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周りの風景がどんどん後ろへ流れてゆく。落馬ならぬ落虎したくなかったので、首に手を廻すと、フカフカして温かかった。
山を駆け上がった白虎が洞窟の前にある社でピタリと立ち止まったので、背から降りる。白虎はそのまま、洞窟の奥へと入って行った。
俺はというと、洞窟入り口にある社の中に白虎の人形が置かれているのに目が釘付けになっていた。祠は、白虎を祀るお社ごとを指すのだろう。あの神々しい虎に乗せてもらったお礼にと、社の前で手を合わせると伯央の声がした。
「お参りしてくれてるのか。ありがとう、秀。白虎は奥にいるのか?」
「うん」
「さっきの説明をしよう。あの白虎はこの照銘山と寺を守る神獣だ。不老不死で、俺が幼い頃からあの姿だ。父さんは元々普通の人間だった。照銘寺の住職だったが、病気になって死にそうになったとき、白虎が照銘寺までやって来たんだ」
「神獣がお寺に……」
「案内もしないのに迷わず枕元まで来た白虎を見て、父さんが言った。――今なら神獣の言葉が分かる。照銘寺の血筋の者は寿命をまっとうすると意識が神獣へと移り一体化する。今がそのときだ――と」
「じゃあ、親父さんと別れずに済んだのか?」
「それが、完全に同じってわけじゃないんだ。もう言葉も話せないし、祖先や神獣白虎の意識のほうが強くて、俺のことは身内だったということしか分かっていない。それが白虎と一体になるということなんだ」
「そうか……。少しさみしいな」
「でも、完全には忘れきっていないみたいだから。本当なら永遠に会えなくなるけど、わずかでも憶えていてくれるなんて、幸運じゃないか?」
パチン、と目配せをする。
「父さんって呼びかけているのは、元は父だったと俺自身が思いたいからだろうな。この祠に来て、藁を入れ替えたり食料を用意したりしているんだ」
「生きている神獣だからお世話がいるんだな。さっき背中に乗せてもらったけど、毛皮が分厚くてあったかくて驚いたよ」
祠の入り口で話していると、白虎が足音をさせずに近づいてきた。自分で毛繕いしたのか、もう口の周りの血は綺麗に取れていた。俺の腰あたりに顔を擦りつけている。
「わ、挨拶してくれているのかな? 伯央のお父さん、俺は秀です。よろしくお願いします」
目の前に大きな額がズイと差し出された。
「伯央、なんて言ってるんだ?」
「挨拶してる。息子をよろしく、って言ってるんじゃないかな」
額を撫でると、ゴロゴロ……と満足そうに喉を鳴らして目まで細めている。
「照銘寺が気に入ったら、ずっといてもいいと言ってくれてる」
伯央が微笑む。
「もちろんです、白虎さま。俺は伯央も寺も大好きですから」
白虎の前で頭を下げる。自分が言った言葉が告白だと気付いたのはすぐあとだった。
「秀、ほんとうか? 俺のことを好きって……口付けしたりできるのか?」
焦ったように伯央が袖を引っ張る。
「できる。そりゃお父さんの前では恥ずかしいけど」
言いよどんでいると、白虎が前脚をチョイチョイ、と腕に掛けてきた。爪は出ていないから痛くないが、なにかをせっつかれている雰囲気だ。助けを求めて伯央のほうを見ると、赤い顔で俯いている。
「……祝福してやるから、ここで口付けして見せろって言ってるみたいだ」
「えっ、今ここで……?」
「それくらいの度胸がないと男同士は苦労するぞって」
まじまじと白虎を見つめると、まるで笑っているように目を細められた。完全に冷やかされている。
「じゃ、じゃあ。……伯央、屈んでくれ」
「ん……」
ちゅっ、と唇同士をふれあわせる。伯央の唇は少し表面が乾いていて、押しつけると弾力があった。
それを見た白虎が、満足そうにフンッと鼻息を立てて奥の寝床へと去って行く。
「納得してくれたみたいだ。秀、お互い松茸はたくさん採れているから家で食べよう。……それに疲れているだろうけど、秀が欲しい」
耳元で囁かれ、カッと体が熱くなった。
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