はじめまして、ぼくポポくん。

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    *  幼稚園に迎えに行くと、娘の顔は奇妙に紅潮していた。熱でもあるのかと額に手を当ててみたけれど、熱さは感じない。どこか興奮しているようでもある。 「ねぇミナちゃん、何かあった?」  不安を覚えて歩きながら問いかけてみたけれど、娘はにこにこするばかりでちゃんとした返事をしてくれない。どころか、ときどきくすくすと笑ったりもする。 「ママにもないしょなのー。ね、ポポくん」  鞄からポポくんを取り出してぎゅっと抱きしめる。あまりに力いっぱい抱きしめるものだから、ポポくんの首がくたりと後ろに曲がってこちらを向いた。  ――あれ、こんな顔をしていたっけ。  違和感を覚えた。同時に、ひんやりとした感覚。気のせいだ、とすぐにその違和感を無理やり無視した。 「今日は楽しかったねぇ」  娘が弾んだ声で話しだした。  隠しごとをしていてもそこはやはり子ども、ひとり言だって周りに聞こえる大きさで口に出すものだ。歩きながら娘はポポくんを振り回したり頭上に放り投げたりして遊んでいる。 「ポポくんは嘘つきだねぇ。ミナ嬉しかったからいいけど!」  ……何の話だろう。 「人のいるとこじゃしゃべれないって言ってたのにね」  ウン、という返答まで聞こえる。私はポポくんとして声を出してはいないというのに。  今私と手を繋いでいる娘は、「誰」としゃべっているのだろう。  ――イマジナリーフレンド。  不意にその単語が頭に浮かんだ。  小さな子どもは空想上の友達を作り出すことがあるという。  そうだ、きっとぬいぐるみとおしゃべりできたことが嬉しくて、それを自分の中での事実にして自分でポポくんを「おしゃべり」させているのだろう。あたかも本当にポポくんがしゃべっているみたいに。  そうと考えてみれば納得できた。私は安堵の息を吐き、娘に「ポポくんと仲良くなれてよかったね」と言った。この場合、ただのぬいぐるみだと明かしたらいったいどうなるんだろうな、と考えながら。  相談をしたいので、娘へのネタばらしは夫が帰って来てからにしよう、と決める。 「ただいまー!」  娘は靴を脱いで家に上がった。両手を使って脱ぐのでポポくんは横にぽいと転がされることになった。大事にしていてもこういう扱いをしちゃうんだよなぁ、子どもって。  苦笑しながらポポくんに手を伸ばした時、ぬいぐるみであるはずのポポくんの目がまばたきをしたように見えた。  その異様さに、びくりと手が止まる。  ポポくんは私の目の前で立ち上がると、『ミナちゃん』と話しかけた。 『くつはそろえなきゃダメだよ、ミナちゃん』  私の裏声ではない、娘のものでもない知らない「誰か」の声をポポくんが発した。  娘は素直にはぁい、と答える。  靴を揃えるミナにポポくんは『良い子だね、ミナちゃん』と言う。  良い子と言われて気を良くした娘が、言われる前にと手を洗いに洗面所に向かった。 「あっ……!」  待って、一人にしないで――と手を伸ばしかける。その動きのすべてを、ポポくんが首を動かし目線を動かして見てくる。  生きて、いるーー?  ……あの嘘が間違いだったのだろうか。  このぬいぐるみはほんとうに生きている、という安易な嘘が、「何か」に付け入る隙を与えたのかもしれない。  人形もぬいぐるみも空の噐だ。入りこむ隙さえあれば、実体を求める「何か」はその機会をすかさずつかみ取ってすべり込み成り代わる。  ……私の震える手を、ポポくんが、掴んだ。 『ちゃんと挨拶してなかったね』――とポポくんが言う。 『はじめまして、ぼくポポくん。〈拾って〉くれて、ありがとう』  生き物を模した空の噐にはいつの間にか、「何か」の魂が、入りこんでいた。
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