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蜘蛛と守宮
ここのところ急に暑くなりまして、お玉さんはしまってあった夏物を取り出してお召しになっております。涼しげな浴衣姿で、書き損じた紙を焚きつけにし、夕餉の支度をしておりました。女一人暮らしですから飯を炊くのも面倒なので、野菜を煮付けたもので済ませてしまいます。そこへ、蚊が一匹飛んでまいりました。
「あら!もう蚊が出ちゃったのね。じゃあ、今夜から蚊帳を吊って寝なきゃいけないわ」
お玉さんは独り言が多ぅございます。人から見れば独り言でしょうが、実は聴いている者たちがおりまして…
「蚊帳を吊るとさ!」
「もう蚊が出たんですって!」
天井裏でささやきあっております。もちろん、お玉さんには聞こえません。
お玉さんは押し入れから夜具をだし、荷造りしてあった柳行李の一つを開けて蚊帳を引っ張り出しました。丁寧に広げて、長押の金具に輪を引っかけて、パタパタと裾を整えました。その中に入って夜具を敷き、コロンと横になるとすぐに寝入ってしまいました。引っ越しの荷物をまとめたと思ったら必要になって荷を解く、こんなことばかり繰り返しているので、お玉さんの引っ越しはなかなか進展がございません。一番の問題は、梅の木と一緒に引っ越しすることです。辰三親分の働きもかんばしくなく、行く先はなかなか見つかりません。小火を出した部屋は屋根に穴がいてしまったので、梅雨時になれば長屋の傷みが進むのは避けられないでしょう。お玉さんも、その頃までには次の家に落ち着かなければなりません。
夜も更けますと、屋根裏のモノたちが活発に動きはじめます。
「弥茂七さぁん!」
弥茂七と呼ばれたのはヤモリでありまして、壁に貼りついて頭を下にして話しております。
「足高太夫なんでぇい?」
「ワチキ見ちゃったのよぉ~」
八本の長い脚をあやしげに動かして、直径1尺はありそうなアシダカグモが申しました。
「なにをさ?」
「小火のあったお部屋!」
「それがどうしてぇ?」
「屋根に穴が開いてるだろ?」
「あぁ、雨が降ったら水浸しだぜ」
「水どころか、泥棒が入っちまってるんだよぉ~!」
「なんだってぇー!そりゃ、てぇーへんだ!」
「だからね、ワチキ、お玉さまが心配でたまらないのさぁ~」
「そうさなぁ、オレたちでお玉さまを守らねぇとなぁ!」
アシダカグモとヤモリは、連れ立って小火のあった部屋に向かいました。
二人(?)が天井の隅に逆さになって貼りついておりますと、外でカタンと音がしました。
「来たわいな!」
二人が息を鎮めて見ているところへ、屋根の穴から黒い人影が降りてきました。足音を立てないように、ソロリソロリと部屋の中を動いております。
「おい!アイツ龕灯なんて、しゃれたモノ持ってやがるじゃねぇか!」
(龕灯と申しますのは、昔の懐中電灯、昨今ではハンディーライトと呼ばれるものと、同じ機能の道具でごさいます。)
「そうなのさ!だからワチキも素人じゃないと踏んでるのさ」
「そうすると、ますますイケねぇな!」
泥棒は部屋の隅々まで龕灯で照らしながら、金目の物を物色していきます。
「こっちに来るよ!弥茂七さん!」
「よしっ、まずはオレが一発…!」
泥棒が床にしゃがみこんで、何かを品定めしている襟元に、ヤモリはポトリと飛び降りました。
「ひゃっ!なんだ!」
泥棒は思わず叫んでしまいました。ヤモリはそのまま襟元を這い回って、耳たぶをカプリと齧りました。
「痛テテテテ!!!」
泥棒はヤモリをはがそうと、龕灯を放り出して両手を襟元に突っ込んでいます。ヤモリは素早く泥棒の手をかいくぐって、あちこち齧って歩きます。龕灯は壁の一点を丸く照らしたままでした。すると、そこにアシダカグモが大きく黒い影を作って見せました。
「ぎゃー!出たー!土蜘蛛だぁ~!!!」
(土蜘蛛というのは、オニの顔、トラの体、クモの手足という姿の妖怪です。)
アシダカグモは妖しく手足を動かし、影をさらに大きく見せたり、素早く回転したりしていました。
「火事場泥棒なんかしちまって、すまなかった!お願いだ!命だけは助けてくれー!」
泥棒は叫んで、頭の上で合掌しています。そして、ブツブツと念仏を唱えだしました。
「足高太夫!そろそろ勘弁してやろうか?」
「あいよぉ~」
アシダカグモとヤモリは泥棒から離れ、暗闇の中に身を潜めました。事が収まったのを感じとった泥棒は、龕灯を拾って屋根の穴から逃げていきました。
翌朝、辰三親分がお玉さんを訪ねてきました。
「次の住まいは、どうですかぃ?」
「なかなかねぇ。親分さんのほうは、いかがなの?」
「木と一緒にとなると、かなり難しいですなぁ~」
すると、お玉さんの足元をトカゲが走っていきました。お玉さんは愛おし気に、その姿を追っています。
「お玉さん?怖かぁねぇんですかい?」
「あら、カワイイじゃありませんか♡」
辰三親分は、ぶるっと身震いして言いました。
「昨日の夜、番所に自首してきた盗人がおりやしてね。そいつの話だと、どうも、この長屋に盗みに入ったらしいんで。ところが、天井下がりに襲われたうえに、土蜘蛛の妖術にもかかったと言いやがるんでさぁ」
お玉さんは、フンフンと聞いておりました。それもこれも、心当たりがございますから。
「お玉さん、怖かぁねぇんですかい?」
「そりゃ、泥棒は怖いわねぇ~」
「えっ?!そ、そっちですかぃ…」
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