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菊池主水の介(きくちもんどのすけ)はその日は非番であった。
主水の介は飯屋に入って、夕食を摂っていた。
「おお、ここに居たか。」
そこに今日の役目を終えた相良市之丞(さがらいちのじよう)が入って来た。
市之丞も飯を頼み、銚子を一本・・と注文した。
その銚子には杯が二つ添えられていた。
「湯なぞ飲まずに、お前も一杯やれ。」
市之丞はその杯を主水の介に突きつけた。
「いや、俺はやらぬ。」
主水の介はそれを断った。
「どうした、どうした・・最近浮かない顔が多いが・・・
そうかあれだろう・・近藤十三(こんどうじゆうそう)・・・最近は上役にでもなったつもりで、新参者達を集めて鍛錬だ何だとほざいていやがる。
どうも俺には鼻持ちならぬ。」
どうだい一杯・・・市之丞はまた酒を勧めた。
「お前は強くなりたいとは思わぬか。
我等は御前試合に出て強者として抜擢された。にも係わらず、飯盛山の鬼退治から参加した国立京ノ介と言う若いのに抜かれ、鬼若の変では奥村左内にも・・今度は新参者達に置いていかれている。
お主はそれを何とも感じぬか。」
「へっ、給金は俺達の方が上だ・・その金で面白可笑しく・・・
だが、面白くもおかしくもない話しがある。」
なんだ・・・主水の介は気の乗らない声を上げた。
「何でも、奥村左内が近藤十三を一番隊隊長に推挙したらしい。」
本当か・・・主水の介は思わず身体を乗り出した。
「雉(きじ)がこっそり俺に教えてくれたから、本当だろうよ。
ところがだ・・あの男一番隊隊長を受けるに当たり、条件を出したそうだ。」
「条件・・・」
ああ・・・市之丞は話を続けた。
一番隊は御所内にある再建中の西侍所の北の詰め所を退去・・今出川通りを挟んだ南側に新たな詰め所を造る。そこには寄宿も併設し、若い者達はそこで寝起きする・・と言う。
「そこは内裏の・・・」
「ああすぐ西側だよ。」
近藤十三の考えでは、もし新たな鬼の変が起きた時、内裏にも御所にも近く、動きが取りやすいという事らしい。
そこには寄宿とは別に道場も作り、他の役所からの稽古の者も受け入れ、開かれた形にする。
何時いかなる時も切磋琢磨し、皆の腕を上げていく・・それが十三(じゆうそう)の考えだった。
「しかもな、その指南役に鬼木元治が河東貞吉(かとうさだきち)を推したらしい。
俺はあんな老いぼれに指図を受けるのは、まっぴら御免だ。」
うーむ・・・主水の介はまた考え込んだ。
それからも市之丞はしゃべり続けた。
「俺達の詰め所は壊されるのか。」
そんな中で、主水の介が疑問を発した。
「それが、腹立つことに二番隊に使わせるらしい。」
また市之丞は苛立たしげに言った。
「何もしない、前村殿の取り巻きと、近衛組、二番隊の共同の詰め所になるとか言っていた。
俺達を御所から閉め出し、あいつらが使うんだぞ。」
市之丞は、また酒をぐっとあおった。
そんな市之丞をあとに主水の介は店を出た。
事が刻々と動いていく・・そんな中で・・・主水の介は取り残されていく自分を感じた。
辻斬りがあったのはこの辺りだったな・・・主水の介は十二夜の月に照らされた、人通りの少ない所に立っていた。
辻斬りは鬼だったとも、鬼に斬られた者が鬼に堕ちたとも云われている。
俺がここでそれを斬れれば・・・主水の介は側の石に腰掛け、暫く待った。
「私をお待ちでしたかな。」
背中から声がし、慌てて立ち上がった。
すらりとした男が立っている。
何もの・・・主水の介は誰何した。
「あなたが待っていた者ですよ。」
男はそう答えた。
「但し、六角家の吉村某ではないがね。」
男はすっと刀を抜いた。
勝てるのか・・・そう思いながらも主水の介もそれに呼応した。
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