抜擢

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 翌日、経衡は鬼木元治と相良市之丞を伴って町中に出た。  「今日はどちらに・・・」  元治は話しを向けた。  「町道場の一つに面白い男が居ると左内が言っておった・・そこに行く。」  経衡は上機嫌であった。  その町道場に着く間にも、あの男はどうだ・・この男はどうだと、元治にしつこく聞いた。  元治はそれに一々応えては居たが、少し辟易(へきえき)しても居た。  「おい、お前・・・」  そんな中で市之丞が怒声を上げた。どうやら町行く牢人と肩がぶつかったらしい。  「お前、人にぶつかっておいて、挨拶もなしか。」  「それはこちらの台詞でしょう。  あなたはよそを見ながらふらふらと歩かれていた。  拙者は何度も行く手を変えたが、あなたがぶつかってきた。」  なんだと・・・市之丞は益々いきり立った。  鬼木・・・止めよというのであろう、経衡は元治に声を掛けた。  「見物していればいかがですかな・・面白いものが見られましょう。」  元治は経衡の声を意にも介していなかった。  騒動は大きくなりそうな気配に成ってきた。  鬼木・・・もう一度経衡が言ったが、彼はそれを手で止めた。  口論から、激した市之丞が刀に手をかけた。  「止めぬか・・元治。」  経衡の口調が激しくなった。  よい見物ですよ・・・それに対して元治は笑って応えた。  「止しなさい。」  刀を抜こうとした市之丞に後ろから抱きついた者が在った。  その男は市之丞の手首を掴み、剣を抜くのを阻止した。  市之丞は藻掻き、どうにかその手をふりほどいた。  その時には彼の身体は中空に舞い、地面に強かに背中をぶつけて悶絶した。  「ほう、予定外・・・」  元治は挨拶を交わす男達二人の下に歩み寄った。  「我等の同道の者が失礼をつかまつった。」  元治は丁寧に頭を下げた。  何故止めなかった・・・肩幅が広く四角い身体の男は詰(なじ)るように言った。  「申し訳ない・・ただ我等にはいささか事情がありまして・・・」  元治は再び頭を下げた。  「これはこれは・・失礼つかまつった。」  経衡もまた沓音を響かせて歩み寄ってきた。  沓音・・・二人は思わず頭を下げた。  「詫びの印に、そこらで茶でも奢らせてくれぬかの。」  経衡は先に立って、大きな入口の茶問屋に入っていった。  煎茶で充分・・・そう言いながら経衡は店の框(かまち)に腰をかけた。  そこからは相手の名を聞き、自分達の素性を話した。  二人は中御門経衡と名乗る公家がわずか三人で町中を歩いていることに驚いた。その上、御庭廻組と・・・  御庭廻組と言えば・・・その名はつとに有名で、その隊員を探していると聞いて、二人は身を乗り出した。  肩幅の広い厳つい男の名は近藤十三(こんどうじゆうそう)と言った。越中の出身で、そこの守護大名畠山氏の内紛に嫌気が差して、出奔したという。  もう一人の男は下っ端の蔵役人で加納大全(かのうたいぜん)と名乗った。  「明日の朝、御庭廻組の詰め所に来るがよい。」  そう言い残して経衡は茶問屋を出た。  その行き先は今日訪れる町道場の方角ではなく、公家屋敷が建ち並ぶ方であった。  どちらへ・・・元治は尋ねた。  「町道場は今日はやめじゃ。」  「約束は如何なさいます。」  「明日行くと、市之丞を走らせよ。」  「それは宜しゅうございますが、何故急に。」  「宮仕えとは違い、武家の社会は何かと気忙しい。  あれもこれもと考えているうちに、あれやこれやを忘れておる。  その方も今日は麻呂の屋敷に来るがよい。  市之丞にも使いが終わったら、麻呂の屋敷に来るように伝えるがよい。」  「場所が解りませぬぞ。」  「なあに、中御門の屋敷と言えば、誰ぞ教えてくれよう。」  経衡はそう言って笑った。  前関白の屋敷だけあって、経衡の実家の敷地は広かった。  その敷地の中に離れがあった。そこが経衡の住まいらしい。その横には、こじんまりとした蔵までがあった。  帰ったぞ・・・経衡は玄関を入ると奥に声を掛けるた。侍女と覚しきものと二人の若党が彼を出迎えた。  「こちらに来られよ。」  経衡は書院造りの座敷まで元治を案内した。  何事ですか・・・元治は尋ねた。  「ちょっと待ってくれ。」  経衡は硯と筆を引き寄せた。  「前村殿に文を書かねばならぬ。」  経衡はすらすらと筆を走らせた。  「前村殿からも将軍に上奏してもらい、今回の人員の件を進めなければならぬ。  多分あの者は・・・」  後は濁したが、そういう所が手落ちだと言いたいのだろう。  「ごんぞ、ごんぞ・・・」  義衡は手を打って若党を呼び、呼ばれた若党はすぐに駆けつけてきた。  「ゆきはどうしておる。」  「酒に燗をつけ、なんぞと肴(さかな)を造っております。」  「そうか、相変わらず気の利く女ではある。では、格の進はどうしておる。  「いつものように庭で棒を振っております。」  「そうか。  ではお前には使いを命じる。  その途中で格の進にここに来るように伝えよ。」  経衡は先程の書をごんぞと呼ばれた使用人に渡した。  「ご用とか。」  それと交代に二本差しの男が入って来た。  「稽古の途中に悪いが、立ち番をしてくれ。」  経衡はそう頼み、これこれこういう風体の男が若者を連れて来る。若者はここに通し、その男には帰って貰え・・と命じ、これを渡せと紙包みを握らせた。  親や兄の威を借りた傲慢なだけの男かと思っていたが、この経衡という男なかなか細かい所まで行き届いている・・・元治は感心した。  「先程の方々は。」  「若党のごんぞ、それに儂の身の回りの警護をする杉谷格の進・・それに侍女のゆき・・・それがここに居る者の全てだ。」  経衡は麻呂言葉を使っていなかった。  「ところで、そなたには相談があってここに来て貰った。」  経衡は話しを変えた。  「あの細貝恭平という若者だが・・・」  元治は頷いた。  「左内が打ち込みを躊躇しておった・・それ程出来るか。」  「左内殿は・・・」  「忖度は要らぬ。率直な所を聞かせてくれ。」  「静かな構えでした・・左内殿はその構えに隙を見つけられずに、攻撃を躊躇したのでしょう。かえってあの若者も左内殿の構えに隙を見つけきれず、仕掛けるのをためらった・・・それがあの睨み合いでしょう。」  「あの若者、まだ伸びるか。」  「精進次第ではまだまだ・・・」  「剣を持たぬと言っておったが、どのような剣が合うと思う。」  「上背はありますが、まだ身体の力はついておらぬように見受けました。  今であれば短めの剣・・軽めの剣の方が使いやすいでしょう。」  そうか・・・経衡は立ち上がった。  「済まぬが足労を願おう。」  経衡は立ち上がって庭へと降りていった。  そこの下駄を使ってくれ・・・そう言って経衡は入ってくる時に見たこぢんまりとした蔵の扉を開けた。  そこには十数振の刀が列んでいた。  「儂の収集品じゃ。  十八振ある。」  それぞれの刀には板に焼きごてで銘を記してあった。  その中の一本を経衡は手に取り、抜いて見せた。。  「鳥飼国俊・・これをあの若者に送ろうと思うが、どうじゃな。」  その刀は刃長二寸ほど・・元治は頷いた。  「刃渡りは二寸三分。少々短いが、あの若者にはよかろう。」  それにも元治は頷いた。  「もう一つ。」  経衡は奥の剣掛けに向かった。  「儂の手に余るものが在る。」  経衡は十文字左膳と銘がつけられた太刀を手に取った。  「儂には長すぎて、どうにも手に余る。  誰かに送ろうかとも考えたが、この刃渡り、これを使いきれずに死んで貰っては困る。  そこで長年ここに眠らせておいたが、遂に譲る相手を見つけた。  ・・それはそなただ。」  元治は驚いた。  「庭に出て振ってみるか・・・足下は儂の草履を使えばよい。」  元治は庭に出てその刀を振ってみた。  長さ、重心のあり処、重さ・・・全てがしっくり来た。  「無名の刀工の作ではあるが、十文字左膳。それをその方に差し上げよう。」  経衡は白鞘に収まった剣に手を伸ばした。  「拵え(こしらえ)はどのようにする。」  「黒を基調に。」  「穿くか・・それとも。」  「差し料に。」  「握りは鮫皮でよいか。」  「結構です。」  「鍔は。」  「なるべく質素なもので。」  「飾りようのない奴だな。」  経衡は元治の肩を叩いた。  「お客様がいらっしゃいました。」  そこに格の進が走り込んできた。  「下の間に通しておけ。」  経衡は十文字左膳を蔵にしまい、もう一振りの白鞘の刀を持って、家に向け歩いた。  経衡は恭平にも同じ様な話をしたが、恭平はそれには応えられなかった。  それでは、麻呂に任せておけ・・・経衡は笑って見せた。
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