第1話

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第1話

「うわぁ……素敵……」  目の前に佇む年季の入った木造アパートを見て、朱莉は目を輝かせる。  この春、高校を卒業し大学に進学することになった君嶋(きみしま)朱莉(あかり)は、上京するにあたって一人暮らしをすることになった。  このアパートは、『ロマン荘』というらしい。なんと、昭和三十年代に建てられたのだという。  その古めかしさと家賃の安さを気に入り、ここに決めたのだ。  というのも、朱莉は古いものがとにかく好きだった。特に好きなのが、昭和三十年代──いわゆる、昭和レトロ。  ファッションやインテリアなど、今風のものより昔懐かしいものに魅力を感じるのだ。  そんな朱莉にとって、まさにこのアパートは理想そのものだったのだ。  今時、こんな古いアパートに入居したがる変わり者はあまりいないせいか入居者はそれほど多くない。  朱莉が引っ越してきたのは、二階の一番端の部屋──205号室だ。朱莉は、キャリーケースを持ち上げながら階段を上がる。  205号室のドアに鍵を差し込んで回しドアを開けると、そこはまさしく昭和の世界だった。  玄関を上がると、すぐにキッチンだ。その奥は和室になっている。和室には窓があり、そこから見える景色もまた格別だった。  壁や天井は当然ながら年季が入っていて、部屋全体がなんだかとても落ち着く雰囲気だ。  朱莉は、とりあえずダンボール箱を開けて荷物の整理を始める。  数時間かけて荷物の整理を終えた朱莉は、畳の上にごろりと寝転がった。 「はぁ……疲れた」  そう言って目を閉じた瞬間、朱莉はいつの間にか深い眠りへと落ちていった。  ──ふと気づけば、商店街らしき場所にいることに気づいた。  朱莉は慌てて周囲を見渡す。 (何、ここ……どこ?)  夕焼けが似合う商店街。ノスタルジックさを醸し出しているその通りは、明らかに現代的ではない。  一軒くらいコンビニがあってもいいはずなのに、それらしき店は見当たらなかった。あるのは青果店、魚屋、肉屋、洋品店などだ。  そして何より、行き交う人々の服装が今風ではない。  手を繋いで歩く割烹着姿の母親と坊主頭の子供、古めかしいデザインのセーラー服を着た女学生、学ランを着た男子学生の集団──朱莉は、呆然としてしまう。 (もしかして……タイムスリップしたとか……?)  だがしかし、と朱莉は首をひねる。  タイムスリップだなんて、そんな非現実的な出来事が起こるはずがないではないか。  そう、これは夢だ。きっと、朱莉は夢を見ているのだ。  けれど……この夢は、妙にリアルだ。肌に触れる風も、どこからか香ってくる匂いも、人々の話し声も全て現実味を帯びている。  そんなことを考えつつ、ふとショーウィンドウに映った自身の姿が目に入る。  そこには、レトロなファッションに身を包んだ少女が映っていた。  ブラウスの上に、赤いカーディガン。それに、チェック柄のプリーツスカートを穿いている。 (え……?)  朱莉が驚いていると、不意に声をかけられた。 「お帰り、弥恵(やえ)ちゃん。それで、結果はどうだった?」  声がした方向を見ると、そこには青果店の店主らしき男性がいた。 (弥恵ちゃん……?)  朱莉は再び驚く。弥恵というのは、どうやら先程ショーウィンドウに映っていた少女のことらしい。 (そうか……夢の中で、自分はこの女の子になっているんだ)  朱莉は、ようやく状況を把握した。見知らぬ少女の中に自分がいる──なんとも不思議な感覚だった。 「うーん……駄目だった」  弥恵は残念そうに首を振った。 「そうかぁ……まあでも、まだ若いんだからチャンスはあるよ! 頑張って!」 「うん、ありがとう!」  弥恵は手を振ると、真っすぐと商店街を進んでいく。 (どこへ行くんだろう……?)  朱莉は不思議に思いつつも、成り行きを見守る。  商店街を抜けると、住宅地に出た。暫く歩くと、弥恵はやがて木造のアパートの前で立ち止まる。  そして、慣れた様子で階段を上がっていった。どうやら、ここが彼女の家らしい。 (ここって……もしかして……)  朱莉は驚愕する。なぜなら、そこは自分が越してきたアパートだったからだ。  とはいえ、朱莉が知っているロマン荘とは違いまだ新しく見える。  弥恵は205号室の前に立つと、鞄から鍵を取り出してドアを開けた。 (どういうこと……?)  混乱する頭で考えているうちに、弥恵は部屋に入る。  次の瞬間、目に飛び込んできたのは趣のある文机。その上には、漫画の原稿らしき紙が散らばっている。  なんでもデジタル化した現代では、原稿用紙というのはあまり馴染みのないもの。けれど、なぜか懐かしさを感じる。 (これって……もしかして、弥恵が描いた漫画なのかな……?)  そう思ったのと同時に、朱莉は意識が遠のいていくのを感じた。 「うーん……」  次に目が覚めたとき、外はすっかり暗くなっていた。  時計を見ると、時刻は二十時を回っている。 (まずい! もうこんな時間だ……! 大家さんに挨拶に行こうと思っていたのに……)  もう遅いから、明日挨拶に行こう。  そう考えて、一先ず朱莉は夕飯の準備に取り掛かったのだった。  翌日。  大家に挨拶に向かうことにした朱莉は、手土産を持ってアパートを出た。  大家は、ロマン荘の隣にある一軒家に住んでいるらしい。  表札を見ると、『五浦(ごうら)』と書かれていた。  朱莉は緊張しつつもインターホンを押す。すると、中から優しそうな老婦人が出てきた。 「こんにちは。あの……私、先日アパートに引っ越してきた君嶋と言います。これ、つまらないものですが……」  朱莉は手土産を差し出しながら言う。 「あらあら、ご丁寧にどうもありがとう。大家の五浦よ。今後ともよろしくね」  五浦は、にこにこしながらそれを受け取った。 「こちらこそ、よろしくお願いします!」  朱莉は頭を下げた。 「それにしても、まさかあなたのような若いお嬢さんがうちのアパートに引っ越してくるなんてねぇ……驚いたわよ。本当に、うちでいいの?」 「ええ、寧ろここじゃないと駄目なくらいです! だって、こんな素敵なレトロアパート、他にないですから!」  朱莉が目を輝かせながら言うと、五浦は嬉しそうに笑った。 「そう言ってもらえると嬉しいわ。まあ、でも……古いだけあって不便なことはあると思うけれど……」 「そんなことないですよ! 逆にそれが良いっていうか……」  そんなふうに、朱莉たちは話を弾ませる。  それから暫く世間話をした後、朱莉はアパートへと戻った。 (明日は大学の入学式だから、色々準備をしなくちゃ)  そんなことをつぶやきながら、朱莉は夕飯を済ませ風呂に入り眠りについたのだった。  ──朱莉は、その夜も夢を見た。昨日と同じように、弥恵という少女になっている夢だ。 「うーん……」  カーテンの隙間から差し込む陽の光の眩しさに、朱莉は目を覚ます。時刻は、午前六時だ。 (もう朝か……)  今日は大学の入学式だから、もう起きなければならない。朱莉は手早く布団を畳むと、軽く伸びをする。 (それにしても……まさか、また同じ夢を見るなんて)  夢の続きを見たことで、色々わかったことがある。  天野(あまの)弥恵(やえ)。十八歳。どうやら、彼女は漫画家を志しているらしく、高校卒業後に上京してこのアパート──ロマン荘で一人暮らしを始めたらしい。  喫茶店でアルバイトをしながら、出版社に漫画の持ち込みをするなどして日々頑張っているようだ。  漫画を描いている時、弥恵は本当に楽しそうだった。彼女の頭の中には、きっと面白い物語がたくさん詰まっているのだろう。  大学に入学してからも、朱莉は毎晩のように弥恵の夢を見た。  喫茶店で働きながら、その合間を縫って路面電車に乗り、出版社を回って漫画の持ち込みをする──弥恵が描く漫画はどれも素晴らしく、朱莉はその世界観に引き込まれていく。  憧れの昭和三十年代。古き良き時代。そして、そこで暮らす人々。  夢とはいえ、朱莉が思い描いていた理想の生活がそこにはあった。 (それにしても……どうして、毎日のように同じ夢を見るのかな……?)  最初はただの偶然だろうと思っていたのだが、こう何度も見ると流石に何かあるのではないかと思ってしまう。  朱莉は、なぜ自分がこんな夢を見るようになったのか理由を考えてみた。  思いあぐねた結果、この部屋──205号室には弥恵の残留思念のようなものが残っているのでは、と結論付けた。  恐らく、過去に弥恵は本当にここに住んでいたのだ。存命であれば、現在は八十歳前後の高齢者ということになる。  漫画を描くために毎日一生懸命で、好きなことに打ちこむ充実した日々を送っている少女──なぜだかわからないが、朱莉はそんな彼女の人生を追体験しているのだ。  朱莉は、その夢の内容を自身のSNSで呟くようになった。  というのも、朱莉は以前から趣味のアカウントでレトロな服を着て自撮り写真を投稿したり、小物や雑貨を紹介したりしており、それなりに反響があるのだ。  フォロワーたちからは、その夢が好評だった。それもあって、朱莉は夢を見るのが楽しみになっていた。  しかし、そんな楽しい日々は長くは続かなかった。  なぜなら、夢の中で弥恵がストーカー被害を受けるようになったからである。  弥恵は、同性から見てもかなりの美少女だった。童顔ではあるものの整っており、色素の薄い大きな瞳が特徴的だ。  背は低めだがスタイルがよく、背中まで流れる黒髪は艶があり美しい。おまけに、いつも明るい表情を浮かべていて誰とでも仲良くなれそうな雰囲気を持っている。  そんな弥恵に、一目惚れした男がストーカー化したらしい。男は毎日アパートの周辺をうろつき、弥恵のことを監視しているようだ。  夢を見始めてから数ヶ月が経過した頃。ついに事件は起こった。  その男が弥恵の部屋に侵入したのだ。男と鉢合わせた弥恵は、逃げようとしたが腕をつかまれた。  弥恵が悲鳴を上げ、抵抗すると──男は「ずっと、君のことを見ていたんだ……僕の気持ちに気付いてくれない君が悪いんだよ」などと言いながら彼女を組み伏せ、その華奢な体を押さえつける。  そして、いつの間にか手に持っていたナイフを彼女の顔に突き付けたのだ。  恐怖のあまり、弥恵は声が出せずにいるようだ。すると、次の瞬間──男は彼女の胸に容赦なくナイフを突き立てたのだった。  そこで、朱莉はようやく目が覚めた。
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