《利用してやる》

1/1
前へ
/27ページ
次へ

《利用してやる》

 期限の一週間までは間に合ったものの、鏡梨は自信が無かった。  自分のこれまでの罵倒ラップとは打って変わり、カッコよさを重視しつつ、でもふざけた感覚にしつつも紳士的な面に着目してリリックを組んだ。  もちろんヴァースもライムもフローもパンチラインも決めこんだ。あとは嫌なプロデューサーに提出をして反応を見る……という感じである。  双葉には「いいんじゃねぇか?」そう言われたが鏡梨は「当たり前だろ」なんて言いつつも内心では不安で堪らない。  もっとカッコよくさせたい、イイ感じのフローやパンチラインを決め込みたい。  ただ自分の語彙力のなさに落胆しつつあるので、鏡梨は風呂場の手伝いをしてから散歩に出掛けた。なんとなく発散したかったのだ。  ぶどうジュースをプシュリと開けて飲み干し「ぷはぁ~」と情けない声を上げる。すると誰かが近づいてきた。 「あ、やっぱり君だ! 鏡梨くんだよね?」 「え、あの……」  誰だこいつと思っていると「湊って言います。カガリっていう女の子から聞いてないかな?」などと言うではないか。  ブルー系の髪に端正で女性的な顔立ちであるものの、ラフな服装を着ている男に鏡梨は身元がバレぬように声を低くした。 「そうですけど……。俺になにか?」 「そうそう、君にもカガリって子にも用事があるんだ。――あのデブ、カガリって子の連絡先教えないっていうからさ~」  鏡梨は顔をしかめた。デブとはおそらく九条のことであろう。九条のような縁の下の力持ちを馬鹿にするような奴は鏡梨は嫌いなのだ。  脇役や下からの支えがあって主役が際立って見える――その役割を担っている九条をただのデブなどと呼ばれたくはない。  ムカついている鏡梨をよそに湊は爛々とした様子であった。 「でさ、話なんだけど……俺と早芽さんをくっつけてくんない?」 「……はい?」  疑問符を抱いている鏡梨に湊は天真爛漫な表情で笑いかける。 「だってぇ~、早芽さんは俺になびかないのはそのカガリって子が鍵になるってわかってさ。だったらそのカガリとくっつく前に奪っちゃおうかなってさ!」 「はぁ……そんで、なんでそこに俺が入るんすか?」 「君にも手伝って欲しいからだよ。――僕と早芽さんが結ばれるように、ね」  すると手元を握られてなにかを渡された。……見てみると一万円札が二枚も挟まれていた。この金持ちめと内心で舌打ちを打つ。  湊は相変わらず天真爛漫な表情で微笑んだ。 「ねぇ、僕に力を貸してくれるよね?」  まるで悪魔との取引だなとか思いつつも双葉がカガリとして腕を買っているのはわかっているので……鏡梨はこの二万円を承諾した。  ――利用してやるよ。  その気持ちでいっぱいになり、湊と手を組むことになった。  後日、女装した姿で事務所へ向かうと九条が待ち構えていた。鏡梨の姿を見て安心したように胸を撫でおろしている様子だ。 「良かったすよ~。カガリさんが来てくれて。一瞬来ないかと思っちゃったすよ」 「俺は言われっぱなしは嫌だって言ったでしょ?」 「俺はじゃなくて私っす」 「はいはい」  頭を掻いて「あいつは?」ふと尋ねると九条が顔をしかめて「実は……」口籠るように言い出すと事務所には湊が押しかけて双葉を困らせているなどと言っている。  ……なんという用意周到さだなんて思いながら、当の二万円渡された張本人は「呑気なもんだね」そう言って自分だけがプロデューサーの元へ行くと言った。  途中九条も参加するということになったので双葉を連行しようとする。内心で舌打ちを打ちつつ双葉は助かったような顔をして鏡梨に顔を見せた。 「よぉ。なにしかめっ面してんだ。――妬いてんのか?」  声がバレぬように無言で睨みつける鏡梨に双葉が離れて寂しそうだがあと一押しだという湊を見て、こいつらがくっつけば良いのになんて柄にもなく思ってしまう。  こういう関係性はかなり面倒なのだ。好意を寄せている相手が居たらそこになびけば良いのに。――愛されるのはそんなに苦しいのかさえ思った。  九条の腕を引っ張り「行こう」という合図の元で鏡梨は双葉と目を向けなかった。お前らがくっつけば俺はそれでいいというようなニュアンスの視線を送り、プロデューサーが待ち構えている部屋へと行こうとする。  すると双葉もなにか言いたげな顔をして湊へ「あとで話がある」などと言って一緒に部屋へと入るのだ。 プロデューサーからはまだまだボコボコに言われて頭に来そうになり、手が出そうになったが、抑えて話を聞くとフレーズにパンチが足りないとのことだった。  それは人を罵倒させるものではなく、人を悦ばせ弾む気持ちになるようなそんなリリックを書いて欲しいとの注文である。  あと三日で書けるかと言われ「なんとかやってみます」そう強く頷くと硬い表情のプロデューサーに最後「お前はよく頑張っているよ」なんて褒められた。  このプロデューサー、ぜってぇ変わってんなと内心で思いつつも嬉しさが込み上げてきた。  会議が終わり帰ってくるとしぶとく湊がスマホを弄りながら待っていた。双葉は疲れた様子で「ちょっと話付けてくる」などと言って離れようとすると鏡梨は「別に恋人になってもいいんじゃない?」なんて告げたのだ。  野獣が戦慄した。 「だってあんなに愛してくれる人なかなかいないよ? あんたは強欲すぎるんだよ。だったらさっさと恋人でもセフレでもなんでもなってさ。それで良いじゃん」 「お前、――本気で言っているのか」 「本気も本気だよ。だからさっさと恋人になって――」 「ちょっとお前、来い」  いきなり手を引かれてなんだと思う鏡梨に双葉は嬉しそうな顔をする湊の前で……キスをした。驚いて見つめる湊にこちらもまた驚いている様子の鏡梨を見て双葉は「俺はこいつしか見てねぇから」そう言って鏡梨を引き寄せて歩き出してしまう。  慌てふためく湊と頭を抱えている九条を置いて行ってしまったのだ。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加