《ムカつく1》

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《ムカつく1》

 鏡梨は女装をした格好で双葉のマネージャーに会った。  双葉のマネージャーは九条(くじょう)と言って、眼鏡を掛けたふくよかな体つきをしており優しそうな雰囲気の男性であった。しかも双葉のマブダチでIT系に強いと聞いている。  双葉が喋ったがどうかは知らぬが、勘が鋭いのか一発で男だと見抜かれて焦り女装前の顔写真を見せさせられた。すると「どっちも可愛いじゃないっすか」という反応を受けたので、どういう意味だとよく思った。  だが問題はプロデューサーだ。マネージャーの九条と双葉と一緒に話したがこれまた厄介であった。  まず曲に関しては無暗な罵倒をするなということや、サンプルを使うなという指令が下ったのだ。しかも楽曲製作は自分がやるからお前はただ作詞でも書いてろと言うではないか。  一瞬殴りとばしてやろうかと思ったのを双葉に止められて無言で時を過ごしたのだ。  会議が終わり九条は胸を撫で下ろしていた。 「いや~、カガリさんの手が早いのが本当だったのがわかったすよ」 「そうなんだよ。俺が手綱持っていないと暴れちまう始末よ」  あっははと二人して笑っているが鏡梨は笑えない。あれだけプロの道になるのは厳しいのかと思うと悩んでしまいそうだ。  はぁと息を吐いた。 「どうした急に、そんなため息吐いて?」 「……別に。なんでもない」 「なんでもないじゃないだろう。ほら、言ってみ?」  なんとなく皮肉を告げたくなって「プロの道って案外厳しいんだな。もっと楽かと思った」なんて思っていないことを話してしまう。  九条は顔をしかめていたが双葉は面白そうな反応を示していた。 「じゃあ怖気づいたか。俺と本当のプロの道行くのも楽しそうだろ?」 「まさか。でも、ボコボコに言われたのはムカつくからやってみるよ。――このまま言われっぱなしは嫌だからね」  少し安心させるような笑みを見せると双葉が抱き寄せてくるので「抱き着くな!」なんて言って蹴とばした。九条はその姿を見て朗らかに笑っている。  そんななかで事務所から離れて九条を銭湯に誘おうとすると……一人の若い男がやってきた。  ブルー系の髪にホストのような服を着た男は双葉を見かけた途端に――抱き着いたのだ。 「早芽さん! メジャーデビューおめでとうございます」 「あぁ、(みなと)か。どうした、急に」  どこか後ろめたさを感じる双葉に鏡梨は直感した。 (……こいつの女か?)  なぜだが首をしかめてしまう自分を差し置いて湊は双葉に好意を寄せていた。明らかに双葉の女である。鏡梨は寒気を催した。  湊はくっついたまま双葉を離そうとしない。 「早芽さんに会いたかった……。あなたのバズーカ砲で僕を串刺しにして?」 「な、なに言ってんだお前は」 「だってぇ、本当にそうして欲しいし」  目の前でイチャイチャされてムカついている鏡梨は九条と共に「行こう」と腕を引っ張った。この気持ちが悪い空間に居たくはなかった。 「あ、おい、カガリ!」  鏡梨じゃないのかよなどと思いながら顔を困惑させている九条の腕を強く引いた。  『湯花』へと着いた鏡梨は九条を先に銭湯へ行かせて自分は窓から伝って侵入し、着替えをし終えてから銭湯業務へと励んだ。そして悶々としながら掃除をしてタオルを変えていた。  多くの客からは「なんか怒っている?」などと言われたのでムカついたのだが、そうなので頷かずに「別に」なんて答えておいた。  風呂場の掃除を終えていると九条は客と一緒に黒ビールを飲んで笑っていた。「あ、カガ……鏡梨さん!」そう声を掛けられて傍へ寄ると耳元で囁かれる。 「早芽さんの一番はカガリさんなんすからね。そう落ち込まないで下さい」 「……落ち込んでいないよ」 「そうは見えないっすね。俺にはね」  そして客たちと共に話で盛り上がる九条の目を差し置いて、鏡梨は部屋へと足を運んだ。  部屋へと戻りパソコンとルーズリーフを取り出して「罵倒しない曲ね……」なんて呟く。思いつかないのでとりあえずプロのラッパーの曲を聴いてみた。  ――それは痺れるものであったのだ。 「すげぇ……。ライムとムーブも良いし、パンチラインも決まって良い……」  果たして自分の罵倒ラップはここまで通用するのかさえ思った。それだけプロとアマチュアは格が違う。  鏡梨はふっざけ騎士(ナイト)を手に取り修正をした。期限は一週間後だ。少しでも完成に近づけたい。  その一心でリリックを書き直し、自分の音は極力避けておく。音楽の方はムカつくプロデューサーから音源をもらった。  絶対に負かしてやる……胸に秘めた思いが鏡梨を加速させて夢中にさせるのだ。  双葉が『湯花』に現れたのは夜の九時頃であった。  鏡梨が気になったので駆けつけると、客の間に九条とおじさんやおばあさんたちが大集合していた。こいつ馴染むのが早いなと感じていると吞兵衛のおばあさんが声を掛けてくる。 「あら~双葉じゃない! 久しぶりね~」 「どうもっす」 「双葉さんも風呂入るかここでビールでも飲みまないすっか」  九条がにこやかに微笑みながらスマホを掲げている。なんとなくスマホに目を向けると、メッセージに『カガリさんが頑張っているっすよ』などと書かれているではないか。双葉はそのメッセージを見て客たちの誘いを断る。  やはりこのマブダチ……いや、親友は気が置けぬほど鏡梨のことを心配しているようだ。  双葉はマスターに「嬢ちゃんに用事があるから部屋に上がらせてもらうぞ!」そう言った。店主の鏡史は「息子なんだけどね」なんて言いながらも承諾し部屋へ上がらせてもらうと……鏡梨は眠っていた。パソコンの前に突っ伏したまま眠っており、寝息を立てている。  そして散らばっている譜面はカガリ名義のふっざけ騎士(ナイト)であった。だが修正ペンで赤くされている部分が多数見受けられ、よく見ると鏡梨の手には赤いペンの跡が残っている。  双葉はくしゃりと笑った。 「なんだ。頑張っているじゃねぇか――鏡梨はよ」  眠っている鏡梨をベッドに眠らせて双葉は窓を開けて夜風に当たりながら煙草を燻らせる。  ――煙草の深い香りで鏡梨は身を捩らせ瞳を少しずつ開けた。
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