竹笛

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「五尺五寸はあったでしょうか。顔は浅黒に彫り深く、職業柄か、背は弓なりに前反って、見る人の中には恐れる者もありましたが、どうして気の柔らかな性分で、枕元に諍いなど、見るべき夢にないものと、それはほんとうに、おだやかなお方でしたのよ。  名を清隆(きよたか)さんと言いました。いつもこの屋根に隠れるふうに、昼は唐傘の蛇の目張り。おそらくはそのために、こんなところに、まぁ、あなたの見()めのお住まいに、ひどい言い種……お気を悪くなさらないで。ですけれど、生える伸びるを鬼退治と、好きに切ってはしまわずに、どうしてかしら、ここの竹には少ししか手をお付けにならず、時には随分遠くから、わざわざ仕入れてくることもあったようです。  竹を削る手の大きなことと、それと不似合いに細やかな指のしなりが、ずっと見ているとどことなく、歴史に忘れられた古城のように思われて、不思議と切なく覚えたものです。紙を張る横顔の真剣なほどと言いましたら、あの人のおだやかな気性を知る者にも、背に氷柱張ることがあるほどでしたの。  ――親しい者がおりました。(きぬ)と言いますが、清隆さんはいつも、『絹子さん』と呼びました。恋仲とは言い淀む、そうでないとも言い兼ねる、引き潮時の浜辺のような、軽く重く、近く遠い二人でした。咲きごろ過ぎて、まだ枯れやらぬ晩春の木々だったようにも思います。  絹は、村のはずれの油問屋の、出来の悪い末娘でした。清隆さんは、絹の家にたびたび顔を見せました。もちろん油のためと、それから主人に、つまり絹の父親に、何か一際の恩でもあったようで、上がり(かまち)の上と下とで、昔語りに尾をなびかせ、話し込むことがよくありました。上の兄と二人の姉は、そうした折には障りを見越して、次の間にしずかに控えておりましたが、絹は――そのころ(とお)()()つ越したばかりでしたが、清隆さんの来訪を知ると、ひとたび浮き調子に、恥じらい顔を出したものでして。ものしずかな清隆さんも、まだ幼い絹のそうした裏無さに、心の傘の緩んでか、次第次第にうち解けて、やがては絹を可愛がるようになりましたの。その頃清隆さんは、いくつだったかしら……二十五か、もっと若かったかもしれません。  そんな若葉も昼顔に、流れたものは、雲と季節と、それから幸せでした。絹の父が亡くなりました。肺結核でした。絹が二十一の時です。その数年前に、兄は東京へ行き、西洋料理人となったそうです。二人の姉は、さらに前に縁結び。誰もみな筆不精で、ほとんど疎遠になった具合で、一人また一人と家族が離れていくような気がして、絹は寂しさの(みぎわ)に凍てつく心地でいた最中(さなか)でした。母の横顔は、夢にも現れないほど、幼い頃の別れでした。そうして、村のはずれにただ一軒、油も売れない油問屋が、世情知らずの不縁者(ふえんもの)を抱えて、おんな盛りと道連れに、古びていくこととなりました。  父は、どこまで本気か、預かり知らぬ里土産ですが、清隆さんに、絹との婚姻を薦めていました。それに当たって清隆さんは、いつもそうで、『自分なんかに……』と、恥ずかしそうに手水鉢。絹には、清隆さんの本心はいつだって追えなかったのです。父が亡くなった後、清隆さんが、『自分の元に働きに来てはくれないか。一人分のお給金ぐらいならなんとか出せるから』と言った時も、それが自分への哀れみからなのか、父への義理からなのか、あるいはもっと、心に揺れる灯火がためなのか……絹にはまるで分かりませんでしたが、断る道理は、ありはしませんもの。はじめのうちは週に三度。いつか四度になり、五度。ついには泊まりこんで、板葺き屋根の下で、共に歳を重ねるまでになってしまいました。ほとんど女房のようで、しかしほんとうの女房にも成りきれず、それは不確かな靄の中に、絹はその身を委ねていたのです。絹にはそれが、やはり寂しくてならなくて、何の惑いも無い幸せの日々を、時折枕に浮かべては、すすり泣く声をたててしまい、寝耳に知った清隆さんに、夢の途中で起こされて、心配されては、余計に辛く恥ずかしく、涙が後から後から追ってくる。そんなこともありました。  それでも日中は、不出来それなりに、絹も働きました。家仕事のほかに、清隆さんの仕事にもすこし手を預けて、ほんの慰みほどですが、竹と押しくらべ、汗を流す日もありまして。傘作りの大層なことは、ささくれに荒れる手の傷みに尽きませんでしたが、何より寂しく思ったのは、丹精こめて作りぬいても、その仕上がりを見られはしなかったことです。傘作りのおしまいは、仕上げ師と呼ばれる別な職人に託しました。絹は、娘の晴れを見ずに旅立つ父も、こんな心持ちかと、あるいは胸苦しくもなりましたが、清隆さんの方はと言えば、ことの結句を見届けようとも、そこに幸せを信じようとも、まるで言葉にはしませんでした。だけど、でも、どこか寂しそうに、夕焼けに祈る日があって、その時だけは、帯も苦しげに、あの体が小さく映ったのです」  婦人が(たん)と語るうち、細い首元に幻の、少女の指が絡みつき、陽炎の中に幾度(いくたび)も、消え入りそうに揺らめいて、私はその毎に目を(つぶ)り、わずかうす()れたその声の、美しさに沁み入った。  婦人は、竹林をちらと見やった。風一筋も訪ね()ぬ、この穏やかな昼時に、泣くに笑うに音は無く、背高く佇む苦竹の、寂しさを探るようだった。 「竹笛を……」  喉の奥まで真白気に、吐息と共に語りだす。 「竹笛を作ってくれましたわ。絹がまだ、家族の渦の中に生きていた頃。ここの竹を切って、簡単な造りでしたが、しっかりと高い、春風の鳴る竹笛を」
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