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飢饉
「暑いなあ・・京ノ介・・・」
あれから一月半、まだ卯月に入ったばかりであるにもかかわらず、日は照りつけ、気温は初夏とは思えぬほど高く、うだるほどの暑さだった。
鬼木元治(おにきもとはる)と国立京ノ介(くにたちきようのすけ)は鍛錬を終えて、火照った身体に団扇の風を入れていた。
「今年は雨も少のうございます。」
京ノ介は故郷に残してきた母達のたつきを心配した。
二人は宵番開けでその日は非番であった。
「ところで、まだ主水の介(もんどのすけ)様の行方は・・・」
「ああ・・知れておらぬ。
探索方も懸命に探しておるようだがな。」
人斬りから、鬼の騒動・・・
六角家の吉村某はすぐに捕まった。
その男はやはり鬼に堕ちており、人の血と肉を欲して、ふらふらと京の町に表れた所を六角家と探索方に取り押さえられた。
その身柄は六角家が引き取って斬首。その首は詫びの印として一色家に送られた。
一色家としてはそれでは収まらなかったが、将軍義政が間に入って、それを収めた。
当初、一色義直は将軍の側近であるため、六角家への処罰は重いものになると思われていたが、案に反して、それは極軽いものとなり、その首一つで手打ちと決まり、一色家は不満を抱え込んだ。
対して、菊池主水の介の行方はようとして知れず、行方知れず・・との措置がいまだに続いていた。
辻斬りはその後も続いては居たが、ここ半月はその話しも聞かなくなり、四人に増やされていた一番隊の宵番は以前と同じ二人となっていた。
「明後日は、いよいよ落成式ですね。」
京ノ介はここからは見えぬ、南の方角に目をやった。
「ああ、何やら辞令もあるらしい。」
その二人の話の通り、一番隊の新たな詰め所が完成し、この二人と、細貝恭平(ほそがいきようへい)、それに身寄りの無い河東貞吉(かとうていきち)はそこの寄宿に住むことが決まっていた。
その落成式のために奥村左内は忙しく駆け回り、他の隊員はその手伝いに追われていた。
「そろそろ時刻だな。我等も行くか。」
元治は着物を調え、立ち上がった。
落成式には将軍義政も臨席する。
義政の席は床の間を背にして、その右隣に中御門義衡(なかみかどつねひら)、左には京極持清(きようごくもちきよ)、それから連なる右手側には幕府侍所の役人が座り、その中には前村教貫(まえむらのりつら)の姿があり、二番隊隊長名代として、雉も末席に座っていた。。
左側には近藤十三を筆頭に河東貞吉、それから古参が年齢順に、その後には新参の二人が列んでいた。
敷居を隔てた、隣接する道場には今回雇い込まれた下男三人と、掃除、飯炊きなどを行う下女三人が遥か下座に座り、広い庭には大工の棟梁を始め、その他の大工、左官が筵の上に座っていた。
「総勢、九人・・・少ないのう。」
将軍、義政が声を上げた。
「いいえ、七人でおじゃります。
麻呂と奥村左内は護皇隊に戻ります故。」
経衡がそれを否定した。
「七人か・・御所内に居るのであれば良いが、外ではすぐには対応できまい。」
「なんの・・御所にはそこに居る斉藤長光(さいとうながみつ)殿が率いる近衛隊四名。前村殿にも今は雉がおり、木村殿も健在。その上、こちらから加納大全(かのうたいぜん)と申す者もつけました故、前村殿を含めてここにも四名・・立派な戦力でおじゃりましょう。」
経衡はいつものように口に扇を当て、ホホホと笑い、前村教貫はじくじたる思いで唇を噛んだ。
「さてそれでは式を始めようか。」
義政は宣言するように言った。
「では先ずは辞令の義を。」
経衡は取り仕切りのため末席に座っていた奥村左内に目配せをした。
「近藤十三(こんどうじゆうそう)殿。」
左内はすぐに立ち上がり、声を発した。
名を呼ばれた近藤十三は将軍の前で平べったく平伏した。
「その方を、今日より御庭廻組一番隊隊長に任ずる。
二番隊隊長、境源三とよろしく協力し、御所、並びに京の町を守るがよい。」
義政は隣に座る小姓に指図し、三方の上の短刀を取り、十三に渡させた。
十三は再度深々と平伏し、その場を去ろうとした。
「待たらっしゃい。」
四角い身体の男に経衡が声を掛けた。
「麻呂からも祝いの品がある。」
経衡が手を二つ叩くと濡れ縁の端から小者が一本の刀を持って来た。
「同田貫でおじゃる。
今はまだ名も無き、肥後の刀工集団の作ではあるが、良く斬れる。
これをお主に進ぜよう。」
黒鞘、柄巻きは金糸。黒に金が映え、輝いて見えた。
「何故このような・・・」
それを受け取りながら、十三は困惑の色を見せた。
「その方の闘い方を見た。
その方の剣技は剛力・・それで相手を圧倒する。
それにはこの豪剣が最適。
金糸の柄巻きはその方の威厳を高めるでおじゃろう・・一番隊隊長への祝いの品・・その方にこれを贈る。」
経衡は微かに頷き、奥村左内に次を促した。
「河東貞吉殿。」
相良市之丞のすぐ左隣の老人が立ち上がった。
チッ・・それに市之丞は軽い舌打ちをした。
河東貞吉は一番隊剣術指南に抜擢され、同じ様に将軍から短刀を贈られた。
本来、そこで任命の義は終わりのはずだった。
「鬼木元治殿。」
意に反して元治は自分の名が呼ばれたのに戸惑った。
しかしそれでも元治は将軍の前に平伏した。
「その方を一番隊、特別役に任ずる。」
特別役・・将軍の声が元治の耳に纏わり付いた。
「特別役とは・・・」
元治は思わず声に出した。
「飯盛山の鬼退治の件、また鬼若の変に於いてその方は多大な武功を表した。よって余はその方を副長に望んだが、経衡殿の強硬な反対に遭い、特別役とした。
その方は隊務に左右されず、独自の考えで自由に動くがよい。」
義政は元治にも短刀を渡した。
「もう一つ・・・」
経衡はまた手を打った。
「約束の品でおじゃる。」
元治の手に十文字左膳が渡された。
「近藤殿、抱負を。」
奥村左内に促され、近藤十三は立ち上がった。
「拙者は将軍様の親任をいただき、一番隊を任されました。
これより、身命を賭して、将軍様を守り、京の街を守る所存でございます。
また、新しき詰め所に新しき強者達を配下に加え、拙者はこの者達を隊員と呼ぶのはどうかと思いまする。
志を高く持って貰うため、拙者は彼等を隊士と呼ぶ方がふさわしかと考えます。」
十三の意見は拍手で迎えられた。
そこからは宴、義政以下侍所の役人は早々に退席したが、宴は遅くまで続いた。
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