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《ムカつく2》
煙草の深くも味わいのある匂いに目が覚めた鏡梨は自分の居るはずだった場所ではなく、ベッドに居たことに驚いた。
しかも布団も掛けられている。自分で起き上がって寝床へ着いたのかさえ思ったが不思議である。
「あれ、俺なんでベッドに居たんだっけ……?」
「よぉ、やっと起きたか嬢ちゃん」
声がした方へ見上げると黒ビールを嗜んでいる双葉が窓を背にして立っていた。鏡梨は嫌な目つきをした。
「なんでお前がここに居るんだよ。……九条さんは?」
「九条はここの連中と飲みにでも行ったよ。俺は断ったけどな」
「……あんたも行けば? 俺はボコボコに言われた作詞の書き直しして、風呂場を洗いに行くから」
わざとそっけなくするのは九条というマブダチの存在と作詞に難癖を付けられたのと――恋人であろう湊の存在を気にしているから。
こういう時は一人で作詞しながら風呂にでも入って寝るのが一番だ。――鏡梨には親友も両親以外自分を愛してくれる恋人も居ない。ただ孤独に生きているのだ。そうやって今まで過ごしてきたのだ。
双葉がビールを煽る。
「なんだよ、また急に冷たくなってよ。俺が布団まで姫様抱っこで運んでやったのに」
「それは言わなくて良いだろ」
ふんっと鼻を鳴らして起き上がり、ルーズリーフとにらめっこする鏡梨に双葉は喉元で笑う。
「――元セフレの存在に妬いてんのか?」
「……元セフレ?」
セフレってなんだと思っている様子の鏡梨に双葉は察したらしい。
「セックスするだけの関係ってことだよ。それにあいつは早芽としての、ラッパーとしての俺が好きなんだ。俺という、双葉という人間が好きなわけじゃない」
「なんだよ急にさ。……俺には関係がない」
「関係はある。――俺はお前に惚れているからな」
胸が弾んだ。だが「カガリの腕としてだが」なんて言われて脱力する。脱力する自分は一体なんだと思ったが表面上では出さずに「あっそ」そう答えた。
「なんだよ~。『恋人にして?』なんて言ってくれたら俺はオッケーするのによ」
「ないなそれは。それは絶対にない。……あんたには親友や愛してくれる人も居るし、ここのお客さんとも仲がいいだろ。それだけで十分だろ」
「嫌だね。俺は強欲なもんだからそれ以上欲したくなるんだよ」
「……はぁ」
なんて奴だとか思いつつも作詞を続ける鏡梨の横に双葉が蝶のように来る。ふわりと香る煙草と酒の香りの充てられ、少し感情が乱れてしまいそうになる。
ぐっと抑える。こいつの思い通りにはさせないと鏡梨は強く思う。
双葉が緊張している様子の鏡梨を見てニヒルに微笑んだ。
「なんだよ、嬢ちゃん。――緊張してんのか?」
「はぁ? なんだよ、急に――」
してねぇよと小さな唇を開けようとすれば、唇を啄まれ――キスをされた。煙草と酒に塗れたキスに酔いそうになるほど乱暴なキスであった。
口内を蹂躙され歯列をなぞられ唾液と唾液を絡ませるキスは鏡梨を酔わせるには十分な材料であった。
「んぅ……んぅ……はふっ……」
「んぅ……、なんだよ。そんなにお気に召したか? 俺のキスは」
最後に軽いキスを送られて息を乱れさせる鏡梨に獣は酔わせるように耳元を食んだ。鏡梨は身体をヒクつかせたので機嫌を良くさせる。
「俺の恋人になれば甘やかせてやるし、名前だって呼んでやる。お前の好きなようにもさせてやるしな」
「……ぜってぇ、ヤダ」
なにが嫌なんだと言いたげな双葉に鏡梨は「セフレにだって、親友にだってそうしているんだろう」などと言い出した。
双葉は顔を熱くさせた。鏡梨は親友にさえ嫉妬をしているのだと思うと嬉しくなって代わりに抱き締めてしまう。
自分のものにしてしまいたい……そう願ってしまう。
「どうせあんたは経験豊富そうだし、そうやって抱き締めて自分のものにしていたんだろ。俺なんか別にそういう風に堕ちる人間じゃないし」
「……っく」
「なんだよ、鼻で笑って。そんなにおかしいかよ」
「いや。――お前が早く負けを認めて堕ちて俺の所に来てくんねぇかなって。お前があんまりにも可愛いからさ」
鏡梨の身体が熱くなるのを感じる。双葉は内心でこいつが素直に自分のものになるにはどうしたら良いのか、そう考えた。
目に映るのは書きかけの散らばったルーズリーフだ。抱き締めた力を緩めてルーズリーフを集める。
そしてルーズリーフという名の譜面に目を通すとナイトシリーズの新作、ふっざけ騎士であったのだ。ファンとしては歓喜ものである。
「おぉ~、新作かよ! 読ませてくれ」
「ちょっと待った、それまだ書きかけだし!」
「なに言ってんだ。俺の専属リリシストなんだから読ませろ」
背の高さと力強さで譜面をふんだくり読み込んでいく双葉をよそに鏡梨はぶつぶつと呟いていた。「どうせパンチがないんだろ」などと言っているが……予想よりも遥かに超えた作風となっているのだ。
双葉は驚いて小柄で華奢で美人な青年の姿を見る。――こいつはとんだバケモノだと目を疑うほどだ。ますます欲しくなった。
「なんだよ? なんか文句あんのか」
「……いや、別に~。嬢ちゃんの顔が可愛くて奇麗だから見惚れていただけだ」
「はぁ?」
嘘を吐いたのは鏡梨が自分の腕に酔って自分以外のリリシストにならないようにする為。このことは九条にも伝えて掴んでおこうと画策した。
お前は絶対、俺を離させないようにしてやる――そう思いながら、残りのビールを飲み干したのだ。鏡梨は不満を垂れ流していたが。
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