30代の僕ら・薄味時々辛めに

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30代の僕ら・薄味時々辛めに

とある週末。 時刻は22時を回っている。 洋輔はあれから無事大学を卒業し、社会人として働き始めてもうすぐ10年が経とうとしていた。お陰様で職場にも恵まれ、相応の職位で日々業務に勤しんでいる。仕事を終え、貴重な土日休みをぼんやりと満喫している中、自室のベッドで寝転がりながら、スマホで動画を眺めていた。どうしてこんなにもスマホと言うのは人をダメにするのだろうか。もう何時間もこうしてしまう。 だが、そんな穏やかな時間も、画面が突然、切り替わる事で終わりを告げようとしていた。もう何年も見た事のある名が浮かび上がる。電話だ。 (嫌な予感しかしないな…) 大方予想が付くのは、長年一緒に居る賜物なのかも知れない。それが何故か嬉しいと思えるのは、自分が大人になった証拠なのだろうか。 少しだけ震える指で、通話のボタンを押す。 「もしも…」 【ねぇー。洋輔、今から迎え来てくれない?】 開口一番、言葉を遮られた。そして、理不尽とも思える要求が飛んで来た。 予想的中である。本当は当たって欲しくなかったが。 それにしても声が大きい。 「おい匠海。お前、今日は何処で呑んだくれているんだ?」 【いつもの、おぎく、ぼぉ!】 電話越しでも状況が分かった。もう彼のは切れる寸前だ。 (あ、これは早く迎えに行かないとヤバい奴だ…) 「貸し1だな。そこで寝ないで待ってろ。他の人にご迷惑だから」 【はーい。ハハハ】 それからブツッと電話が途切れた。 「全く! 酒が弱いくせに酒が好きって、どんな天邪鬼だよ!」 年に数回、このムーブをかまされる。 いつから自分は匠海の保護者になったのか。 まるで発声練習のような大きな声を上げてから、洋輔はテキパキと身支度を済ませ、彼をするため、車を走らせた。 居を構えている国分寺から荻窪までは車でだいたい40分はかかる。道すがら、好きな音楽をかけ、気分を紛らわせながら、どうやって彼を叱ろうか考えつつ、ハンドルを握る。 そして車は彼が居るであろう居酒屋に辿り着いた。 店の外のベンチに夜風に当たりながら、ぼんやりと空を見つめている匠海の姿があった。 「匠海、来てやったぞ」 「あー。洋輔だぁ!」 フラフラの足取りで大きい図体の彼が覆い被さって来た。熊に襲われた気分だ。煙草の香りに包まれた普段とは違う香りに、洋輔は何故かドキッとした。 「おいコラ! 危ないから、さっさと車に乗れ!」 長年の付き合いからか、ドラマでありそうな優しい言葉をかけたりはしない。ただ淡々とまるで荷物を運ぶように匠海を車へ投げ入れた。 それから車は元来た道を引き返して行く。 「お前、そろそろお酒の呑み方と言うのを学習しろよな?」 少しムッとしながら話す洋輔。 「えー」 「えー、じゃないよ。学校で習っただろう?家に帰るまでが遠足だって事。それと同じで、家に帰るまでが呑むって事だ。ちゃんと覚えろよ?」 その言葉を聞いた匠海は、急に眼差しが鋭くなった。 「でもさ。こうして一緒にドライブ出来てるじゃん。洋輔と最近、時間取れなかったから」 急に気障っぽい言葉を発して来たので、思わずブレーキを踏みそうになった。 確かにここ最近、まともに彼と話をしていなかった。 それを鑑みて、彼がこのシチュエーションを仕組んだと言うのか。 「匠海、お前…」 心の奥から温かい何かがじんわりと漏れ出た。視線を彼に向けてみる。 「って! 寝るんじゃない!」 視線の先には助手席に沈み込むように完全に寝落ちした彼の姿があった。 「…全く。仕方ない奴だな」 本当は怒りたいのに、匠海の寝顔を見てしまうと、その気持ちは消え失せてしまった。寧ろ、こうして同じ空間に居れる事がこんなにも嬉しく、何物に代えがたいのは彼の事が大切で好きだからなのかもしれない。 何年経っても、この気持ちに偽りはなかった。 「寝たので、貸し2」 匠海の耳元でそう囁くと、二人を乗せた車はへ帰って行くのだった。 次の日のお昼頃。 「おはよー」 盛大な寝癖を付けた匠海が自室から出て来た。 「昨日は随分とお楽しみだったようで」 洋輔は広々としたキッチンで鍋に火をかけていた。 「ごめんて。それよりも、お腹空いた!」 「お前…反省してないだろ」 「仕方ないじゃん。こんないい匂いしてたら、嫌でもお腹空くよ」 ああ、いつもの匂いだ。 洋輔が作る、あの料理の匂い。 匠海は一瞬で疲れが吹き飛ぶ感覚に陥る。 「今日はチキンと野菜を入れて、チーズは少なめにした健康バージョンのリゾットだよ」 「おー。なんか豪華に聞こえる」 「昔に比べたら、かなり豪華さ。身体に気遣って、薄味にしているし。特製調味料も少なめさ」 「流石、洋輔様!」 「褒めてないで、お前も手伝え」 それから匠海もキッチンに入った。 折り畳みの椅子を二つ並べ、あっと言う間にキッチンの作業スペースは昼食会場へと早変わりした。 最近はリビングのテーブルで食事はしない。 片付けの手間を減らしたいのと、二人の距離が近いまま食事を楽しめて、まさに一石二鳥であった。 鍋から熱々のリゾットを専用のお皿に流し込んでいく。 本当はお洒落にワインをキメたいところではあるが、大人しく二人は炭酸飲料で我慢することにした。 『それじゃあ、いただきます』 口に料理を入れるタイミング、飲み物を飲むタイミングがシンクロする。 念願の同棲が始まってもうすぐ5年目になろうとしていた。 お互い仕事が落ち着いた頃を見計らって、洋輔が人生をかけて思いの丈を匠海にぶちまけたあの日。戸惑う彼の表情が次第に笑顔になっていった姿は今でも忘れる事が出来ない。お互いの職場の丁度中間の場所に新居を借り、こうして休みの日は寝食を共にしている。キラキラした日常はないが、二人揃って歳を重ねて行けている今の状況が何処までも愛おしい。 今では、頭の先からつま先まで、お互いの事を知り尽く関係性である。 「あ、匠海。新しい調味料買ったんだけど、試してみてくれない?」 ふと、洋輔は透明な瓶を見せながら、彼に尋ねた。 「えっ? それ美味しい奴?」 うっすらと黄色の謎の液体が入った瓶が視界に映る。 「勿論。味は保証してもらって良いよ」 そう言って、洋輔は匠海の皿の上の料理に一滴、その液体をかけたのだ。 確かに洋輔が作る料理でまずいものはない。 「んっ? 匂いとか、特に変わらないけど?」 「そうだよ。味にだけアクセントを加えるものだからね」 「ふーん」 力ない返事をしつつ、改めて料理を口に運んだ瞬間だった。 眠気が吹き飛ぶくらいの強烈な刺激が舌先を襲った。 「なっ! か、からぁぁぁー!」 「おー。凄い反応」 当の本人は至って冷静である。 「洋輔、お前。何、入れたー!?」 「閻魔の涙って言う、香辛料だけど?」 名前からして不気味である。 「最初だけ滅茶苦茶辛いけど、あとはただ旨味に変わるんだ。なかなかいいだろ?」 「マジで、お前。サイコパスだな…」 匠海の言葉にニヤリと笑みを見せる彼はまさにだった。 こうやって二人でふざけ合えるのも近い距離で居られるからこそ。 いつまでも息災で居られるように、洋輔は彼に向けて料理を振舞う。 だんだんと味付けを薄くしながらも、時々、刺激的な味もアクセントに加えて。
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