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外道の姉弟
今日も日照りが続いていた。
これは大変なことになるな・・・国立清右衛門(くにたちせいえもん)は北近江に暮らす親弟妹への仕送り米を求めに、町中を歩きながら考えていた。
去年の旱魃(かんばつ)と畿内を襲った台風の影響で、食物は未だに不足している。その挙げ句にまたこの日照り・・正月からの二ヶ月、一滴の雨も降っていない。
売ってくれるのか・・・清右衛門は、懐の巾着を着物の上から握った。
「お兄さん・・遊んでいかないかい。」
そんな清右衛門の耳に柔らかい声が入って来た。
振り返ると、艶っぽい女が立っていた。
「そんな気はない。」
清右衛門は女を置き去りに歩き去った。
きざったらしい男だよ・・・女はその後ろ姿にぺっと唾を吐き捨てた。
女の名前は元子(もとこ)と言った。町中で春をひさぐ街娼であった。
酒場に痩せた一人の男が入って来た。
おい・・・それを見た客の一人が、連れの男を肘で突いた。
捨吉(すてきち)か・・・肘を突かれた男が吐き捨てるように言った。
「捨吉・・そんな名前があったのかい。」
先に気付いた男は、聞こえよがしに大声で言った。
「女の股で稼いだ金で酒を飲む外道だろう・・・それもその女は自分の姉だというじゃないか。
姉を男に売って、その金で飲むなんざ、とんだ腐れ外道だぜ。」
酒のせいもあるのか男の声はますます大きくなった。
そんな声は無視して、捨吉と呼ばれた男は席に座り、酒と食べ物を注文した。
あの野郎・・・無視された男は頭に血を上らせ、捨吉の席に近づいた。
おい・・・男は机を挟んで捨吉の前に仁王立ちになった。
それでも捨吉はそれを無視して、左手に持った杯を口に運んだ。
「俺はお前に言っているんだよ。」
男は怒りにまかせて捨吉が座る机を叩いた。
何時抜いたのか、その瞬間、男の手は捨吉の匕首(あいくち)に串刺しにされ、机に縫い付けられた。
男の悲鳴が上がる。
それを聞いた連れの男が駆けつけ、捨吉を殴ろうとした。
だが、捨吉は腰掛けに座ったままその男の足を払い、倒れた男の顔を踏みつけた。
鼻がひしゃげ、男は気を失った。
「人の飯の邪魔をするな。」
捨吉は机に突き立った匕首を抜き、その刃についた血をペロリとなめた。
「不味い血だ。」
捨吉は残りの血を倒れている男の袖でぬぐい取った。
覚えていやがれ・・・男は決まり台詞を吐いた。
「お前の不細工な顔などすぐに忘れるよ。
それに忘れ物だ・・仲間だろう。」
捨吉は倒れている男の頭をゴンと蹴った。
元子は今日も男を捜していた。
相手は金を持っていそうな男・・・なかなかその目にかなう者は居ない。
金を持っていそうな者に会えば、自分にぞっこんにさせ、その金を吸い取るか・・さもなければ・・・
その役は捨吉のものだった。
その夜は久し振りに金を持っていそうな男が網にかかった。
男は先にあばら屋に入り、それから遅れてそこに入った元子は早速帯に手を掛けた。
「誰にも見られなかったかえ。」
「何故そんな事を気にする。」
「こんな所に入るのを見られたら、恥でしょう・・・何せ大店(おおだな)の旦那さんのようですから・・・」
「ああ、今日は少し過ごした・・何せ、大きな取引だったからな。
ただ、そんな風な取引の後には、興奮が残る・・それを醒ますにはこんな所の方が良い。」
その男は現れ始めた元子の肌に、涎を垂らさんばかりの表情になった。
「可愛がってあげますよ。」
「何を言う。可愛がるのは儂の方じゃ。
まず着物を脱がせてくれ。」
男は大きく手を広げ、元子に催促した。
「人には・・・」
「見られては居らぬ。」
「それは宜しゅうございました。」
その頃にはその男は褌一丁になっていた。
床板がギシギシと鳴っていた。
その下に捨吉は居た。
その横には長刀が置いてあった。
捨吉は機を見計らっていた。
その機とは元子が体位を変え、男の上に乗った時・・それは気配で分かる。
それが今だった。
捨吉は剣を突き出した。
その切っ先は過たず男の心臓を刺し貫いた。
男は即死。吹きだす血潮は元子の身体に飛び散った。
元子は口の周りについた血を舐めとった。
そして、床下の捨吉は滴り落ちる血を飲んだ。
出て来る・・・元子と捨吉は一定の場所に住んでいる訳ではなかった。それ故、少々のもめ事を起こしても、誰かに襲われることもなかった。
捨吉は最近の棲み家である破(や)れ寺を一人で出た。
「食事は買ってくる。」
「そんなもの要らないよ。」
捨吉の言葉に元子は笑って答えた。
「持ち込んだのか。」
そうよ・・・背にする寺の中から笑い声が聞こえた。
そこから町中に向けて歩いていると・・・
顔を貸しな・・・柄(がら)の悪い男が五人、捨吉を囲んだ。
それはどうやら昨日の男の仲間のようだった。
「貸す顔なんか無いよ。」
捨て吉は笑った。
「つべこべ云うな。」
後ろに廻った男が、背中に匕首を突きつけた。
それから四半刻ほど歩き、加茂の河原に着いた。
「誰かと思えば、お前達か。」
捨吉の前には、右手をさらしでぐるぐる巻きにした男と、まん丸と顔を腫らした男が立っていた。
「いい男になったな。」
捨吉はまん丸と顔を腫らした男に、ズンズンと近づいていった。
待ちやがれ・・・その後ろに立っていた男が匕首を突き出した。
捨吉はそれを身体を回転させて躱し、その腰を進行方向に向かって蹴り出した。
その男が持っていた匕首は顔を腫らした男の脇腹を傷つけた。
「先生お願いします。」
その様子を見ていたさらし巻きの男が後ろに声を掛けた。
暗がりの中から、楊枝を加えた痩身の男が現れた。
「随分といきがっているようだな。」
その男はジャリッと音を立てて長剣を抜き片手でそれを構えた。
「鞘を代えたが良いぞ・・その音じゃあ剣に負担を掛けている。」
それを見ても捨吉は笑っていた。
「お前の姉のところにも三人送った。
もうそろそろ連れて来るだろうよ。」
さらし巻きの男は勝ち誇ったように言った。
「それは気の毒に・・あいつは手加減を知らん。
今頃その三人はずたずたに切り刻まれているだろうよ。」
捨吉は大きな声で笑った。
「やけにいきがるなあ。
強がりか。」
先生と呼ばれた男も同じ様に笑った。
「あんた止めたが良いぞ・・これから先も先生と呼ばれたかったらな。」
そこまでだ・・・先生と呼ばれた男は有無を言わせず斬りかかってきた。
捨吉はそれを瞬時に抜いた匕首の峰で受け、そのまま金属が触れ合う音を立てて前にはした。
グッ・・・先生と呼ばれた男が刀を取り落とした。
「返して欲しいか。」
捨吉は血塗れの何かを宙に放り上げた。
親指・・・それは先生と呼ばれた男の、右手の親指だった。
みんなで掛かれ・・・さらしを巻いた男が叫んだ。
「止めておけ・・お前達も匕首が持てなくなるぞ。」
捨吉は尚もニヤニヤと笑って、その指を口に持っていった。
不味い・・・そして吐き捨てるように言った。
この野郎・・・男が一人匕首を持ってつっかけた。
その男の親指は地に投げ捨てられた。
「止めておけと言ったはずだ。
俺は飯を食いに行く。そこを空けろ。」
捨吉は悠々とその場を立ち去った。
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