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齢30にしてこの世に未練など既になくなったと思っておりましたが、それでもいざその時が来ると度々同じ夢を見ることがあるのです。それは私の幼きころの笑っている姿でありまして、どこか懐かしさすら感じております。 私が小学生の頃のことでございます。その頃というと、母は他界なされたため、父は1人でエンジニアの仕事と私の世話とをこなしておりました。一方で当時の私はとても人見知りでありました。学校でも友達1人もできない私を父は心配していたのでしょう、ある日父は言いました。私には姉がいると、そしてその姉が近いうちに家に来て一緒に住むことになると。 そしてその日は来ました。確かその時はよく晴れた春のことだと記憶しております。樹木が青々としてその葉っぱの間を太陽の光が漏れていましたのをよく覚えております。姉の第一印象はというと、美しいというものでした。瞳、肌、髪、全てが綺麗でいて、一挙手一投足に気品を感じざるを得なかったのです。そう、まるで人間ではないようなそんな感覚すら抱いておりました。 私は最初は姉をとても警戒しておりました。それは例え相手が姉だからというわけではなく、私は凡そ全ての人間を得体の知れない何かだとそう感じずにはいられなかったのです。姉は私が落ち込んだ時は、決まって私の部屋の扉をノックして入るのです。床で体育座りしてるその隣で同じように座るので実に鬱陶しかったのですが、それでも私に対して何かを聞くわけでもないそっと寄り添うその姿勢にはどこか安らぎを与える、私にはそう感じられました。時々姉は歌を歌ってくれました。静かに歌う様は私を邪魔するのではなく、むしろ安心をもたらすものでありました。 いつか私も姉と一緒に歌を歌うようになりました。心の中にある黒いしこりのような物をとれていき、周りの景色が明るくなっていきました。通学路も教室もみんなの顔や声もきらきらと輝いておりました。そして、私にとって姉は徐々になくてはならない、かけがえのない存在になってくるのでした。雨の日も晴れの日も雪の降る日も、優しい歌を一緒に歌う、それが私にとってどれだけ幸せだったことでしょう。 そんなある日のことでした。確か小学校を卒業して中学を入学する頃だった時のことだったと記憶しております。私は喉に違和感を覚えるようになりました。初めは大したことないと思っておりましたが、次第に声が出なくなってしまいました。私は初めて恐怖を感じました。 次に医者に診てもらいましたが、医者はただ一言「声帯を摘出するしか方法がない」と言いました。絶望と恐怖が入り交じったどす黒い何かが途端に溢れだして私を押しつぶされそうになる、私はもっと人と話しくて、そして何よりもっと姉と一緒に歌いたいと思ってしまうのです。必死に父に泣いて縋りつきました。その時の父の表情を私をいまだに忘れることはできませんでした。何かを決意したような、でもどこか悲しみをはらんだ顔。私は悟ってしまったのです。 きっと父も姉も知っていたのだろうと。 私はその日から学校にも行かなくなりました。家から出ることをやめ、私の世界は家の自分の部屋だけとなりました。ベッドの上でただひたすらに眠る日々が続きました。起きていても声が出ないため人とコミュニケーションを取ることなどできませんから、もはや起きている理由などなかったのです。 そんな日々がどれくらい続いたのでしょう。私にとってもう1つの不幸が訪れたのです。姉が遠くへ引っ越すことになってしまったのです。私は姉が遠くへ行ってしまうことに絶望しました。もう、あの優しい歌声を聴けないのだと。そして、また1人になってしまうと。唯一の支えがポキッと折られる感覚、もう何もしたくない、このまま消えてしまいたい。そんな思いにかられました。 しかし、姉はそんな私にそっと手を差し伸べてくれました。そして言ったのです。「大丈夫」と。私はその一言で救われたような気がしました。いいえ違います。少なくともそう思わなければ生きていけない程に私の心は荒んでいたのでしょう。 ベッドの上の景色、病院の僅かな光と廊下の足音、食事の配膳だけが私の世界でありました。もう何日、何ヶ月ここに居るのだろうか、そして私は生きているのか、それとも無理矢理に生かされているのか、そんな疑問が頭から離れませんでした。 そんなある日のこと、私の病室に父がやってきました。父は私に1つの話をしました。「声帯を移植すればまた歌えるようになる」と、私はその話に希望を見出だしました。そして私は手術を受ける決意をしたのです。 手術の日はあっという間に訪れました。手術中は麻酔が効いていた為か何も覚えておりませんが、目が覚めた時私は生きていることに安堵し、同時に声を取り戻したことに歓喜したのです。 私はまた姉と一緒に歌いたいという旨のことを伝えると、とても複雑そうな顔をして、「そうだな」と一言呟きました。しかし、姉の連絡先は教えてもらえず、その真意が分かるのはまだ先のことでした。 それから数年の時が経ちました。私は無事に高校を卒業して大学に進学することが出来ました。歌は相変わらず好きだったのでバンドを組んで路上ライブをやったりしました。やはり人と歌うのはとても楽しかったです。私の声は姉にも劣らない程に綺麗で透き通るような声をしていたようで、一部の人達の間で噂になることもありました。 その時の私は度々おかしな夢を見るようになったのです。それは私が幼いころ、姉と一緒に歌を歌ったまさにその時のことを夢に見るのです。その夢の中で私は姉と歌う、そして歌い終わると同時に目が覚める。そんな夢を何度も見ました。その中の夢の私はいつも笑っていました。姉も、そして私も。 そんな時でした、私に1つの連絡が入ったのです。父の同僚の方からでした。父はその方と何度かお会いしたこともあるようで、とても信頼されている様子でした。 「君のお父さんが大変なんだ」 どうやら、工場内の機械に巻き込まれたようで大怪我をして病院に運ばれたと、そしてもう意識が戻らないかもしれないとも。 私は急いで病院に向かいました。病室に入るとそこには包帯でぐるぐる巻きにされた父の姿がありました。その姿を見て、私は何も言えませんでした。ただ、父の手を握ることしかできませんでした。その時初めて私は父の死というものを実感したのです。父はそれから間もなく息を引き取りました。 姉の行方も知れず、父はこの世を去った、私にとってただ2人の家族がこうもいなくなるのはとてもとても辛いことでした。呼吸が苦しい、声が出なかったあの頃の何倍にもまして辛い、悪夢ではないかとこの世の全てを憎まずにはいられませんでした。食欲も睡眠もどうでもよくなり、ただの廃人となっていきました。 そんな中、私は父の部屋を片付けている最中にあるものを見つけたのです。父の日記でした。几帳面な性格でしたので忙しくても毎日欠かさずに書いているのが読んでいるだけでも伝わってくるのでした。 私はその内容に驚きを隠さずにはいられなかったのです。というのも、父の専門分野はロボット工学というもので、その中でも人の姿に似せたアンドロイドの研究をしていたとのこと。そのアンドロイドの使用用途は様々あるのですが、父は特に学生の心の支えとしてのアンドロイドを作ろうとしておりました。思春期特有の悩みによって心を閉ざしてしまう、そんな子ども達を助けたいという一心で父は仕事と研究を頑張っていたのです。 そして、アンドロイドのプロトタイプが完成した。 しかし、誤作動などを起こさないかきちんとしたテストをしたいという考えた父はとある家にそのアンドロイドを設置した、それがロボットだと明かさずに。幸いなことにそのロボットが人間に似ているという面がありました。その一家の娘は非常に人間不審な面があり、その娘の心を開かせることをタスクとし、そのロボットを家に設置することにしたという。 そのロボットというのが私の姉でした。コミュニケーションを取るのが苦手な子どもに対しては優しく寄り添うようプログラムされており、さらに歌という対話とは違うアプローチを試みる、姉の行動は全て計算されたものでした。その結果というのは、言わずもがな成功でした。 さらに、そのアンドロイドの末路もその日記にはきちんと記されていました。そのロボットは従来のものと違う点がありました。それは、構造の殆どを人間のそれに似せているという所でした。内部構造ですら、人間の血管や臓器を人工的に再現されていました。特に再現が困難とされていたのが発声器官、とどのつまり人間でいうところの喉です。 スピーカーとは違う、人間のそれに似せるにはとてつもない労力と時間を要するものです。だからこそ、極めて本物に近く再現された喉は実際の人間の身体に移植を可能にする。これが何を意味するのかは言わなくても分かるでしょう。 そして喉と言えど、一部分だったとしても欠ければロボットが壊れるのもまた当然のことでした。 私が病室で父を見た時、父は既にこうすることを決心していたように見えてならないのです。私がもう少し大人なら、父もここまで葛藤することはなかったのかもしれないと後悔しております。何より、私が声を取り戻したあの日だけは、その日記の筆圧が心做しかか細くなっているように見えました。 ロボットの臓器移植というものは、拒否反応を直接には示さないが、間接的には示す。私の寿命が短いのはそれゆえらしいのです。はじめは恐怖しましたが、何日、何ヶ月、何年の月日が私に時間を与え、それは自身の整理をするのに充分すぎるほどでした。 そういえば、最近の研究では高度なアンドロイドは記録という名の記憶を保持をしているため、感情を持つという仮説が立てられています。私も多分そう思います。 臓器移植の結果、 ドナーの趣味嗜好や習慣、性癖、性格の一部、さらにはドナーの経験の断片が自分に移ったと感じているレシピエントの存在が報告されています。これを先の仮説と照らし合わせれば、私の見た幼き頃の夢への説明がつくからなのですが、希望的観測に過ぎないのかもしれません。姉が好きだったのが、幼き頃の私の笑顔だったらという楽観的な願望からなのですから。 私はこれから、遠いところへ旅立ちます。そこでまた姉と一緒に歌うために、いつかのように。
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