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仕事が終わり、外に出て、異常に熱い日光を浴びる。
「くぅ~~~~」
大輝は両腕を思い切り頭の上に伸ばした。これから仕事に向かう会社員たちと逆流し、のんびりと空を見上げる。
もうすっかり夏になった。
優雅に浮かぶ巨大な入道雲が、人間の小ささを笑っている。
駅の改札を通ろうとスマホを出した時、ちょうど母親からの電話が鳴った。
「もしもし?」
「大輝? ねぇどうしよう!」
「どしたの?」
「お父さんからの手紙、出てきたの」
「うん」
「多分、これ最後の手紙かも」
「なんて書いてた?」
「ううん、開けてないの、怖くて。でも捨てられなかったの。どっかに行っちゃってたのに、いきなり出てきちゃったぁ」
勝手に好きにすればいいと思ったが、ちょうど予定もなかったので、こんな顔でも見せてあげる事にした。
思えば母親とは、あの告白の後からゆっくり話をしていない。
大輝自身が父親の存在を受け入れてしまえば、もうそれ以上話し合う事もないと思っていた。
改札を通り、いつもとは逆方面のホームへと出る。
一ヶ月ぶりの海へと続く電車は、少し気分の重い乗り心地だった。あの場所で出会った彼らが、どうしても忘れられない。
「大輝! 大変だったね。もう心配したんだからっ」
部屋に入ると、母親はいつもの様にバタバタと動き回った。大輝は荷物を下ろしながらそれを冷静に眺める。
「手紙、読んだの?」
「……ううん」
甘えるように首を振った彼女は、テーブルの上を指さした。
ご飯と味噌汁、焼いた肉と野菜が乗った皿の横に、封筒が一通置かれていた。その表面には、転送された際のシールが貼ってある。恐らく差出人は、この家の住所を知らない。
母親の言う通り、これが最後の手紙なのだろう。という事は、これは今から最低でも二年ほど前のものだ。
「結構昔のじゃん。読んだら?」
「でも……」
「じゃあ捨てれば?」
「それはちょっと……」
彼女の煮え切らない態度にため息をつき、クッションの上に腰を落とした。
「これ俺の?」
テーブルの上の食事を指差す。
「うん、お腹空いてるかと思って」
「すいてる、ありがとう」
その言葉で笑顔が戻った母親は、キッチンへ行き冷蔵庫から麦茶のボトルを出した。
「あのさぁ」
気になっていた疑問を確認しようと思った。
「なぁに?」
嬉しそうに振り向き、麦茶をグラスに注ぐ。
「貯めてたって言ってた学費って、本当は、この人が出してくれたとか?」
手紙を顎で指す。
「あぁ……」
母親は少し気まずそうに目を逸らし、言い淀む。
「やっぱり、そうなの?」
向かいの座布団に座り、グラスを大輝の前に置くと、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「ううん、違うの。実はあれ……おじいちゃんが残してくれてたの」
「え」
それはまた意外な話で、拍子抜けした大輝はとりあえず麦茶をひと口飲んだ。下を見たまま、もじもじと彼女は体を小さくひねる。
「おじいちゃん、恩着せがましい事はしたくないから、お前が貯金したことにしろって……」
正座した自分の腿をさすり、子供のように前へ後ろへと体をゆらゆら揺らしている。
自分が作った金だと、祖父は素直に言い残せば良いと思った。必要のない口裏合わせに感じた。けれど、大人になった今では少しだけ理解できる気がする。
きっと彼は、自分の娘を、「ダメな母親だ」と孫に思わせたくなかったのかもしれない。
想像すると全てがバカらしく、大輝は鼻で笑った。
「そんな大事な金、とんでもねぇ使い方したな」
「ごめんね……本当に。今ならわかる、あれ、騙されてたんだよね」
「やっと後悔したかよ」
舌打ちをしておかずを頬張る姿を、母親はじっと見つめた。
「大輝、ちょっと口悪くなってない? 悪いお友達でもできたの?」
「…………ううん、気のせいだよ」
大輝の期待も虚しく、父親は結局、ただ家庭を捨てただけの男だった。
——どうせそんなもんだ。
「やっぱそれ、読めば? きっとろくなこと書いてないよ」
大輝は封筒を母親の方へ吹き飛ばした。ふわっと起き上がる程の薄い封筒を、彼女はじっと見つめた。
「…………食べ終わったら、一緒に読まない?」
「…………いいよ」
洗い物を終わらせ、大輝はテーブルの上の封筒を手にとった。
なぜか少し緊張している。初めて、『父親の文字』を見ているせいだろうか。封筒の裏を返すと、本人の名前の上に、ちゃっかり自宅の住所も書かれていた。この家からはだいぶ遠い町の、アパートらしき建物の一階のようだ。
封筒の隅にカッターを入れ、サクサクと紙を裂く。中を開いて取り出した便箋は、ふたつ折りでも文字が透けるほどペラペラだ。折り目を広げると、現れたびっしりと連なるその文字は、達筆でとても美しい形をしていた。
二人は肩を寄せ合い、無言でそれを読み始めた。
たったの二枚、あっという間に読み終えた。
母親は何も言わないまま、肩を震わせている。
大輝は手紙を二つ折りに戻し、再び封筒の中へ戻した。そしてテーブルの上のティッシュを数枚引き抜き、涙を流す彼女に笑顔を向ける。
「お父さんって……ちょっと面倒くさそうな人なんだね」
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