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まひるがシャボン玉のように光っている。キラキラと光るそのシャボン玉はどんどん空に吸い込まれていって、その度にまひるの姿が薄まっていった。
「っ、まひる、お前、それ」
「あー、そろそろ時間? みたい」
自分の体が端から淡くなって消えていっているというのに、まひるは冷静だった。
手のひらに視線を落として、仕方なさそうに笑う。
勝手に喉が干上がっていく。ごく、と唾液を飲み下す音が変に耳についた。
「時間、って」
「言ったでしょ? 今日の午前中しか一緒にいられないって」
「なんでだよ、これ夢だろ? なんでそんな、勝手な……っ」
混乱と焦りに頭を占領されて、ろくな文章を紡げない。
おかしい。だってこれは夢のはずだ。そうじゃなきゃおかしい。そうじゃなきゃまひるが俺の目の前にいるはずがない。
だって、まひるはあの日、交通事故に遭って死んだんだ。
そう、まひるはもう死んでいる。
雨の日の部活帰り、信号を無視したトラックに撥ね飛ばされて、そのまま死んだはずだ。
だから、これは夢でなければおかしい。夢だというのなら、俺の思うとおりになってくれなければおかしい。
半ばパニックを起こした俺は、無我夢中で淡く淡くなっていくまひるを抱き寄せた。その体には体温がなかった。冷たくなくて、温かくもない。
「待てよ。お前、そんなっ、せっかく会えたのにさ、そんなのってねぇだろ。待ってくれよ、行くな、行かないで」
必死に訴える俺の声はみっともなく震えていた。
頬を伝うものを拭う余裕すらなく、まひるを死に物狂いで繋ぎ止めようと腕に力を込める。それでも彼女は淡い光になって空気に溶けていく。
目の前が真っ暗になるような絶望に襲われる俺の背中に、まひるの手が回った。
あやすように、ポン、ポン、と優しく叩かれる。
「無理だよ。優斗だって知ってるでしょ、エイプリルフールの嘘は午前中だけなの」
「わけわかんねぇよ、夢だろこれ。夢なら俺の言うこと聞けよ、夢なんだろ。夢、夢、夢……!」
「夢じゃないよ、優斗」
ささやくような、慈愛に満ちた声がして、まひるの体が俺から離れた。
血が止まるほど強く抱きしめていたはずなのに、まひるはあっさりと俺から離れた。
まるで、幽霊のように。
もうすっかり透けてしまったまひるの手が、俺の両の頬に添えられる。
親指で俺の涙を拭って、まひるは困ったように微笑んだ。
「お葬式、来てくれなかったの寂しかったんだからね」
「まひ、る」
「でも、許してあげる。死んじゃったのが優斗だったら、私も行けなかったと思うし」
「まひる」
たどたどしく名前を呼ぶことしか出来ない俺の顔に、ふっと影がかかる。
唇に、柔らかな感触があった。冷たくも温かくもない感触。
「最後に会えて、嬉しかったわ! ……あんまり早くこっち来ちゃダメよ?」
「まっ、」
言いかけた言葉は、彼女を呼ぼうとしたものだったのか、彼女を止めようとしたものだったのかは自分でも分からなかった。
性懲りもなく伸ばした手が、まひるの肩をすり抜ける。
最後にとびっきり明るく笑って、まひるは本当のシャボン玉のように溶けて消えてしまった。
名残を惜しむように小さな光が俺にまとわりついて、やがて弾けた。
足からかくりと力が抜ける。
膝をしたたかに打ち付けて、俺は鈍く呻いた。
「いてぇ……」
まるで惜別の歌かのように、十二時の鐘が、鳴り響く。
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