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隣の灯篭
お玉さんの隣には道具屋が住んでおりますが、それがとうとう、引っ越していくことになりました。
「お玉さん、これまでお世話になりました」
「こちらこそ、筆や紙を調達してきてもらって、助かったわぁ」
道具屋は、先日の泥棒騒ぎで身の危険を感じたようです。商売道具を盗られちゃいけないってんで、大慌てで次の住まいを探しだしました。すると、そこに辰三親分が、お玉さんにと話を持ってきたのですが、またしてもお玉さんにスカンを食らいまして、しょげておりました。道具屋はそんな辰三親分を見かけて、声をかけたんでございます。それからトントン拍子で話が進み、道具屋は両国にほど近い汐見橋の辺りの、少々広い長屋に越して行くことになったのです。
道具屋ですから、荷造りは大変な騒ぎになります。仲間の道具屋も手伝いに来て、右往左往しておりました。お玉さんも呼ばれて手伝っておりますが、おやおや、お玉さん、ご自分の引っ越しはどうしちまったんでしょうかねぇ?
ある日の夜、道具屋の軒先で小さな寄り合いが開かれておりました。
「道具屋は、早晩行っちまうわいねぇ~」
と申しましたのは、天井裏から降りてきたアシダカグモでございます。梅の木の根元に住まうトカゲが、首をもたげて答えました。
「汐見橋だそうで。拙者は、あんなショッパイ土地には住めませんな」
「ワチキも潮風はごめんだよぉ~」
アシダカグモも8本の脚を振りました。すると、聞きなれない声がしました。
「あのぉ~、おジャマしてもよろしゅうございますか?」
アシダカグモとトカゲは、声の主を探しました。ほんわかと、周囲に響くような優しい声でした。二人がキョロキョロしておりますと、また声がいたしました。
「あっ、ここにおりまする。軒にぶら下がっておりますもんで…」
アシダカグモが見下ろし、トカゲが見上げますと、そこには鉄でできた灯篭が掛かっていました。
「おや、道具屋の灯篭かえ?」
「はい、今は左様なことになっておりますのですが…」
「何か訳アリの御様子ですな?」
「聞いていただけますでしょうか…」
そこへヤモリが通りかかりました。
「太夫に影丸、何かあったんかぃ?」
「あぁら、弥茂七さぁん!こちら様がね、なんだか訳アリらしいのよぉ~」
「ふぅん、オレもいっちょかましてもらっても、かまわねぇかい?」
「それは、もう!よろしゅうお頼申しまする~」
灯篭が語るには、ある日の夜更けに酔っぱらった道具屋が神社にあった灯篭を、持って帰ってきて軒に吊るしたのだそうです。神社の灯篭は対で吊るされていたので、今は相方と離れ離れになってしまいました。近々、道具屋が汐見橋に引っ越すと知り、これを機に、なんとか元の場所に戻りたいと願っているというのです。
「その神社というのは、どの辺りか、おわかりになりますかい?」
トカゲがたずねました。灯篭はしばらく考えてから答えました。
「確か…不忍池から坂を上がったところの稲荷社で、湯島天神に近い所だったと記憶しておりますが…」
それを聞いたトカゲはしばらく考えていました。アシダカグモとヤモリは遠くまで出かけることはないので、地の利にはまったく疎うございました。
「明るくなったら、蜂姫にも聞いてみるんで、お待ちになってくだせぇやすか?」
「はい、もちろん!結構でございますよ~。ところで、ワタクシも潮風には弱いほうなもんで、道具屋に連れていかれないような策は、ございますでしょうか?」
「あぁら、それならワチキが灯篭さんの上で番をしましょうかえ?」
「オレも守ってやるぜ!」
アシダカグモとヤモリは早速、灯篭に貼りつきました。
夜が明けて、トカゲは梅の木の上に向かって呼びかけました。
「蜂姫!不忍池から坂を上がったところで湯島天神の近くのお稲荷様って、ご存じないか?」
「おはよう、影丸!聞いていたわよ、昨日の夜の話でしょ?」
「なんでぇ、起きてやがったんかい」
「化物稲荷って呼ばれている、小さなお稲荷様だわ」
「悪いが、拙者を案内してくれまいか?」
「お安い御用ですわ~」
その話を静かに梅の木が聞いておりました。
「湯島天神の近くでしたら、きっと私にも合う所でしょう。影丸、ちょっと調べてきてもらえますか?」
「梅太郎さま、しかと承ってござる!」
ハチとトカゲは連れ立って出かけてゆきました。といっても、ハチは空中を飛んで、トカゲは物陰を渡り歩きながら行きました。
不忍池の畔を通って、明神下のほうへ折れますと、すぐに小さな鳥居が見えました。
「ここよ!」
ハチが旋回しながら、地面のトカゲに申しました。
「なるほど。灯篭は狛犬の代わりに吊るされておったのか」
「そうねぇ、左右対じゃなきゃ、おかしいわよねぇ~」
二人は鳥居をくぐって境内に入りました。ひんやりとした空気が、小さな社に漂っております。トカゲは石の下や、草むらを出たり入ったりしながら、探索していきました。
「なるほど、ここは梅太郎さまが住まわれるには、ちょうどよさそうな土加減でありますな」
「そりゃ、天神様があるくらいですもの。梅太郎さまにだって、ぴったりに決まってますよ」
「蜂姫、拙者はしばらくここをねぐらにして、辺りでお玉さまと梅太郎さまにちょうどよい家を探すことにしたと、梅太郎さまに伝えてくだされ」
「わかりましたわ。お気をつけて~」
ハチは旋回してから戻ってゆきました。
道具屋だけに荷物は多く、引っ越し当日は大八車を3台連ねて積んでおりました。お玉さんも手伝いがてら見送りに出ておりましたが、隣の軒に灯篭が一つ残っているのに気づきました。
「道具屋さん!お忘れ物ですよ!」
お玉さんが叫びますと、道具屋は先頭のほうで振り返り、お玉さんが指さしている吊灯篭を見ました。
「あー、それはよろしいんで…」
「あら、どうして?」
「アッシがどこかのを持って来ちまったようなんですが、どこの物だか全然覚えてないんで…あん時ゃ、べろべろに酔っぱらっててねぇ~へへへ」
「まぁ、ひどいわぁ~」
お玉さんはあきれ顔で、気の毒そうに灯篭を見上げました。
「お玉さん、それ、よろしかったら受け取ってくだせぇ、御餞別に~」
どう手に入れたのかわからない物をくれるなんて、なんだか勝手だとは思いながらも、お玉さんはにこやかに手を振っていました。
さて、その日の夕方、お玉さんは隣の灯篭に灯火を入れようかと、しげしげと見上げておりました。
「あら、この灯篭の透かし彫り、キツネが宝珠をくわえているじゃない…」
お玉さんは灯篭を見上げながら、しばし考え込んでいました。そこへ天井裏からアシダカグモがやってきて、灯篭の上に陣取りました。
「あら、太夫はそこが気に入ったのかしら?」
さらに、吊り金具を伝ってヤモリも降りてきました。
「弥茂七も?ははぁ~!」
お玉さんは何かに気づいたらしく、灯火を入れるのをやめて家に入ってしまいました。
翌朝、お玉さんが梅の木の根元に水をやっておりますと、いつも顔を出すトカゲがいないのに気づきました。
「どこ行っちゃったのかしら?影丸は…」
梅の木はサワサワと葉を揺らして、お玉さんに心配ないことを告げているようでした。
お玉さんは家から踏み台を持ち出しまして、隣の軒の灯篭を外しにかかりました。鉄のカタマリですから、小さいと言っても、なかなかの重量があります。足元に気をつけながら、ゆっくりゆっくり下ろしてゆきました。
「太夫と弥茂七が、連れていかれないように守ってたんだわ。汐見橋辺りじゃ、錆びてしまうものねぇ」
踏み台から降りたお玉さんは、家の中に広げてあった風呂敷で、灯篭を包み込みました。
「道具屋さん、こんな重い物を持ってきちゃうなんて…酔った勢いにしてもねぇ~」
お玉さんは出かける支度をして、風呂敷包みを抱えて長屋を出ました。長屋の入り口で梅の木を見上げて、頷きました。そこには、ハチがブゥンと輪を描いております。
お玉さんはハチの後について、と言ってもハチは空中を飛び、お玉さんは道を歩いて連れ立ってゆきました。不忍池の畔を通って、明神下のほうへ坂を上っていきますと…
「あったわ!蜂姫、ありがとう」
ハチは、また輪を描きました。お玉さんは風呂敷包みを解いて、灯篭を取り出し、鳥居の上手の釣台に掛けました。掛かっていた下手の灯篭には、キツネが巻物をくわえている透かし彫りが施されております。
「これで、元通り一緒になれたわね。よかったぁ~」
灯篭たちも、心なしかうれし気に揺れているようでした。その足元にトカゲがどこからともなく這い出してきました。
「あらっ?!影丸じゃない!」
トカゲはお玉さんの足元をクルッと一周して、またどこかへ消えてゆきました。お玉さんは、時々ここへ来ることにして、今日のところは家に戻りました。
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