《この男》

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《この男》

 鏡梨に興味を抱いたのか、この銭湯が気に入ったのかわからぬが、双葉は『湯花』によく通うようになった。  周さんとはサウナに入って喧嘩のようになるが入り続け、健さんや薫のホモカップルとはいじるような反応をしていて、さらにはおっさんやおじいさんたちとは仲良くなりつつあるのだ。  長めの茶髪に精悍で野性的な顔つきは男たちも女たちも惚れさせ、健さんには「薫を取るなよ」なんて冗談っぽく言われている。  おばあさんからももちろん、若い女からも好意の目線で見られており、双葉はそんな視線でさえも遮って鏡梨を舐めるような視線で見つめてくるのだ。  鏡梨は気づいてはいたが悪寒がしてならない。 「あの、双葉さん」 「あ~、なんだよ鏡梨? 俺の色っぽい視線とカラダに惚れたか?」  違うわとか言いたいがこんなことを言っても無駄になってしまいそうな気がしてならない。というより、この気持ちが悪い宇宙人のようなおっさんには効かない感じを抱いてしまう。   遊び人のようなこの風体の男に、自分のような若輩者には敵わないと直感した。 (――こういう時は無視に限る)  だから鏡梨は言葉を無視して立ち去ろうとする。双葉が浸かっている水風呂がざぶんと鳴り響いた。 「俺が怖いのか? えっ?」 「怖いもなにも……、そういうお客さんにはそういう対応をした方が良いと判断しただけです」 「……ふ~ん」  また水風呂に入り直し「ふぅ~」息を吹き返す双葉に、鏡梨は一瞥して後にした。  銭湯の仕事をし終えて休憩に入ると鏡史に伝えると、鏡梨はすぐさま二階に上がり曲作りをし始めた。  このひとときが至福で堪らない。  二十歳になって酒も呑めて煙草も吸えるというのに、取ったものは風呂と曲作りであった。酒や煙草を吸う金があるのなら、お金を貯めてパソコンのソフトで曲を作りたいのだ。 「あ~、やっぱりこれが一番だ~」  パソコンを開いて楽曲作りをするのは楽しい。人の目を気にせず、でも楽曲を作り上げて良い反応をもらえれば嬉しいものだ。批判されることもあるが、ファンも付いてくれるのだから強みでもある。 「ふんふん、ふ~ん~」  気分良く鼻歌を歌いながら、今作っている楽曲はナイトシリーズと呼ばれる作曲の作詞である。サンプルで曲をかき集め、フロー(流れ)とライムとパンチライン(決め台詞)を決めて作詞をして、音集めをする。  途中、欲しい音が無かったのでパソコンを一回閉じてギターや簡易ピアノで音を奏でようとした時――ガチャリと扉が開いた。 「えっ?」  そこにはニヤついている双葉がタオルを首から下げてやってきたのだ。今日の温泉はヨモギだったからヨモギの香りがした。 「な~んだ。オナニーしていたら襲っていたのによ」  よっこらせとずかずかと入り込んでいた双葉に、鏡梨は罰が悪そうな顔をしてやった。なんでお前が来るんだという視線を向ける。 「なんでここに来たんですか?」 「そう冷たく言うなっての。親父さんが店番頼むってよ」  まさかの鏡史でさえも取り込んだのかと思うと、この男の末恐ろしさを感じた。  ――こいつは危険だ。間違いなく危険だ。  鏡梨は簡易ピアノを置いて「わかりましたから出て行ってください」冷たく言い放った。しかし双葉は引き下がらず「曲でも作っていたのか?」質問を投げてくる双葉に鏡梨は違いますよと告げようとして……目を見張った。  なんと双葉がニヒルに笑ってファイルに入っている譜面を見せつけてきたのだから。  鏡梨は焦った。かなり焦った。……その中身には。 「なんだよこれ、エロ画像でも印刷したのかよ」 「ちがっ、違います! いいから取らないでください!」 「怪しいな~。中身見ちゃおっかな~?」 「――この、クソオヤジ!!!」  鏡梨は回し蹴りをお見舞いしようと振り上げた矢先、翻されて態勢を崩した。――やばい、倒れる! 思った矢先には痛みではなく、程よい筋肉質な身体に抱き留められてしまった。 「おー危ない、危ない。華奢で可愛い嬢ちゃんに、回し蹴りなんてぶっそうなもん、もったいねぇぞ」 「うっさい! いいから、離せ」 「抱き心地はそうだな~。でも少し肉食った方が良いぞ。細くて弱すぎてすぐに犯しちまいそうだ」  身体が熱くなって思いっきり突き飛ばした。  双葉は身体をよろけさせるもにたりと笑いながら譜面を覗こうとしている。  そうはさせないと思って鏡梨は奪い返そうと奮闘する。  だが鏡梨よりも幾分背も高く体格の良い親父だ。片手であしらわされ、「ど~んなエロ画像かな~」呑気に言っている。悔しくて堪らない。  譜面を覗いた双葉が動かなくなってしまった。微動だにしない。  やばい……そう思った瞬間、双葉に顔を覗き込まれる。 「お前、――どうしてカガリが書いた譜面がここにある? しかもサインまで一緒だ」  譜面にはナイトシリーズの一つ、ヤットこ騎士(ナイト)の譜面に自身が考案して試しに書いていた直筆のサインがそこにあった。  最近のラッパーはおしゃれな雰囲気であるので人目に付かれても困らないが、鏡梨が作詞したものはライムとフローに最後のパンチラインが効いており、しかも罵倒三昧ときたものだ。  だから批判も来るのだが、イイ感じのフローとヴァース(韻文)が効いており、しかも最後のパンチラインが大いに盛り上がるので人気が高いのだ。  しかし、アウトローな雰囲気のラッパーの世界に憧れを持ちつつも、そんな世界とは関係のない両親には伏せて生きてきた。  これからもそうだと、そうしたいと願っているのに――この豪快だが色気があり耽美な大男が邪魔をする。 「どういうことか説明してもらおうか」  座ったまま話を聞く態勢の双葉に鏡梨は冷や汗を掻いた。  
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