先々のこと

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「住山は御曹司だ。させたいようにさせておけ」  職員会議でのダニの発言は、私の予想通りだった。 「谷先生。イジメの可能性があります。看過するわけにはいきません。住山君への聞き取りが必要です」  面と向かってダニと言いたいが、大人の礼儀として谷先生と呼んでやる。 「誰がやるんだ。俺は嫌だぞ。住山は本家の跡取りだ。機嫌を損ねてみろ。親にチクられてクビになっちまう」  公立中の教師は公務員だからクビはない。だが相手は住山一族だ。超法規的な措置はあり得る。 「加藤君によると、無理やり谷先生のクラスから追い出されたそうです。住山君が『引っ越しだ、引っ越しだ』とふざけた調子で机を運んだとか」 「おい中村。この件には二度と触れるな。片親の加藤なんかほっとけ」 「あなたは三十年も教師をしているのに、高校受験を目前にした三年生の気持ちのケアをしないのですか。もう二学期なんですよ」 「女は黙ってろ。それがまだ五年目の教師の言い草か。帝大の数学科主席卒業だか何だか知らんが、調子に乗るな」  この後は荒れると校長が察し、パンパンと手を打ち鳴らした。 「イジメを学校が放置したと思われては困ります。加藤とかいう生徒は、中村先生のクラスに移動させましょう。住山君のやりたいようにさせるのが得策です。よそ者の中村先生にはわからないことが、この地区にはあるんです。くれぐれもよろしくお願いしますよ」  この「よろしく」は「騒ぎを大きくするな」の意味だ。  徹底した事なかれ主義の校長。生徒からダニと呼ばれ、嫌われている谷。  この中学に異動となった時、こんな教員がまだいるのかと驚いた。  それ以上に驚いたのは住山一族の権勢だ。田舎町のボスと聞いていたが、これほどとは。  住山興産は全国に名の知れた会社だが、本社も工場もへんぴなこの町にある。  町に住む大半の人は、住山興産となんらかの関りを持つ。勤めていたり、下請けだったり、出入りの業者だったり。  役場も住山一族の支配下だ。町長は住山の分家。議員も住山の親戚筋。コネで役場に採用された者も多いと聞く。校長もダニもこの町の出身。この二人もコネ枠にちがいない。私の予想はよく当たるのだ。    私は念のため、イジメが続きはしまいかと目を光らせた。が、何事もなかった。  当然だろう。住山君は、家の権力を笠に着るような生徒じゃない。むしろ正義感の強いタイプだ。じゃあどうして、加藤君を私のクラスに強制移動させたのか。  私はとある仮説を立てた。だから住山君が数学の質問をしに職員室へ来た時、私の考えをぶつけてみた。結果。予想は当っていた。    受験間際になると、中三の担任には面倒な作業がある。内申点を付けなければならない。  いや、内申点を付けること自体に手間はない。私は成績に準じて機械的に内申点を割り振る主義だから。  面倒なのは変な依頼への対応だ。  例えば、こんな。 「おい、中村。お前のところの内申点5をうちに一つ寄越せ。5の必要な生徒がいる」  ダニの横槍を私は即座に払った。 「お断りします」 「たった一つだ。どうにでもなるだろ」 「だったら、谷先生の判断でその生徒に5を付けたらどうですか」 「5の多い学校は教育委員会からチェックされるの知ってるだろ。校長は嫌がるんだよ、そういうの」  ここは職員室だ。幾人もの教師が私たちのやり取りを目撃している。私のこれからを知らせるいい機会だ。ここで言うとするか。 「だから住山君は、加藤君を私のクラスに追い出したんですよ。先を見越して」 「はあ? 何の話だ」 「加藤君の家庭は経済的に厳しく、是が非でも公立高校に合格しなければなりません」 「知るか、貧乏人のことなんか」 「あなたが5を付けたい生徒は住山君ですよね。彼はまずまずの成績ですが、地域のトップ高校に入れるほどではない。コネで教員採用されたあなたは、内申点で下駄を履かせて彼を合格させなければ、住山一族に面目が立たない」  ダニの顔が赤くなった。怒りで声が出ない隙に私は言葉をならべる。 「加藤君の成績は抜群です。当然、内申点は5。住山君は、加藤君の内申点をあなたが横取りするのを未然に防いだんです」 「いい加減な嘘を言うな」 「住山君にこの話をすると、認めたうえでニヤリと笑っていましたよ」  あれは良い顔だった。他人のために、自分が泥をかぶる覚悟を持った男の顔だ。 「谷先生。住山君に5を付けたいなら、あなたのクラスの中で卑劣な調整をしてください」 「中村。今の話を取り消さないと、この町に住めなくなるぞ。クビになっていいんだな」  予想通りの脅しだ。それがどうした。 「そうですか。私は引っ越すので平気です。来年度からは都市部にある私立の進学校で教師をしますし」  私は、この町を見限るのではない。定年間際に、またこの町で教鞭をとってもいいと思っている。住山君が一族の長になったなら、きっと何かが変わっているだろうから。  私の予想は、よく当たるのだ。
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