人魚の欲歌

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 その女性に出会ったのは、私が十八歳の時でした。私は、特に何をするわけでもなく、ふらふらと町一帯を彷徨っていました。普通は、この年になったら働きに出るものです。ですが、僕はそうしませんでした。理由はこれといって、特別なものはありません。ただ、自由気ままに、過ごしたかっただけです。  周りからは、ちゃんと働けと怒られていましたが、僕は右から左へ聞き流していました。他人にあれこれ指図されるのは、あまり僕は好きではありません。今でも、そうです。ですが、そんな事を覆すような……すみません、話が脱線してしまいましたね。とにかく、その時の僕は本当に木偶の坊と言った方が相応しい人間でした。  両親の脛を齧り、友達に寄りかかり、自身の足で立つ事は微塵もなかったです。そんな事を続けている間に、僕の事を気にかける人は少なくなってきました。  いや、両親は僕の事を見放せなかったようです。僕がずっと独り立ちしなくても、何も文句は言いませんでした。最初は言っていたような気がしますが、諦めたのでしょう。それを好都合と受け取った僕は、毎日のんびりと散歩をして、気の赴くままに変わる景色を楽しんでいました。僕は、あの時ほど有意義で心の余裕がありすぎた時期はありません。  散歩をしているコースは、毎回海岸沿いです。といっても、海は全く見えません。浜辺に、鈍い色をした固い壁が、聳え立っているのです。私が、物心ついた時から既に建っていました  何でも、町の人や両親が言うには、この壁の向こうには人魚の世界との境界線らしいのです。  人魚の世界とは、その名のとおり、人魚のみが住んでいて、海には言葉では言い表わせないほどの帝国が広がっているようです。珊瑚礁でできた城の周りを見目麗しい人魚が、美しい琴線のような声を奏でる……という通説が一般化しています。何しろ、誰も海を見た事がないのです。人伝に聞いたのみです。どうして浜辺に壁が聳え立ったのか……僕は全くわかりませんでした。町の人や両親も通説より深く聞くと、決まって首を横に振りました。また、口を揃えてこのような事を言うのです。  海辺には、行ってはいけないから、と。  海岸沿いを散歩している、と話すと決まって上記のような言いつけを言われますが、まあ私は聞きません。縛りつけられるのは、向いてないからです。  とにかく、人魚は本当にいると私は信じていました。御伽話に出てくるだけの存在では、ない。必ず人魚はいる、と。  なぜそう確信を持っていたかというと、海岸に沿って歩く度に、細く、それでいて芯の通った美しい琴線が鳴るような歌声が、ほろほろと鼓膜を震わすことが稀にあるからです。この歌声に寄り添いながら、私は散歩していました。
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