女性スタッフを伴って戻って来た。
「彼女が森さんの担当だった雪野です」
「はじめまして、雪野です」
栗色の髪を後で結い上げた、まだあどけなさの残る雪野は緊張した面持ちで二人に挨拶をした。
笹野は予約客が入ったとかで直ぐに部屋から出ていたので、三人での面談になった。
まず雪野が森一織の最終来店日を、持参した手帳を見ながら教えてくれた。
「二週間程前の木曜日の15時です、それ以降はいらしてません」
「……森さんの予約の日時というのはいつも平日の昼間なのですか?」
「……そうですね……平日が多かったです、時間は午前中の時もあったりとまちまちですけど」
大判の赤い手帳をぺらぺらと捲って確認しながら雪野が答える。立花の質問の意味を柊吾は考えていた。
平日の昼間に美容院に予約を入れる森一織……一般企業に勤めているOLという線は薄いな。平日休みの業種となると幅広いが、それでも少しだけ選択肢は狭まったように思える。
「あの、森さんも美容師だったって事はないですか?」
「いえ、それはないと思いますけど……」
「……そうですか……森さんの職場などご存知ないですか?」
「すみません……よく、知りません……ただ、仕事先が新宿にあるって聞いたような気がします……確か……新宿だったと……」
記憶を探るように視線を天井の方へ向け、雪野は考えながら言葉を繋ぐ。美容師というのは顧客を何人も抱えているのだ、その顧客一人一人を覚えるのは容易ではないだろう。
だが、少しでも手掛かり欲しいのだ。立花は新たな質問を投げた。
「森さんとプライベートなお話をされた事はありますか?」
「……プライベート、ですか……」
「髪を切っている間などに少しお話されたりしますよね、その時の話などでいいんです」
「……はい……」
「趣味の話や職場の話などしませんか?家族や恋人の話、住んでいる街の話……そういった事なんでもいいんです、思い出せる範囲で話していただけませんか……?」
「はい……思い出してみます……あの……森さん……どうかしたんですか……?……探偵さんが来るから私びっくりしちゃって……」
心配もしているのだろう、だが彼女の瞳には好奇心も浮かんでいる。立花がどこまで話すのだろう、そう思いながら隣に座る男を見ると人の良さそうな笑顔を浮かべ、まずこう言った。
「心配ですよね」一旦唇を引き結ぶと、立花は居住まいを正し雪野に向き直った。
「彼女を探し出したいのです、彼氏との交際は順調だったと聞きます、私生活の方でも特に問題はなかったようです、だから彼女が自分の意思で姿を消すという事は考えにくい……何らかの事故や事件に巻き込まれているならそれを早く解明しなければなりません……その為にも貴女に力を貸して欲しいのです」
訴えるような熱の篭った口調に雪野は引き込まれるように、立花が話す言葉に時折頷きながら耳を傾けた。
彼氏との交際が順調だったとか、私生活に問題がなかったとかそんなのは立花のハッタリだと知っている柊吾ではあるが、それでも立花の話し方はまるで真実を話しているような説得力があった。
口調だけではなく、声の大きさ、トーンなど話方全てに注力を注ぐ立花だからこその説得力だ。自分にはこんな事出来ないと、そこは素直に認めている。
「さっきも言いましたけど……職場は確か新宿だったと……何のお仕事かは分からないんです、だけど……」
「だけど?」
「……仕事帰りに寄ってくれた事があって……その時は何だか甘い匂いがしていました……」
「甘い匂いですか……」
「はい……そうですね、あとは……一人暮らしだったと思います、自炊しているって言ってました、料理の話をよくしたのを覚えてます、彼氏に作ったりもしてるって……レシピを教わった事もありました、そういえば最後に来て頂いた時はお菓子を差し入れてくれました……優しい気遣いの出来る人でした……」
柊吾は雪野が話していく事柄を手帳に書き留めていった。
彼氏に手料理を振る舞うという事は部屋に招いたか、松浦の部屋に行ったかしていたのか。付き合っていないのに、そんな事するかな……でも、付き合う内に松浦が嫌になったのかもしれないし……。
差し入れのお菓子……。
お菓子か、どこのお菓子なんだろう?
和菓子?洋菓子?
だが、立花は菓子の事には触れず質問を続けた。
「彼女はいつ頃から、どの位の頻度でこの美容室に通っていましたか?」
「……えっと……」
「どうしましたか?」
「あ、いえ……はい、三ヶ月に一度位のペースですね、確か1年ちょっと前くらいから……」
何かを言いかけたようだったが、手帳を捲りながら答える。
「そうですか……」
雪野は何かを言いたそうに正面に座る二人を交互に見つめた。視線に気付いた立花は穏やかに聞いた。
「何か思い出した事でも……?」
「……いえ……あの……ひとつ、確認したいんですけど……」
「はい、なんでしょう」
「……彼女……っていうのは……?」
「はい?」
「……すみません、言っていいのか……どうか……でも探される方が知らないのでは探せないんじゃないかと思うので……」
「何の事ですか?」
逡巡しているような雪野だったが、吹っ切るように立花を強く見つめると二人が思っても見なかった事実を口にした。
「森一織さんは、彼女は……男です……」
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