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《女装》
鏡梨は納得せずにいた。
専属のリリシスト件楽曲の提供として双葉の協力者という話になったということにだ。ほとんど強制的かつ脅し文句を告げられて怒りを感じてはいるものの、反故しなかったのには理由がある。――金に釣られたのだ。
「はぁ~……。やっぱり楽曲作るだけで十万は良いよな~。しかも売れたら上乗せだし」
これで新しい機器が買えると思うと鼻が膨らんでしまうものだ。それぐらい美味しい話に釘付けになってしまった。
確定申告しないとな……とか思いつつも銭湯の様子を窺えば、周さんが入ってきた。「おう、鏡梨久しぶりだな」そう告げられて先ほどの胸の鼓動を抑え込み冷静な対応をする。
この男の前では弱みを見せてはならないと反射的に思ったのだ。
「俺の愚息が鏡梨に会いたいって言っててな。またサウナに寄って行こうと思ってな」
「そうですか」
またつまらない下ネタをかましてくるので遮断し、サウナタオルを渡す鏡梨ではあったが「そういえば若がもうちょっとで帰ってくんだよ。大変になるな~」そうぼやかれて一瞬だけ顔が強張った。
周はにたりと笑った。
「おや、若が帰ってくんのが嬉しいのか? 昔から仲良かったもんな」
「……そんなこと、ないです」
「若が帰ってきたら言っておくよ。――鏡梨が寂しそうな顔してたってよ」
湯船に浸かるか~と言い放つ周さんに鏡梨は震えが止まらないのを抑えて接客をした。
――あの男のことは忘れよう。
そう思いながら番台で接客をしていたのだ。
『湯花』の閉店時間になり、風呂場の掃除をしようと父親の鏡史に声を掛けようとすれば、引き戸が開いた。そこにはデビューしたばかりの双葉がニヒルに微笑んでいた。鏡梨はむっとした顔になる。
「なんの用事ですか、お客様? もう店じまいなんだけど」
「そう固く言うなって。マスター、俺ここの風呂に入る約束してたよな?」
すると眠たげな鏡史は「お客さんも都合が悪い時に入りに来たね~」毒を吐いている。そうだ、もっと言ってやれなどと思っていると、双葉はわざと鏡梨に近寄り「こいつに用事があるから入らせてくれよ」などと言ってくるではないか。
なにが用事だと言おうとすれば鏡史は「じゃあ風呂場の掃除してくれよ」そう言って目を擦って寝床へ行ってしまうのだ。
残された鏡梨は「用事ってなんだよ?」尋ねるとニヒルな顔つきのままの双葉が「まぁまぁ風呂に入ってからな」片目を閉じて風呂場へ誘い込んだ。
シャワーで髪と身体を洗い流し、露天風呂へと浸かると話を切り出される。
「俺のマネージャーとプロデューサーに会って欲しいんだ」
「……はぁ?」
突然なんだと思っている鏡梨に双葉は視線をさまよう。
「いや~、俺のマネージャーもプロデューサーもお前が気に入ったらしいんだよ。やっぱり見てくれも大事だよな」
「……女装した俺を、かよ?」
「奇麗で可愛らしい子だね、だってよ」
ニヒルに笑いながらビールを煽る双葉に鏡梨は断固拒否しようとするが……できない。――この男には弱みを握られている。
「おっと忘れんなよ。会ってくれなきゃマスターにバラすし金の件は打ち切りな」
この野郎……なんて思いつつも自分の父親である鏡史や母親が泣くような顔はさせたくはないと思い、この話は呑み込んだ。……これ以上、自分が異端であるのは忍びない。
押し黙っている鏡梨に双葉はそういえばというような口ぶりになる。
「なぁお前さ。――性的な相手は男なのか?」
鏡梨は少し考えこんだ。
「別に……男だろうが女だろうが、わからない」
「わかんねぇってことはないだろう。じゃあ女装は趣味か?」
「――お人形さんごっこの名残だ」
どういう意味だと顔に書いてある双葉に鏡梨は虚ろげな瞳で上に向ける。
「初めは内緒で着せ替え人形をすることになった。でもそれがだんだんとエスカレートして、触れられるようになったんだ。触れられて、俺は欲情を覚えた。……馬鹿だろう?」
哀愁を帯びた鏡梨の顔は切なげな顔をしていた。だがこれだけは言える。
――鏡梨はそいつに傷つけられたのだ。
「どんな奴だが知らねぇが、許せねぇな。――ぶっ飛ばしてぇ」
「あんたがやっても無駄だよ。どうせまた帰ってくるし、しかも奥さん居るらしいし」
とんでもない発言をした鏡梨に驚く双葉ではあったが、それでも鏡梨はぼんやりしながら自分は一体何者なのだろうと呟いた。
「お前はお前だよ」
身体を引き寄せて咽び泣く鏡梨の身体を抱いて肩を貸した。涙が幾度もなく流れ落ちた。
その後、双葉も強制的に風呂掃除をさせて一仕事終えたら公園で鏡梨はコーヒー牛乳を飲んでいた。だが双葉は牛乳を飲んでいた。
「やっぱり牛乳だろ。コーヒー牛乳なんか飲みやがって」
「うっさい。飲みたかったんだから良いだろう」
そう言って一気に飲み干した二人ではあったが双葉が煙草に火を付けて吹かしていると、なんなくその紫煙を見て思った。
「煙草ってうまいの? そう見えないんだけど」
すると双葉はすました顔をしたかと思えば、一度付けた煙草を鏡梨の唇に放り投げた。ゲホゲホッと咽ぶ鏡梨に双葉は笑っている。
「初々しい反応だな。ははっ」
「てめぇ……、こんなまずいもんがうまいわけないだろ」
騙したなという視線を向ける鏡梨に双葉は顔をずいっと見つめてにやけた。何事かと思う鏡梨に、双葉は顔を近づけて……キスをする。
顔を真っ赤に染め上げる鏡梨に双葉は喉の奥で笑う。
「同じ煙草の味がすんな、嬢ちゃん?」
鏡梨は睨みつけるように「変態」なんて言い返した。
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