《不安》

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《不安》

 双葉が銭湯に通うようになって一か月ほど経った。  双葉の野性的な美貌の良さが客寄せパンダと化し、女性客が増え始めたが双葉は相変わらずサウナで周さんといがみ合い、健さんと薫には茶化し、風呂場でじいさんとおっさんと一緒に黒ラベルを飲み干す日々を送っていた。  そんな日常を送っているが、鏡梨も変わらずに合間を縫っては作詞活動に打ち込んでいた。曲名はふっざけ騎士(ナイト)――ナイトシリーズの新曲である。  サンプルだけでも作ってみたがしっくりこず、簡単ではあるがギターやピアノも使って作成した曲だ。  曲調としては、ふざけるをテーマにしたが騎士であるので紳士的な一面を見せさせた。だから初めは静かで徐々にテンポを上げて踊り狂うようなアップテンポにしたのだ。  またリリックも『くたばれ』だの『酒浴びろ』だの『おっ沈じまえ』だのとふんだんに罵倒させるようなヴァースとパンチラインを決め込んだ。  あとは音声データをソフトに組み込んで、男が喋るようにAIのデータを組み込むだけだ。 「ふぅ……」息を吐けば、時刻は二十二時を回っている。銭湯『湯花』の閉店時間だ。  ノックの音が聞こえ入ってきたのは父親の鏡史であった。慌ててパソコンをしまい込む鏡梨にふと朗らかに笑っている。 「またパソコンとにらめっこか? 一体なにしてんだが」 「と、父さんには関係ないよ……」  そっぽを向いている息子に微笑んで「後片付け任せたぞ」など言って鏡史は立ち去った。  今日の銭湯掃除の当番は鏡梨だ。よっこらせと仕方なく立ち上がり、鏡梨は風呂がてら掃除に励もうとした。  シートワイパーで軽く床を拭き、サウナの点検をして床マットやマット類を収集して洗濯物に入れ込んだ。これは母親の仕事なので頼んでおき、自分も衣服を脱いで皆が浸かった風呂に入る前にシャワーを浴びる。  銭湯の基本は皆が奇麗に使えるように身体を流すか、洗うことだ。  鏡梨は普段から後者を選択しているので、髪の毛を洗ってから身体をボディソープで念入りに洗うことにした。  客の居ない静かな空間に一人で居るのは寂しくはない。むしろ贅沢な気持ちになる。――しかも今日は満月だ。  風呂場の掃除は大変だが、露天風呂で一人月見酒ならぬ月見風呂するのも良いなとも思った。  ガラリと扉が開く音がして、父親かと思い振り向けば――逞しく勇ましい身体付きをした男が入ってきた。  首筋に双葉の刺青に身体にはとぐろを巻いた蛇のような刺青をした男は、驚いている様子の鏡梨にニヤついて隣に座り、汗を流す。  鏡梨が嫌な顔つきになった。 「なんであんたが居るわけ? 閉店してんだけど」 「あんたじゃなくて双葉だ、ねぇちゃん」 「……鏡梨だし男だから」  なんと自分よりも大柄な男……白淵 双葉がなぜか入り込んでいたのだ。どうして入り込めたんだと言いたげな鏡梨に「マスターが気を利かせて入らせてくれたんだ」なんて言う。気を利かせたなんて聞いてもいない。 「最近お前と仲がいいだろう? ヒキニートくんのマブダチってことで一緒に掃除してくれないかって」 「俺は頼んでいないんだけど」 「親孝行も大切だぞ。ヒキニートで売れないリリシストくんはよ?」  売れとるわ馬鹿とでもかましたいが喉元で抑え込んで「アリガトウゴザイマス」と超絶冷淡な反応をすれば、シャワーを浴び終えた双葉が野獣のような視線笑った。 「しかし……本当に男だとわな~。ちんこ付いてるし」 「俺がいつ女だって言った?」 「言ってはいないな~。乱暴だけど睨みつける顔が可愛くていじめたくなるし、華奢で色白な美人だしな。だからそう思ったのかもな」 「ぶっとばすぞてめぇ」  ははっと軽く笑われて鏡梨は双葉の体格に視線を下ろした。  太い体格にシックスパック割れた腹筋に自分の太ももよりも逞しい上腕二頭筋と大体金に広背筋。……そして局部はズル剥けででかい。  自分のなかの雌が高鳴って視線を合わせないようにする。そして身体を洗い終えて露天風呂へと向かおうとすれば「ちょっと待った」そう言って双葉は備え付けのロッカーから冷酒を取り出した。なぜかグラスが二個もあった。  鏡梨は顔をしかめる。 「俺、酒好きじゃない」 「好きじゃないにしてもお前、二十歳だろ? マスターから聞いたぞ?」 「酒飲むくらいなら風呂に入るか音楽作ってた方が良い」 「そう言うな。たまにはお兄さんの酌でも注げって」 「……あんたはおっさんだ」  反発したつもりだが双葉はニヒルに笑うだけだった。  月夜が照らされる露天風呂でなぜだが酌をする美人だが冷徹な青年と、満足そうにうまそうに呑むオヤジは会話もないままただ茫漠と月を眺めた。  今夜の満月は雲一つもなく晴天であったが、この猛獣のような風体のオヤジのせいで気分が最悪だと言いたいぐらいであった。――だが、猛獣は大人しく酒を呑んでは色香を漂わせる雰囲気で酔いしれている。  言葉を呑み込んでしまい、男を凝視してしまうほどに。 「俺、やっていけんのかな~ってさ。ふと思っちまうんだ」  猛獣はふと孤高を切り裂いた。 「ダチも一人しか居ないし、正直やっていけるかわかんねぇ。メジャーデビューしても仲間が居ないのも辛いもんだな」  自分がやってきた道が間違っていたかのような態度に鏡梨はなぜか胸が苦しくなった。どうしてかなんて自分聞きたいぐらいだ。  だがそれでも野獣は夜風を切り開く。 「自分で言うのもなんだけどよ。メジャーデビューや賞金の為ならなんだって人を罵倒した。ダチだろうがなんだろうが――人を傷つけて陥れた」  ふぅと息を吐いてグラスの酒をちびりと呑む。鏡梨はなんて言えば良いのかわからない。どういう風に勇気づければ良いのかわからずに時は過ぎていく――
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