4人が本棚に入れています
本棚に追加
春の大型連休が終わり、夜の肌寒さも感じなくなったある日、大輝はカフェの閉店後、表の看板を下げる為に店の外へ出た。すると、前方に見覚えのある人が歩いている。
「あれ、さくらちゃん? だよね?」
大輝は咄嗟に呼び止めた。足を止めた彼女は一瞬の間が空いた後、すぐに思い出したように目を開いた。
「あ! 美咲の……?」
「うん。久しぶり!」
「……だね」
さほど嬉しくもなさそうな顔で笑った彼女は、美咲の大学の親しい友達だった。よく大輝が学校まで迎えに行っていた頃、美咲の隣にはいつも彼女がいた。何度も顔を合わせているので、大輝にとっても十分に顔見知りだ。
——そういえば最近、美咲の口からこの子の名前を聞いていない。
なんとなくだが、さくらは少し気まずそうな表情をしている。何故か、胸騒ぎがした。大輝が様子を伺っていると、彼女がためらいがちに口を開く。
「大輝くん…て、まだ……美咲と会ってるの?」
「……え?」
胸にいた小さなモヤモヤが、突然大きく膨らんだ。
「会ってるけど? まぁ、最近お互い忙しくてなかなかなんだけど」
少し真面目な表情で、さくらは小さく頷いた。
「そっか……。美咲、元気?」
不思議な質問だった。
「え? 元気って……学校で会ってないの?」
「あぁ…………」
何かを察したような表情だ。自分の知らない何かを彼女は知っている。そんな気がした。さくらは返事を待つ大輝の顔から一度目を逸らし、少し言い淀むような仕草を見せる。こちらの息が止まりそうだ。
「美咲、なんか……あったの?」
うつむくその顔を見つめ、大輝の胸は不安で埋め尽くされてゆく。思い返せば、一昨日の夜の連絡を最後に、美咲との会話が途切れたままだった。そして顔を上げたさくらは、何かを決意したように小さく頷く。
「うん。あのね、美咲、全然学校来てないの」
「えっ!?」
声を上げると同時に、びゅうっと横から冷たい風が吹き付けた。
大輝は素直に驚いた。美咲は、学業と慈善活動で充実した毎日を送っているのだと思っていた。きっとそれが楽しくて忙しいから、プライベートを後回しにしてしまっている。そして何ならずっと、それにさくらも一緒なのだと思っていた。なのに、最優先のはずの学校に行っていない、と彼女は言う。ならば一体何に忙しくしているのだろう。
美咲の身に一体何が起きているのか、大輝の考えはどこにも及ばず混乱した。
「え、いつから? なんで? え、今は? 美咲は今どこにいるの!?」
慌てた大輝は思わずさくらを問い詰めた。彼女はそれに驚き、控えめに両手を前に出す。
「とりあえず、落ち着いて」
その表情は、大輝と同様に困惑しているようにも見える。
「大輝くん、美咲から聞いてないの? 集会とか、そういう話……」
「あぁ、あれでしょ? インスタで知り合った子達とボランテイアしたり、エスディージーズ?とか、考えたりしてるって」
——それが何か関係ある?
さくらはまた、続きを言いにくそうに目を逸らした。
「んん……と、それ、あれなんだよね。なんかヤバいやつ、っていうか……」
「ヤバいやつ?」
再び声を上げると、さくらは真面目な顔で大きくひとつ、頷いた。
「美咲、宗教ハマっちゃったっぽい」
その言葉に、大輝の口がぽかんと開いた。
言っている意味がわからなかった。『新しくできた友達』と『ボランティア』と『学校に行っていない』事と、それと『宗教』……。何がどうして繋がるのかが、すぐには理解できなかった。
「…………どゆこと?」
そして、頭の中は真っ白になった。
「あ~~そゆことか~~っ!」
黙って話を聞いていた漆谷は、勢いよく手の平をデスクに叩きつけた。
「あ、すぐわかるんですね」
大輝は少し意外だった。
「そんなん昔からある常套手段だよ~」
「そうなんすか」
「今時はSNSなんだなぁ、なるほどなぁ~」
肉のついた顎をさすりながら、漆谷は遠くを見た。その表情は何故かどこか懐かしそうに見える。
「ぃや、そんな呑気に言ってる場合じゃないんですよぉ。もう心配で心配で……もし変なことに巻き込まれたりしたら……」
自らの考えにゾッとして、それ以上言葉を続けることができなかった。
最初のコメントを投稿しよう!