辻斬り

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 庭に通された貞吉は庭石に腰を掛け、握り飯一つを頬張ったあと、形の練習を行っていた。  そこに食事を終えた一番隊の者達がやって来た。  「まるっきりじじいじゃないか・・動きも遅いし・・・」  市之丞はその姿を見て笑った。  時刻は昼四つ初刻(午前九時)に近づいていた。  普段は昼九つ初刻(午前十一時)から出仕の昼番の者達も、早くから呼び出されていた。  老人は庭に只一人、ぽつんと立っていた。  そこに中御門経衡も現れた。  「誰ぞ、相手する者はおらぬか。」  経衡は縁の端に腰掛けると、すぐに庭に降りた隊員に声を掛けた。  「こんなじじい・・俺が叩きのめしてやる。」  相良市之丞が木刀を手にとって進み出た。  よろしく・・・丁寧に頭を下げる老人に市之丞はすぐに打ちかかった。  だが、その身体は横合いから脇腹を突かれ、大きく弾き飛ばされた。  それまで・・・奥村左内の声が鋭く響いた。  「いかがでしょうか。」  今日の見届け役は奥村左内に任せ、元治は経衡の後ろに控えていた。  「市之丞が相手・・まだまだ解らぬ。」  経衡はそう応え、  次は・・・と声を飛ばした。  拙者が・・・次には菊池主水の介が木刀を手にした。  主水の介は挨拶を終え、木刀を青眼に構えた。  老人もまた青眼・・・その呼吸は静かで細かった。  先に手を出したのは主水の介。老人はそれを鮮やかに捌いていった。  数時の後、それまで守りばかりだった老人が攻めに出た。  あっと言う間に主水の介の小手を打ち、そのまま彼の頭上で剣を止めた。  それまで・・・また左内の声が響いた。  その声に元治は庭に降りた。  おおー・・・と皆の声が上がった。  その声には二種類あった。前から居た者達は鬼木元治の腕を知っている。その元治が相手するほどの者なのか・・そう驚く声と、新参の者達は強いとだけ聞いたがその腕を見たことはない・・それを見られるという期待の声だった。  だが、元治は庭ぼうきで荒れた砂をならし、  「京ノ介、お相手を願え。」  と声を残してもとの席に戻った。  「京ノ介とは・・・それ程のものか。」  「多くの者と戦う力は京ノ介の方が・・・  ですが一対一になれば・・まあご覧下さい。」  始め・・・左内の声がかかった。  丁寧にお辞儀を交わして二人は木刀を構えた。  京ノ介は不思議に思っていた。  力、体力、速さ・・どれを取っても自分の方が上に感じる。ただ一つ気になるのは技・・しかしそれも自分の速さがあればなんなく勝てるはず。  なのに何故、鬼木殿は自分を指名した・・・京ノ介の剣先にわずかに迷いが出た。  そこを逃さず河東貞吉が打ち込んできた。  京ノ介は持ち前の速さでそれを躱したつもりだった・・だが二撃、三撃と追い打ちが来る。  京ノ介は思わず大きく跳び退いた。  それを追う足は老人にはなかった。  フーッと京ノ介は息を吐き、今度は自分から打って出た。  老人はそれをのらりくらりと躱し、合間でほんの軽く小手を打ってきた。  奥村左内はそれを一本とは見なかった。  そうやって時間が過ぎ、  「これくらいで、ご勘弁を・・・」  老人が剣先を下げた。  「二人を相手し、そのあとにこの長丁場・・老骨にはこたえ申す。」  それでは勝負は・・・左内は困惑の表情を見せた。  「拙者の負けでござる。  これ以上続ければ。どこかで息が切れ、拙者は一本取られ申す。」  そう言って老人はからからと笑った。  「よかろう・・では皆の者、奥へ。」  縁の上に立ち上がった経衡が声を上げた。  「拙者は京ノ介と共にここを片付けてから参ります。先に・・・」  それは庭に降りた、元治の声だった。  「儂はどうしたものですかのう。」  庭に取り残された老人は元治の顔を見た。  「経衡様・・河東殿は。」  別室で待たせておけ・・・すぐに答えが返ってきた。  どうだった・・・皆が去ったあと、元治は京ノ介に尋ねた。  「当たりませんでした。」  京ノ介は散らばった木刀を抱えながら項垂れた。  これを見てみろ・・・元治は一本の木刀で砂の上に残された足跡を指し示した。  これがお前の足跡・・・大きく踏み込む時を除くと剣を握った者はすり足で動く。その為砂の上にはくっきりと足跡が残っていた。  これがあの老人の足跡・・・元治はもう一つの足跡を指した。  「違いが分かるか。」  元治は京ノ介の眼を見た。  横に・・・京ノ介は答えた。  「横ではない。円を描いている。その事を考えよ。」  京ノ介は元治が木刀の先で描いた線をじっと見た。  「皆が待っていよう、奥へ行くぞ。」  元治は全ての足跡を消すように箒を動かし、動かない京ノ介に促した。  遅いぞ・・・奥の座敷では皆が二人を待っていた。  「将軍様より辞令をいただいた。  今日はそれを発表する。」  経衡は厳(おごそ)かに言った。  「まず、細貝恭平・・」  ハッと若者は畳に手を着いた。  「その方は京見廻組一番隊付きとする。  正式な隊員ではないため、俸給は年に金三とする。」  金三でも今までよりは多い・・・恭平は畳に額が付くほど頭を下げた。  「続いて、桜井嘉一、近藤十三。」  二人も頭を下げた。  「その方等二人は一番隊お抱えとする・・つまり正式採用だ。  よって俸給は年に金、五とする。」  「お待ちください。」  近藤十三が声を上げた。  「拙者は越中、畠山の出、そこを出奔いたしました。お抱えいただくのは幸いですが、私の名が知れては取り方が・・・」  十三は困惑の顔で言った。  「ではその方は何故、ここに参った。」  「ただの腕試しのつもりで・・・」  「その方、家族は居るのか。」  「妻と娘が二人おります。」  「その者達はどうしておる。」  「山奥に隠しております。  そこから拙者だけが京に出、何か目立たぬ仕事で家族の糊だけはと・・・」  「よかろう、将軍様に話し、その方への勘気は解いて貰う・・それでどうじゃ。」  その言葉に近藤十三は深く頭を下げ、涙を零した。  「近藤殿には私の副長をお願いしたい。」  横から奥村左内が声を上げた。  「副長の副長とは・・・」  経衡は笑い声を上げた。  「まあ、よい。。近藤十三には左内の願いを入れ、副長付と致す・・・給金は変わらぬがな。」  経衡は尚も笑った。  一人名を呼ばれなかったのは加納大全(かのうたいぜん)。  彼は不安そうに廻りを見た。  「加納大全。」  やっと自分の名が呼ばれた。  「その方には前村殿の元に行って貰う。  給金などは前村殿に聞くがよい・・・ここより安いことはなかろう。」  経衡は扇を口に当てて笑った。  「河東貞吉はどうしますかな。」  横から元治の声がした。  「あの老人か・・・」  経衡は考えるそぶりを見せた。  「あの体力では隊務は務まるまい。」  「隊務ではなく、あの腕です。」  元治は食いさがり、  京ノ介・・・と促した。  言われた京ノ介は袖をまくって自分の腕を見せた。  「見た通り。」  元治はその腕を指し示した。  「河東貞吉は、あの手合いの中で京ノ介の籠手だけ・・それも骨に影響のない肉の上だけを打ち続けました・・それがこの傷です。」  元治は腕をしまうように京ノ介に促した。  「だが、四半時も経ず息が上がっては・・・」  「戦いは困難でしょう・・ですがこの一番隊の剣術指南役としては適切かと・・・」  元治はそこまで言って言葉を切った。  「老人を呼べ。」  経衡は納得したように頷いてそう言った。
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