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元日の午と夜
起き抜けの身体が暖房を求めてしまうのは気持ちを同じくするが、午になったころに、もう「一度」上げたところを見ると、A教授の寒がりは噂通りらしい。
温々とした部屋で、アラビア模様のフリースを羽織って、夏に新調した天井近くまである本棚から抜き取った、横文字の論文集をめくっている。しかし、廊下の向こうから響いてくる笑声に、気を取られているのも確からしい。イディオムと気付かずに、文意が掴めないことが何度かあった。
昨晩、「このお年玉を子どもたちに渡すように」と、妻に頼んでおいたのだが、ちゃんとお礼を言いにきてくれるおかげで、読書に没入しかけていたところを、襟首をぐいと掴まれた。
A教授は、白鬚を蓄えた口もとに柔和な笑みを見せはしたが、こころのなかではしかめ面をしていた。子どもたちが帰ったあと、もう本を読む気をなくしたA教授は、カーテンから中庭をちょいと覗いた。すると、雪だるまを作っている翔太と目が合った。
翔太はあどけなく微笑み、それに気付いた一歳年下の剛志は、無邪気に手を振りだした。それにつられて手を振り返したA教授であったが、勝手口からでてきたお隣さんに、いまのを見られてしまった。口もとに手を当てて、クスクスと笑っている。A教授は、窓を開けてカーテンを背にすると、
「とんだところを見られましたね」
照れ隠しにそう言ってしまったが、お隣さんはそんなことに頓着せずに、
「Aさん、今年もよろしくお願いしますね」
かしこまった口調で挨拶をして、すぐに家に引っ込んでしまった。
大学での用向きは、家に持ち込まないことにしているから、少々、退屈なときを過ごすことになった。そこでA教授は、桐箪笥の二段目の奥から鍵を引っ張り出した。そして、机の引き出しの鍵穴に差し込み、いまなら誰にも音が聞こえないに決まっているのに、誰かの耳に入らぬように気をつけながら開けた。
A教授は、椅子と机の間を狭めて、その隙間から、先ほどまで読んでいたものとは違う類いの本をめくりはじめた。ドアをノックする音に気をつけながら、誰にもバレないように、こそこそと。
夕方近くになり、親戚一同は、この家から退いてしまった。A教授と妻と、息子夫妻と孫は、おせちの残りを晩飯にして、食べ終えると寝支度を済ませ、今年の元日を終えた。
ちゃんと桐箪笥の奥に鍵を隠したかどうかを気にしながらも、どっと疲れていたA教授は、それを確認しに書斎に戻ることはせずに、初夢を迎えに眠りに落ちていった。
雪だるまの上のバケツが落ちる音は、誰の眠りを覚ますこともなかった。夕方にさらに降り積もった雪の上に落ちたのだから、なんの不思議もない。それにしても、月がでていないのに、妙に明るく感じる夜である。…………
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